万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日本国が耐え難きを耐えたのは何であったのか

2017年08月15日 14時10分25秒 | 国際政治
不戦と平和、誓い新たに=72年の歩み、首相「不動の方針」―東京で戦没者追悼式
本日8月15日は、昭和天皇による終戦の玉音放送があった日です。正式に戦争が終結したのは降伏文書調印がなされた9月2日ですが、ポツダム宣言の受託が内外に向けて表明され、国民に向けて終戦が告げられたこの日こそ、日本国では、4年の長きにわたる戦争が終わった日として記録されています。

 昭和天皇が語られた御詔勅において、とりわけ国民の心に刻まれたのは、“耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世の為に太平を開かんと欲す”とする一節です。敗戦国としての苦難を受け入れる日本国の覚悟をこの言葉を以って表すと同時に、それは、未来永劫にわたる“太平”、即ち、平和的秩序の構築への一歩として位置付けています。ここに、敗戦という白村江の戦い以来の日本国最大の危機を、未来に向けた秩序構築への出発点へと転換させた昭和天皇の透徹した歴史観、並びに、倫理に裏打ちされた世界観を感じざるを得ません(この一節だけは、昭和天皇自らの言葉とされている…)。そうであるからこそ、国民の多くは、敗戦という屈辱に耐え、気持ちを切り替えて戦後復興に取り組むことができたとも言えましょう。

 そして、終戦の日の誓いが平和的秩序の構築であったとしますと、310余万の日本人の尊い命は、この平和的秩序の構築のために払われた犠牲とも言えます。そして、東京裁判は、罪刑法定主義の原則に照らせば事後法に当たる、戦勝国側の戦争犯罪が見逃された、あるいは、勝者が敗者を裁く復讐裁判であるといった重大な瑕疵や批判がありながら、その判決を受け入れたのも、平和的秩序、即ち、国際軍事裁判が国際法秩序の構築への一歩を人類史に印したからに他なりません。実際に、日本国側の不満に対して、アメリカ側も、国際軍事裁判の人類史的意義を以って説得に努めたそうです。

 何れの国も他の諸国を尊重し、侵略戦争や植民地支配のない“太平”の世とは、法の前の平等を原則とする法秩序の構築なくしては不可能であり、歴史の何れかの時点で制度構築を図る必要があります。転換期にあっては、国内レベルの法制度の整備と同様に、過去においては放任されていたり、訴追の対象外であった事柄であっても、新たな法や制度の出現により有罪となる場合もあります。しかも、過渡期の制度は得てして未熟なものであり、東京裁判には理不尽かつ不公平な面も多かったのです。こうした問題点を含みながらも、戦後の国際社会は国際法秩序の構築に努力を払ってきましたし、日本国もまた、その熱心な推進国となったのです。

 しかしながら、戦後一貫して発展してきた国際法秩序も、今日、重大な危機を迎えております。中国国内では、習近平体制を支える新たな思想として、今秋の中国共産党大会において自らと毛沢東とを同列と見なす“習近平思想”、さらには、マルクスやレーニンと肩を並べる“習近平主義”が打ち出される可能性が高いそうです。この“習近平思想”たるや恐ろしく、‘世界の新時代を導く構想’、‘世界の新秩序への転換’、‘「人類新形態」の構築’…といった目的が主たる内容として含まれているのです。同イデオロギーに基づく習近平体制の成立とは、中国を中心とした華夷秩序の世界大での実現であり、それが、法の支配の原則とは逆の‘専制支配’、即ち、世界制覇をも視野に入れた独裁体制の確立を意味し、今日の国際法秩序の破壊を伴うことは疑う余地はありません。

 中国が戦後の国際法秩序を覆すとすれば、第二次世界大戦における日本国民の多大なる犠牲、否、両陣営合わせて5000万人から8000万人ともされる全人類の犠牲が水泡に帰します。終戦の御詔勅が戦争から司法に基づく平和への転換点となった日から72年が経過した今日、中国の軍事的台頭、及び、その暴力主義が後者を根底から脅かしている現状は、72年前とは違い、平和(武力の不行使)を貫けば、平和(国際法秩序)が破壊されかねない時代の到来、という問題を鋭く問いかけているように思えます。

決まって青空が広がる蒸し暑い日となる8月15日は、本年に限って例年になく雨の降りしきる日となりました。この雨は、再び人類に迫りくる危機を伝える天の予兆なのでしょうか。

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コメント (2)
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