万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

共産党の象徴天皇論と天皇の超越性の問題

2019年06月15日 14時05分31秒 | 日本政治
共産・志位委員長「女性だけでなく多様な性の天皇を認めることに賛成」
昨今、新天皇の即位を機に、政界では、各党が皇室典範の改正案を提示するようになりました。野党各党は女性・女系天皇を認める方向性にありますが、日本共産党の志位和夫委員長は、‘女性だけではなく多様な性の天皇を認める’とする独自の路線を示しています。

 同氏の主張の根拠は、日本国憲法第一条にあります。インタヴューの中で、同氏は、「様々な性、様々な思想、様々な民族など、多様な人々によって構成されている日本国民を象徴しているのであれば、天皇を男性に限定する合理的理由はどこにもないはず」と語っています。つまり、憲法において天皇が日本国、並びに、国民統合の象徴と定められている以上、性差、思想、民族といった属性による天皇位の資格設定は一切認めてはならないと主張しているのです。

 確かに、日本国の現状をみますと、多様化が急速に進んでいます。メディア等ではLGBTが盛んに喧伝される一方で、思想のみならず、宗教も神道や仏教といった伝統宗教のみならず、キリスト教徒もいれば、イスラム教の信者もおります。さらには、世界各国を出身地とする、あるいは、外国人の血を引く国民も少なくなく、近年政府が推進している事実上の‘移民政策’からすれば、人種や民族の多様性は増すばかりとなりましょう。共産党が主張するように、仮に国民統合の役割を天皇に求めるとすれば、こうした多様性こそ、天皇が体現すべきとなります。言い換えますと、日本国の国民統合、あるいは、社会統合政策の一環として、天皇位には、むしろ積極的にマイノリティーを即位せるべきともなります。

 一見、理屈は通っているようにも思われる主張なのですが、近い将来、仮にこのような天皇が誕生した場合、統合の役割を果たすことはできるのでしょうか。実のところ、統合の手法には、様々なタイプがあります。日本国の天皇の伝統的な統合の基本型は、天皇の超越性に依拠する求心型です。神話の世界から連なる血統、即ち、皇統とは、天孫降臨神話に語られるように、一般国民とは異なる神聖なる血脈と観念されており、俗世とは隔たった天の世界にあってこそ、天皇は、他の全ての国民の上部に立つことができたのです。かつて、‘国民は天皇の赤子’と称されましたが、天皇とは、全ての国民と等距離に位置する超越した存在であったのです。日本民族と日本国民の枠組が一致してこそ、天皇は、その超越的地位を許されてきたと言えるでしょう。

 こうした伝統的な天皇の統合形態に対して、天皇を国民の中で最も多様性を身に帯びた存在にすべきとする共産党の主張は、融合型の統合方式と言えましょう。共産党が属性不問を掲げて秘かに実現を望む理想の天皇像とは、LGBTの何れかであって無神論の共産主義者、かつ、ユダヤ系、中国系、あるいは、ロシア系の天皇と言うことなのかもしれません。しかしながら、属性を問わない融合型へと移行すれば、天皇が日本国の伝統を継承することは不可能となりますし、マイノリティー集団の何れであれ、その現世的な利害関係に巻き込まれ、もはやその超越性を以って国民を統合することも叶わなくなります。しかも、天皇が超越性を失った途端、国民の多くも、皇室に対して崇敬心を抱かなくなることでしょう(現実にあっても、婚姻を介して融合型への移行は進行中…)。

 ここで考えるべきは、一体、一般の日本国民は、天皇に何を望んでいるのか、ということです。実のところ、女性・女系天皇にばかり国民の関心が集められていますが、天皇という存在に対する根本的な議論は等閑に付されております。皇室典範の改正に先んじて新天皇の即位を機に論ずべきは、現代という時代における天皇の存在意義そのものではないかと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする