万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

マスコミは言論の封殺者?-“多様性”の欠如した‘皇室’報道

2017年08月08日 15時14分19秒 | 日本政治
天皇退位期日、19年春望む声=年末年始は多くの宮中行事
 マスコミは、日頃より、常々言論の自由や報道の自由の重要性を主張し、多様な意見の表明が許される社会の実現を訴えてきました。しかしながら、近年の‘皇室’報道等をみる限り、マスコミこそ、言論の封殺者であり、かつ、全体主義の申し子なのではないかと思うのです。

 本日8月8日をもちまして、突然の天皇退位表明から1年が経過しましたが、近年の‘皇室’については、東宮家の“愛子さん達”やスイスの秘密口座問題に象徴されるように、既に危機的状況にあり、国民の崇敬と言うよりも疑惑の対象となるに至っております。ネット情報が飛び交う今日にあって、人の“口”ならぬ“ネット”に戸を立てることはできず、これまで隠されてきた‘皇室’情報も広く拡散され、新たな疑惑も次々に浮上しています。また、所謂‘恐れ多い’として客観的、あるいは、学問的な検証が加えられてこなかった事柄についても、‘皇室’リスクの危機的なレベルの高さから放置できず、歴史の再検証も始まっております。

 ‘皇室’に対する信頼が大きく揺らぐ今日、国民の中には、将来に亘っての“準立憲君主制”に疑問を持つ人がいてもおかしくはありません。天皇とは、現行の日本国憲法の第1条から第8条おいて規定された国制上の地位にあり、現‘皇室’の政治介入等に対する批判や是正案は、国制改革にも及ぶこととなるからです。

 ところが、マスコミの報道ぶりを見ておりますと、“異なる意見を尊重せよ”を旨としてきたにも拘わらす、‘皇室’については、如何なる不祥事や重大疑惑に対しても一切口を噤む一方で、現‘皇室’については礼賛と同調の一色で染まっています。まるで、日本国には、現‘皇室’に対して批判的な国民は一人もいないかの如きであり、TV等のインタヴュー等に登場する偽装“一般国民”も、好意的な意見しか述べません。日本国は自由主義国ですが、これでは、習近平主席を批判する声が消される中国や、金正恩最高指導者を批判する人が消される北朝鮮等の全体主義国家と、それほど違いがあるとは思えないのです(懸念される‘皇室’に対する中国の影響力拡大と北朝鮮化…)。

 しばしば、マスコミは、‘皇室’を批判すると極右団体から脅される、あるいは、国民から激しい反発を受けるとして自らの“自主規制”を正当化しておりますが、‘皇室’の異変が表面化した現状では、少なくとも後者についてはあり得ないのではないでしょうか。また、極右団体の正体が朝鮮半島系暴力団であることを考慮しますと、暴力に屈した日本のマスコミは、ジャーナリストの風上にも置けない不名誉な地位に甘んじることにもなりましょう。否、実のところ、マスコミ自身が、“言葉の暴力”を以って国民の自由な言論を封じる極左か極右の“ソフトな暴力団”であるかもしれないのです。

 マスコミ自身が、日本国において自由な言論を封じ、虚偽や偽善に満ちた強圧的で息苦しい閉鎖的言論空間を演出しているとしますと、言論の自由や多様性の尊重は表看板に過ぎす、マスコミの正体とは、全体主義の走狗と言わざるを得ません。日本国の国制改革には、天皇問題に関する自由な意見表明と討論は不可欠ですので、マスコミは、ゆめゆめ政治家を含めた国民の自由な言論を抑圧してはならないと思うのです。

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コメント (12)
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