"良い人"と"正しい人"が認められない理由
本日のGooニュースでは、プレジデントオンラインに6月5日付の記事として掲載された「良い人 なぜ組織で認められない」とするタイトルの一文を紹介しておりました(原題は「“良い人”と“正しい人”が認められない理由」かもしれない)。立教大学経営学部の中原淳教授によるものですが、同文を読みまして、しばし考えさせられてしまいました。
同教授は組織と人事を専門としておられ、日本企業一般における企画の採用プロセスの観察から、‘良い人’が社内で出世するための方法を指南しようとしたのでしょう。その概要を述べますと、(1)社内には暗黙のルールがあるからそれをよく観察して感知し、それに従う、(2)組織の上層部は、感情も渦巻く白黒はっきりしないグレーであるから、ホワイトにしようとするよりも「グレーな世界」に慣れる、(3)役員のメンバーはライバル同士であるから、‘政治力学’を考慮して有力者に接近する(ただし、論功行賞の力学が働くので、いわば派閥的な主従関係となる…)というものです。おそらく、‘良い人’とは、これらとは真逆な行動をとる人なのでしょうから、同記事が勧めている解決策とは、‘良い人’が‘悪い人’になればよい、と言うことなのかもしれません。
確かに、日本企業の組織の現状が同記事に描かれた通りであるならば、‘悪い人’に‘自己改革’しなければならない程、‘良い人’は、絶望的な状況に置かれていることとなります。しかしながら、‘良い人’を‘良い企画’に置き換えるとしますと、どうでしょうか。‘良い人’は、‘良い企画’を提案するとは限りませんので、タイトルを「良い企画、なぜ組織で認められない」に変えますと、その対策は全く別なものになるように思えます。‘良い企画’とは、企業の業績をアップさせ、社員が自らの能力を十分に発揮して生き生きと仕事ができる案を意味します。
このように問題設定を変えますと、実のところ、その解決案は上記の逆となります。(1)企業の業績アップに資するならば、社内の暗黙のルールや前例にこだわらない、(2)企業本位に徹し、合理的で透明性の高い組織(ホワイト化…)を目指す、(3)役員メンバー間の個人的な感情に基づく政治力学を離れ、企業にとって最も優れた企画を採用する、ということになりましょう。これらの諸点は、しばしば、役員たちが社内の派閥抗争に明け暮れ、社員たちも上司に媚び諂う社風となり、優れた企画や提案が潰される結果として業績も悪化し、社内の士気も低下した企業に対する組織改革の主要ポイントとして指摘されてきました。
同記事では、‘良い人’を救いたいとする善意からであれ、‘良い人’が‘悪い人’に変わらなければなりませんでしたが、‘良い人’を‘良い企画’に置き換えますと、変わらなければならないのは一般の社員のみではありません。むしろ、上司や役員メンバー、あるいは、社長といった、企画の採用権限を有する組織の上部の方が変わらなければならないのです。つまり、社内慣行から逸脱した枠に嵌らない人材であり、空気を読まず、生意気で好感情も持てず、自らの‘派閥’にも属していなくても、企業にとりまして有益となるならば、これらの人々は、私心を排してフェアに徹し、その提案を採用すべきと言うことになりましょう。
ここで提起いたしました「良い企画 なぜ組織で認められない」という問いかけは、企業の発展と成長、並びに、社員にとりましても働き甲斐のある企業組織の観点からの問題提起とも言えます。こうした問題は、企業のみならずあらゆる組織にも共通するのですが、組織内の‘政治力学’に神経をすり減らし(エネルギーの無駄使い…)、‘良い企画’を提案しても通らず、組織全体が現状に甘んじた結果、組織自体が潰れてしまっては元も子もないのではないかと思うのです。
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本日のGooニュースでは、プレジデントオンラインに6月5日付の記事として掲載された「良い人 なぜ組織で認められない」とするタイトルの一文を紹介しておりました(原題は「“良い人”と“正しい人”が認められない理由」かもしれない)。立教大学経営学部の中原淳教授によるものですが、同文を読みまして、しばし考えさせられてしまいました。
同教授は組織と人事を専門としておられ、日本企業一般における企画の採用プロセスの観察から、‘良い人’が社内で出世するための方法を指南しようとしたのでしょう。その概要を述べますと、(1)社内には暗黙のルールがあるからそれをよく観察して感知し、それに従う、(2)組織の上層部は、感情も渦巻く白黒はっきりしないグレーであるから、ホワイトにしようとするよりも「グレーな世界」に慣れる、(3)役員のメンバーはライバル同士であるから、‘政治力学’を考慮して有力者に接近する(ただし、論功行賞の力学が働くので、いわば派閥的な主従関係となる…)というものです。おそらく、‘良い人’とは、これらとは真逆な行動をとる人なのでしょうから、同記事が勧めている解決策とは、‘良い人’が‘悪い人’になればよい、と言うことなのかもしれません。
確かに、日本企業の組織の現状が同記事に描かれた通りであるならば、‘悪い人’に‘自己改革’しなければならない程、‘良い人’は、絶望的な状況に置かれていることとなります。しかしながら、‘良い人’を‘良い企画’に置き換えるとしますと、どうでしょうか。‘良い人’は、‘良い企画’を提案するとは限りませんので、タイトルを「良い企画、なぜ組織で認められない」に変えますと、その対策は全く別なものになるように思えます。‘良い企画’とは、企業の業績をアップさせ、社員が自らの能力を十分に発揮して生き生きと仕事ができる案を意味します。
このように問題設定を変えますと、実のところ、その解決案は上記の逆となります。(1)企業の業績アップに資するならば、社内の暗黙のルールや前例にこだわらない、(2)企業本位に徹し、合理的で透明性の高い組織(ホワイト化…)を目指す、(3)役員メンバー間の個人的な感情に基づく政治力学を離れ、企業にとって最も優れた企画を採用する、ということになりましょう。これらの諸点は、しばしば、役員たちが社内の派閥抗争に明け暮れ、社員たちも上司に媚び諂う社風となり、優れた企画や提案が潰される結果として業績も悪化し、社内の士気も低下した企業に対する組織改革の主要ポイントとして指摘されてきました。
同記事では、‘良い人’を救いたいとする善意からであれ、‘良い人’が‘悪い人’に変わらなければなりませんでしたが、‘良い人’を‘良い企画’に置き換えますと、変わらなければならないのは一般の社員のみではありません。むしろ、上司や役員メンバー、あるいは、社長といった、企画の採用権限を有する組織の上部の方が変わらなければならないのです。つまり、社内慣行から逸脱した枠に嵌らない人材であり、空気を読まず、生意気で好感情も持てず、自らの‘派閥’にも属していなくても、企業にとりまして有益となるならば、これらの人々は、私心を排してフェアに徹し、その提案を採用すべきと言うことになりましょう。
ここで提起いたしました「良い企画 なぜ組織で認められない」という問いかけは、企業の発展と成長、並びに、社員にとりましても働き甲斐のある企業組織の観点からの問題提起とも言えます。こうした問題は、企業のみならずあらゆる組織にも共通するのですが、組織内の‘政治力学’に神経をすり減らし(エネルギーの無駄使い…)、‘良い企画’を提案しても通らず、組織全体が現状に甘んじた結果、組織自体が潰れてしまっては元も子もないのではないかと思うのです。
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