世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。
韓国政府は、次なるユネスコ世界記憶遺産の候補として、日本国によって戦時中に動員された朝鮮人徴用工の記録を検討していると報じられております。果たしてこの申請、韓国の思惑通りに登録まで漕ぎ着けることができるのでしょうか。
ユネスコ世界記憶遺産制度の設立の趣旨は、人類史に記憶すべき価値ある史料の国際的なサポートによる保存にあります。制度の趣旨からすれば、徴用工の記録保存に人類史的な意味や意義を見出しているからこそ、韓国も、登録に向けて活動を開始したはずです。しかしながら、第二次世界大戦当時、韓国は日本国に併合されており、日本国籍を有する”日本国民”であったわけですから、戦時徴用は、強制労働条約にあって”強制労働”とは認定されない性質のものです。この件に関しては、既に、日本国政府は、先の明治産業遺産の世界遺産登録に際して説明してもいますが、合法的な労働の記録を、敢えて世界記憶遺産として登録する必要はあるのでしょうか。もっとも、韓国側の”歴史認識”によれば、日本国による朝鮮半島の統治は、”世界史上に類を見ない残酷な植民地支配”ですので、植民地主義の最悪のケースとして自らの被害を後世に残すべき、と考えているのかもしれません。しかしながら、実際に過酷な植民地支配を受けた他のアジア・アフリカ諸国は、韓国を”植民地支配被害国”の代表格と認めるでしょうか。否、韓国が、ユネスコ世界記憶遺産制度を日本国への外交圧力、あるいは、賠償・補償請求の根拠として利用しようとしているとなりますと、他のアジア・アフリカ諸国も、我先に、当制度の政治利用を始めるかもしれません。韓国による国際制度の政治利用は、国際社会に収拾の困難な混乱をもたらし、制度そのものを崩壊に導きかねないのです。
韓国が収集した関連史料は公開されており、その中には、朝鮮総督府から日本国内で働く朝鮮人徴用工に宛てた手紙も含まれているそうです。証拠書類とされるこの手紙からは、雇用期間付の自発的な契約雇用であり、朝鮮半島からの家族呼び寄せも奨励されていることが読み取れます。皮肉なことに、韓国の意図とは逆に強制労働ではなかったことの証拠書類となっていますが、国際制度の”私物化”ともいうべき政治利用は、国際社会のみならず、結局は、自国をも窮地に追いやることになるのではないでしょうか。
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今月3日、中国の北京で催された対日戦勝70周年記念の軍事パレードに、中国の習主席と並んで韓国の朴大統領が参列した映像は、東アジアの基本的構図の転換を象徴するシーンとして放映されました。日本国内をはじめ国際社会の大半が、中韓蜜月時代の到来を告げるものと解する一方で、韓国国内では、必ずしも、韓国外交が中国一辺倒に転じたとは捉えていないようです。
韓国の識者によれば、今後の韓国の対外政策の展望は、中国に偏るのではなく、アメリカと中国との間のバランスをとるために、米中韓の枠組みを強化しつつ、軍事的には米韓同盟をさらに発展させる、というものです。しかしながら、現実は、韓国側の楽観的な展望通りに動くのでしょうか。この見解で不思議に思う点は、自ら中韓の軍事的接近を公然とアピールしながら、韓国が、同盟国が自国との絆を強めると信じていることです。前近代の外交にあっては、情報が洩れさえしなければ、”蝙蝠外交”によって、自国を有利に導くことが出来ました。例えば、天下分け目の関ヶ原の戦では、小早川秀秋は、西軍に属しながら東軍と内通しており、それを知らずして、西軍の大将石田三成は、鶴翼の陣において小早川軍を陣形上の要所に配置しました。東軍側に脅されたとはいえ、小早川軍の寝返りが西軍の敗戦を決定付けたわけですが、関ヶ原の事例は、情報収集能力不足が、西軍の敗因であることを示しています。つまり、情報入手の有無は、他者に対する信頼度に影響を与えるのです。この点を考慮しますと、今日のように情報化された時代では、中韓接近が確たる事実である以上、アメリカが、韓国との軍事同盟を強化するかは疑問なところです。軍事面においては、”裏切り”があり得る軍隊を味方にするほど危険な行為はないからです。韓国は、常に自国を中心に物事を考えがちであり、自らの行動が他の諸国からどのように映るのか、ということについては、深く考察しようとはしていないようです。
おそらくアメリカは、様々な情報ルートを通して中韓関係の実態把握に努めていることでしょう。そして、韓国の信頼性の低下は、必然的に日米関係にも多大なる影響を与えるのであり、安保関連法案とも無縁ではないと思うのです。
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EUが直面している大量難民流入問題は、”難民危機”と称されるように、国際社会においては、まずは難民問題として扱われています。マスコミの論調などを見ますと、日本国を含めて、世界各国は、受け入れ数を増やすべき、とする意見が散見されます。
