グローバラリズムと共に押し寄せてきたデジタル化、そしてそれに伴走する電化は、今や、人々の生活の隅々まで入り込みつつあります。政府もマスメディアも、デジタル化の行き着く先を人類の理想郷として描いていますが、未来の電脳社会にあって、人々は自由な世界に生き、国家は民主主義体制を保つことできるのでしょうか。
核兵器や生物化学兵器に対して国際社会が厳しい規制を課しているように、原子力は、今日、‘危険なテクノロジー’として認識されています。テクノロジーには、常々、危険が付きまとうものであり、その制御は重大な課題なのです。ITも例外ではありません。否、中国のデジタル利用を見ておりますと、その利用目的に関しては、核兵器級の扱いが必要なように思えます。何故ならば、中国は、既にデジタル技術の悪用のモデル・ケースを人類に見せつけているからです。
デジタル技術は、人々の行動を含めてあらゆる事象を情報化し、収集、かつ、解析可能なデータ化します。このことは、情報を握る側が、他の人々を管理・コントロール可能な客体化し得ることを意味します。そして、デジタル技術が発展すればするほど、データ化される領域は拡大し、細部にまで浸潤してゆくのです。例えば、今日の中国がそうあるように、街を歩いていれば、スマホを携帯した人々の行動は、GPSの位置情報と防犯カメラに搭載された顔認証システムのダブル・チェックを介してデジタル化され、当局のサーバーに送られた上に徹底的に解析されます。そして、ネット通販であれ、対面販売であれ、お買い物をしようとすれば、何時、どこの事業者から、どの商品をいくらで買ったのかという情報が全てデジタル化されるのです。通貨がデジタル化された際には、個々人の金融資産情報は、ウォレットで完全に把握されることでしょう。生まれたその瞬間から死を迎える時まで、その人の一生は遺伝子情報を含めて全てデジタル化されてしまうのです。
そして、最後に行き着く先は、脳内であることは想像に難くありません。オーウェルの『1984年』に登場する‘ビッグ・ブラザー’であれば、人々の心の中を‘思想警察’の捜査対象とすることでしょう。無制限、かつ、無条件にデジタル化を進めれば、人々は、外部の社会も自らの内部も他者によって完全に掌握されてしまうのです。一般の人々からしますと、これは、簡単には抜け出すことのできない‘蟻地獄’を意味しかねません。デジタル化すればするほど、すり鉢状の罠の奥深く迄落ち込んでしまい、待ち構えていた捕獲者によって捕らえられてしまうのです。
今日、家庭内で使用する電化製品にまでデジタル化の波が押し寄せ、IOTは次世代型の家電として期待が寄せられていますし、初期段階ではあれ、既に脳波を読み取る技術も開発されています。EVの普及も、真の目的は地球温暖化対策ではなく、人々の移動を完全に掌握し得る電脳社会化かもしれません。また、証券市場においてIT大手に巨額の資金が集中するのも、金融機関の多数が採用している投資ソフトウェアのアルゴリズムが、最初からこれらの企業へ投資が向かうようにと設計されているからかもしれないのです。
因みに、今般、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種をめぐり、FBなどSNSに対する規制を強める動きは、この問題と無縁ではありません。ネット上には、ワクチンには、ナノテクノロジーを用いたマイクロチップが混入されており、接種者は、気付かぬうちにあらゆる個人情報を盗まれてしまうとする説が拡散しているからです。こうした真偽不明の情報がワクチン接種の妨げとなるとして、政府や当局は規制を求めているのですが、上述したデジタル化のリスクを考慮しますと、多くの人々がワクチン接種を躊躇う気持ちはよく理解できます。スマートフォンの場合には、携帯あるいは使用を止めてしまえば‘蟻地獄’に落ち込まずに済みますが、端末が生体内に埋め込まれ、自己の身体と一体化しまいますと、逃げ出す手立てを失うからです。
そして、ワクチン接種を推進している人々が、米民主党や国連、そして、WHOである点も、人々の不安をさらに駆り立てていると言えましょう。不正選挙疑惑が持ち上がっているアメリカ大統領選挙こそ、今やデジタル・リスクの象徴と化していますし、それは、米民主党のみならず、国際組織も関わっていると推測されるからです。高度なテクノロジーは、それの使用目的によっては不正や犯罪の手段となるという現実を直視しますと、IT、あるいは、デジタル化に先立って、まずは、悪用のリスクを完全に排除すべきなのではないでしょうか。すなわち、順序が大事であり、人類は、悪用されないためのリスク管理体制を確立することができて、始めて、デジタル化を進めることができるのです。日本国政府も行政のデジタル化に邁進していますが、気が付いた時には‘蟻地獄’の底にいたというのでは、あまりにもリスク管理が甘すぎるのではないかと思うのです。