万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

中国との‘覚書方式’はやめるべきでは?

2020年12月20日 11時57分32秒 | 日本政治

 日中の経済関係は、1978年8月における日中友好平和条約の締結に伴う国交樹立以来、奇妙な関係が続いています。そもそも、日米貿易協定のような二国間の通商協定が存在していないのです。中国が改革下方路線に舵を切った後、暫くの間は日本国側が中国に対してODA等を介して一方的に経済支援を行う関係にありましたが、やがて中国は急速な経済成長を遂げます。そして、同国がWTOに加盟したのを機に、同枠組みにあって最恵国待遇が自動的に与えられたまま今日に至っているのです。このため、安価な中国製品が、大量に日本国内に流入することとにもなりました。

 

 冷戦期にあって東側陣営にあり、かつ、冷戦崩壊後も共産主義体制を維持してきた中国という国家を考慮すれば、自由主義国である日本国は警戒心を以って規制強化を試みこそすれ、本来、経済関係を深めるべき相手国ではなかったはずです。そして、WTO加盟によって中国の輸出攻勢が放任される一方で、日本国政府が中国との間で‘覚書’という合意文書を作成する事例が散見されるようになりました。

 

覚書とは、条約や協定のように議会の批准手続きを要さず、法的な拘束力はありません。メモランダムに過ぎないため、双方の政府に法的な義務が生じるわけではないのですが、議会の合意を得ない、即ち、政府が独断で相手国と取り交わすことができるという点において、議論を避けたい政府にとりましては便利なツールとも言えます。一方、議会に諮ることも、国民世論の動向を調査することもなく、政府が勝手に外国政府と合意してしまうのですから、国民にとりましては民主主義の軽視とも映ることとなります。しかも、相手国が中国ともなりますと、政府による覚書の連発は、国民世論の反発を回避するための抜け道政策のようにも見えてきます。また、中国に言質を与えかねず、後日、覚書を根拠として不当な要求を受けるリスクもありましょう。

 

本日も、日経新聞の朝刊一面には、日本国の経済産業省と中国国家発展改革委員会との間で「日中省エネルギー・環境総合フォーラム」において覚書を交わす旨の記事が掲載されておりました。二酸化炭素・水素再利用での連携を謳っているのですが、そもそも、こうしたテクノロジーの開発にあって特定の国家と協力を約束する必要があるのでしょうか。米欧諸国とでさえ、この種の覚書を結ぶ事例は稀なのではないかと思います。合法的な技術流出の経路となるリスクは当然にありますし、自由主義経済にあっては、政府による競争阻害行為ともなりかねません。

 

菅政権は、発足当初より親中政権ではないかとする疑いがありましたが、2050年温暖化ガス実質ゼロ目標を掲げた時からの一連の流れを追ってみますと、その真意は、地球温暖化問題を突破口として中華経済圏への日本国を組み込むことにあったようにも思えます。中国において二酸化炭素・水素の再利用が可能となれば、中国の‘世界の工場’の地位は不動となる一方で、日本国の産業の空洞化はさらに進行することでしょう。加えて、中国にプラントを建設するのでは、日本国の排出量の削減には全く寄与しません。かくも先端技術があり、かつ、それが将来にあって産業競争力をも左右するならば、何故、日本国政府は、日本国内において同プラント建設しようとはしなかったのか、不思議でならないのです。

 

環境分野における協力とすれば、国内世論の風当たりも弱いのではないかと政府は考えたかもしれません。しかも、覚書方式は、国民に知られることなくトップ・ダウン方式で親中政策を遂行できます。中国の支配力は、アメリカと同様に、今や日本国の中枢にまで及んでいるとも推測されるのです。全世界の共産主義化が急速に進む中、日本国は、自由主義体制を護るためにも覚書方式をはじめ、対中協力を見直すべきではないかと思うのです。


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