政治的主義主張を共にする人々の組織は、一般的には‘政党’という名称で呼ばれています。このため、アメリカの共和党や民主党、中国の共産党、かつてのドイツのナチスやイタリアのファシスト党、そして、今日の日本国の自由民主党なども、‘政党’という名の下で十把一絡げされています。しかしながら、よく考えてもみますと、民主主義国と共産主義国を含む全体主義国では、‘政党’の意味は、全く異なっているように思えます。
民主主義国では、政党が複数存在することが、国民の政治的自由の証とされています。乃ち、国民は、幾つかの政党の中から自らの政治的心情や要求に照らして支持する政党を選ぶことができるからです。このため、社会・共産主義国が自由で民主的な国へと転換するに際して真っ先に着手された作業は、一党独裁、あるいは、一党支配体制の崩壊を伴う多党制(複数政党制)への移行でした。言い換えますと、民主主義国における政党群とは、国民の政治的自由とセットとなっており、その存在自体が自由と民主主義を体現しているのです。
一方、全体主義における政党とは、民主主義国家における役割とは正反対です。端的に申しますと、その初期にあっては、全権力を掌握して独占する手段であり、権力を独占した後には、自らが支配層となって少数者支配を維持するための‘構造物’となります。民主的な選挙を経てナチス政権を誕生させた戦前のドイツは、民主主義の失敗例として論われていますが、この事例は、民主主義そのものに誤りがあるというよりも、ナチス以外の他の政党を非合法化したところに重大な問題があります(経済における独占禁止法と同様に、政治分野にあっても、民主主義体制を維持するためには、権力の独占こそ禁じるべきかもしれない…)
そして、ロシアや中国で起きた共産革命を見ますと、共産党とは、いわば‘王朝交替’を狙う‘軍閥’の一種であり、しかも、共産主義者という国際組織の指導の下で外来のイデオロギーに基づいて組織されていますので、見方を変えれば、海外勢力から送り込まれた‘征服部隊’とも言えましょう。なお、中国では、1949年に国共内戦に勝利した共産党が中華人民共和国を建国しますが、この時、国民党の党員の多くが共産党員に衣替えしたとする説があります。仮に、国民党から共産党への党員の大量移動が発生していたとすれば、中国において政党の党員になる目的は、自らの政治的理想を実現するというよりも、勝ち馬に乗って利権に与ることなのでしょう。つまり、私利私欲を求めた結果なのでしょうが、あるいは、国民党も、国際共産党組織であるコミンテルンの影響下にあったとされていますので、共産党員も国民党員も、同組織の命に従っただけなのかもしれません。
全体主義国の‘政党’が、民主主義国のそれとは似て非なるものであることを理解しますと、中国共産党の常軌を逸した体制維持への執念も説明がつきます。彼等にとりましては、一党独裁の放棄は、習近平国家主席を‘皇帝’として戴く‘共産党王朝’の滅亡を意味するからです。その歴史において、何度も王朝交替が繰り返されたように…。
となりますと、中国が、民主化、並びに、自由化するためには、まずは、その染みついた国家観や政党観、否、硬直した思考そのものを変える必要があるかもしれません。政府の役割は、全国民に対して統治機能を公平に提供すること、民主主義、自由、法の支配、基本的権利の保障、平等・公平といった原則こそ、統治機能の提供目的に適っていること、国家や権力は個人、あるいは、一部の組織が独占できないこと(分権と多党制の必要性…)、統治機能にはチェック・アンド・バランスが必要なこと、集権制は権力を腐敗させること(この点、腐敗撲滅のために最も有効な策は一党独裁の廃止…)、国民と国家機構との双方向的な関係こそが善き国へと導くこと…などなど、中国が認識を変えるべきことはたくさんあります。
共産党一党独裁体制が放棄されたとしても(もっとも、現体制が外部勢力による支配であるならば、民主化・自由化への方向転換は更に難しい…)、中国そのものが滅亡するわけではないのですから、中国共産党は、中国、並びに、中国国民のために自ら歴史の舞台から降りるべきではないでしょうか。同体制が崩壊しても、日本共産党のように、国民が自由に選択し得る複数の政党の一つとして残ることはできるのですから。
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民主主義国では、政党が複数存在することが、国民の政治的自由の証とされています。乃ち、国民は、幾つかの政党の中から自らの政治的心情や要求に照らして支持する政党を選ぶことができるからです。このため、社会・共産主義国が自由で民主的な国へと転換するに際して真っ先に着手された作業は、一党独裁、あるいは、一党支配体制の崩壊を伴う多党制(複数政党制)への移行でした。言い換えますと、民主主義国における政党群とは、国民の政治的自由とセットとなっており、その存在自体が自由と民主主義を体現しているのです。
一方、全体主義における政党とは、民主主義国家における役割とは正反対です。端的に申しますと、その初期にあっては、全権力を掌握して独占する手段であり、権力を独占した後には、自らが支配層となって少数者支配を維持するための‘構造物’となります。民主的な選挙を経てナチス政権を誕生させた戦前のドイツは、民主主義の失敗例として論われていますが、この事例は、民主主義そのものに誤りがあるというよりも、ナチス以外の他の政党を非合法化したところに重大な問題があります(経済における独占禁止法と同様に、政治分野にあっても、民主主義体制を維持するためには、権力の独占こそ禁じるべきかもしれない…)
そして、ロシアや中国で起きた共産革命を見ますと、共産党とは、いわば‘王朝交替’を狙う‘軍閥’の一種であり、しかも、共産主義者という国際組織の指導の下で外来のイデオロギーに基づいて組織されていますので、見方を変えれば、海外勢力から送り込まれた‘征服部隊’とも言えましょう。なお、中国では、1949年に国共内戦に勝利した共産党が中華人民共和国を建国しますが、この時、国民党の党員の多くが共産党員に衣替えしたとする説があります。仮に、国民党から共産党への党員の大量移動が発生していたとすれば、中国において政党の党員になる目的は、自らの政治的理想を実現するというよりも、勝ち馬に乗って利権に与ることなのでしょう。つまり、私利私欲を求めた結果なのでしょうが、あるいは、国民党も、国際共産党組織であるコミンテルンの影響下にあったとされていますので、共産党員も国民党員も、同組織の命に従っただけなのかもしれません。
全体主義国の‘政党’が、民主主義国のそれとは似て非なるものであることを理解しますと、中国共産党の常軌を逸した体制維持への執念も説明がつきます。彼等にとりましては、一党独裁の放棄は、習近平国家主席を‘皇帝’として戴く‘共産党王朝’の滅亡を意味するからです。その歴史において、何度も王朝交替が繰り返されたように…。
となりますと、中国が、民主化、並びに、自由化するためには、まずは、その染みついた国家観や政党観、否、硬直した思考そのものを変える必要があるかもしれません。政府の役割は、全国民に対して統治機能を公平に提供すること、民主主義、自由、法の支配、基本的権利の保障、平等・公平といった原則こそ、統治機能の提供目的に適っていること、国家や権力は個人、あるいは、一部の組織が独占できないこと(分権と多党制の必要性…)、統治機能にはチェック・アンド・バランスが必要なこと、集権制は権力を腐敗させること(この点、腐敗撲滅のために最も有効な策は一党独裁の廃止…)、国民と国家機構との双方向的な関係こそが善き国へと導くこと…などなど、中国が認識を変えるべきことはたくさんあります。
共産党一党独裁体制が放棄されたとしても(もっとも、現体制が外部勢力による支配であるならば、民主化・自由化への方向転換は更に難しい…)、中国そのものが滅亡するわけではないのですから、中国共産党は、中国、並びに、中国国民のために自ら歴史の舞台から降りるべきではないでしょうか。同体制が崩壊しても、日本共産党のように、国民が自由に選択し得る複数の政党の一つとして残ることはできるのですから。
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