普段は多様性や多様な意見の尊重を謳いながら、マスメディアは、殊アメリカ大統領選挙に関してはバイデン陣営擁護一色です。ピーター・ナヴァロ大統領補佐官によって報告書も提出され、不正行為の存在がほぼ確実視されてはいるにも拘わらず…。そして、何故か、日本国内では、バイデン陣営側を非難してきた保守派の人々に対する批判が止まないのです。
日本国内では、あたかもアメリカでのトランプ派対バイデン派の対立構図がそのまま再現されているかのようなのですが、保守派であれ、何であれ、不正を働いた側が批判を受けるのは当然のことです。他の問題領域であれば、マスメディアも政治腐敗や不正追及の急先鋒に立ったはずです。この点からすれば、疑惑が持ち上がった段階からバイデン陣営が批判に晒されるのは致し方がなく、不正行為に目を瞑ろうとする行為こそ‘不正’な態度とも言えましょう。
マスコミ各社のあまりにも不自然な対応からマスメディアに対する失望感が広がる一方で、ネット上でも、バイデン擁護に徹する一群の‘書き込み隊’が出現しているようです。不正選挙やトランプ陣営の動きに対して、逐次、反論が書き込まれるのです。バイデン陣営擁護の人々の主たる主張は、当初は‘根も葉もないフェイク’あるいは‘証拠がない主張’、というものでしたが、最近に至り、証拠等が明らかとなったことからやや論調が変化し、不正選挙であれ、選挙人の投票数という数字としての‘結果’が全てとする態度に変わってきています(悪しき形式主義…)。そして、これらのバイデン陣営擁護者の活発な言論活動こそ、何故、アメリカの政治問題でありながら、日本国において‘バトル’が発生するのかを説明しているように思えるのです。
バイデン擁護派は、日本国内におけるトランプ擁護論を内政干渉とも批判しています。内政干渉とは、特定の国の政策決定に介入する行為を意味しますので、言論空間における私的な支持や意見の表明は同行為には当たらず、言論の自由によって保障されています。否、仮に、日本国にあってアメリカ大統領選挙について意見することを内政干渉と見なすならば、バイデン擁護派も同問題について発言することを控えるべきともいえましょう。こうした一貫性の欠如に加えて、バイデン擁護派は、不正選挙を糾弾する側の真意について、それは、バイデン氏の親中姿勢に対する警戒感からとしています。
ここに、バイデン擁護派の主たる批判の対象が、日本国の保守派に向けられている理由を見出すことができます。言い換えますと、日本国内では、トランプ派対バイデン派の議論は、日中間の‘代理戦争’と化しているのです。アメリカのメディアと同様に、NHKをはじめ日本国のメディア界に限っては親中派が大多数のようですし、ネット空間にも‘五毛’と称される中国当局の配下にある‘書き込み隊’が暗躍しています。86%ともされる大多数の日本人が嫌中・反中なのですが、政界やマスメディア等では親中派が多く、武漢を発祥地とする新型コロナウイルス禍のみならず、尖閣諸島問題等もありながら、国民の中国に対する悪感情は巧妙に抑えられてきました。ところが、アメリカで発生した大統領選挙をめぐる対立は、トランプ大統領が中国に対して厳しい制裁を科してきただけに、国民の間で反中感情が鬱積する日本国内にも即座に飛び火してしまったとも言えましょう。
もっとも、日本国内の対立構図は、アメリカよりも複雑です。何故ならば、後者にあって保守派対リベラル派とも表現される対立は、前者にあっては、バイデン陣営を構成するリベラル派が保守政権である菅政権を含む政界全体に当たるからです。つまり、アメリカの不正選挙の問題は、日本国内では、一般国民VS政界・メディアの対立構図として表出ているのです。日本国内のバイデン擁護派は、トランプ擁護派をトランプ大統領に反中政策を期待する保守層の願望に過ぎないと見なしていますが、むしろ、この指摘こそ、自らが親中の立場にあり、かつ、不正の側に与していることを明かしているようなものです。
そして、日本国民の多くがバイデン陣営を批判する理由も、アメリカで起きている不正は日本国内でも起きていると考えるからです。メディアの偏向報道のみならず、ネット空間における‘五毛’活動こそ、外部からの世論誘導のリスクを端的に示していると言えましょう。つまり、中国、並びに、それを支えるグローバルな勢力によって不正行為が闇に葬られると共に、内部から自国の統治制度が侵食され、民主主義も自由も、そして、法の支配をも喪失する危機を、国民の多くが敏感に感じ取っているのです。直接的なリスクが存在する以上、アメリカの大統領選挙の行方は、日本国民、否、全人類にとりましても他人事ではないと思うのです。