しかしながら、大量の難民発生の原因は、難民が居住していた地域が紛争状態、あるいは、残酷な恐怖政治にあるのですから、難民問題一辺倒のアプローチは、一時凌ぎでしかありません。問題の根を断つためには、何としても、紛争地域、特に、ISILの支配地を奪還し、住民に安全で、安定した行政が行きわたる体制を再建する必要があります。難民問題については、国際的な取り組みの兆しが見られるものの、ISIL対策については、フランスが空爆を開始したとの情報があるのみです。しかしながら、”飛び道具”である空爆でのISIL壊滅作戦には限界もあり、ピンポイント式の空爆の強化によってどこまでISILを弱体化できるのかは未知数です。占領地奪回の常道は、地上軍を派遣してを制圧を行うことですが、この方式に従うならば、ISILの占領地を奪回するためには、およそISILの戦闘員数31000人の3倍、即ち、10万人規模の地上軍を結成する必要があります。ところが、白兵戦があり得る地上戦ほど兵員の死傷が生じる戦いはなく、この点を考慮すれば、如何なる国も慎重にならざるを得ません。地上戦とは命を賭した戦ですので、本来、自国のの滅亡という究極の危機を前にして、自国民によって戦われるものであるからです。ですから、本来は、シリア人が率先して戦闘の前線に立つべきことは疑いないことです。このように考えますと、今般、難民として流出したシリア人から兵を募集し、軍事訓練、並びに、奪回後に備えた行政訓練を実施し、シリア隊がISILとの戦闘に当たるのが最も望ましい対策とはなります。もっとも、アメリカ政府が、既にシリアの反政府勢力の兵士に軍事訓練を施すしてますが、残念ながら今一つ成果に乏しく、この方法事態も見直しが検討されているのが現状です。シリア人部隊による奪還が難しいとなりますと、次に検討されるべきは、国際部隊の結成です。現在、アメリカを中心とした英仏等の有志連合が形成され、2015年8月にはトルコも空爆に参加しましたが、ISIL支配地域の完全奪還を達成するには、先述したとおり、10万人規模の兵員を要します。国際の平和、ISILによる非人道的な支配の排除、そして難民問題の根本的な解決のためにどれほどの国が有志連合に参加するのか、各国の判断がこの作戦の成否を決することでしょう。何れにしましても、方針が決まるまでの間に、ISILの兵站や情報網を分断し、組織の弱体化を図る必要もあります。
仮に、有志連合による奪回も難しいとなりますと、残された道はISILの支配地域の長期的封鎖、あるいは、”見捨てる”になりますが、ISILの恐怖政治は続き、非人道的な行為が多くの人々を犠牲にし続けることでしょう。難民問題の陰に隠れて誰も言い出そうとしないのですが、ISIL占領地奪還こそ、国際社会が真っ先に取り組むべき課題ではないかと思うのです。
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東欧各国、難民分担義務化を拒否=「受け入れ可能な人数」主張
EUでは、現在、難民の受け入れ義務化を巡って、加盟国間での深刻な対立が生じています。”難民危機”が、EU分裂まで危惧される抜き差しならない問題に至った理由は、国籍・国境管理権が加盟国の主権的な権限であるからではないかと思うのです。
防衛、安全保障、外交、財政…などに関する権限は、主権的権限の分類として凡そ一致をみるところです。それでは、国籍・市民権等の付与や国境管理に関する権限についてはどうでしょうか。国際法にあっては、国籍・市民権等の付与や国境管理に関する権限は国家の権限とされており、実際に、EUでも、これらの政策権限は、EUの排他的権限ではありません。1993年のEU発足時には、前述した分野も含めて主権的権限に関する政策分野は、原則として政府間協力分野として扱われています。また、1999年のアムステルダム条約で”シェンゲン・アキ”としてEUの枠組みに組み込まれ、必要な範囲でEUレベルでの措置が可能となったものの、”人の自由移動”に関する取り組みがシェンゲン協定(1985年)と言いうEUとは別枠から出発したのは、これらの権限が主権的な権限と見なされていたからに他なりません。現在でも、イギリスやアイルランド等は、シェンゲン・アキに関しては、オプト・アウト(適用除外)を選択しています。ところが、今般、仮に、EUレベルにおける難民の分担に関する決定が、加盟国に対して法的義務を課すとしますと、事実上、これらの権限は、一部ではあれ、EUレベルに移行することになります(後日、司法裁判所に対してEU権限に関する訴訟が起こされる可能性も…)。難民・移民は受け入れ国での永住を希望としているとも伝えられますので、この権限の喪失は、加盟国にとりましては重大な問題です。
そして、この問題は、”難民や移民の受け入れとは義務なのか”、”難民・移民の送り出し国の責任はどうなるのか”、あるいは、”移動の自由”を掲げるEUの場合には、”難民・移民の意思に反した受け入れ先の決定は許されるのか”、といった根本的な問題をも提起しています。どの問題も、簡単に回答を出せる性質のものではありません。国民国家体系の崩壊をも意味しかねない深刻な問題なのですから、まずは、人道的配慮による一時的な庇護措置とし、拒否権(全会一致)の原則的確認(義務化の回避)や紛争解決後の本国送還を含め、加盟国の国民・国境管理の権限は最大限尊重べきではないかと思うのです。
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アジア投資銀、参加70カ国超に=初代総裁が見通し
問題を山積したまま見切り発車した観のあるAIIB。中国経済の変調から行く先が危ぶまれていますが、先日、初代総裁の金立群元中国財政次官が韓国を訪れたと報じらております。
近年の中国と韓国の急接近は、東アジアの政治地図を塗り替える勢いですが、果たして、中国主導の朝鮮半島再統一のシナリオは存在するのでしょうか。この件に関して注目されるのは、上述した金総裁と朴大統領との会談内容です。”参加国は70カ国を超える”とする金総裁の発言と”副総裁職を求めた”とする韓国側の要求ばかりが関心を集めておりますが、会談の席で、朴大統領は、AIIBによる北朝鮮への融資を持ちかけたとも報じられております。この提言から推測されることは、中国と韓国の間に統一に要する費用に関する合意が成立したのではないか、ということです。金体制の下、北朝鮮の経済レベルが、最貧国に分類されるほど低い状態にあることから、インフラの整備など、南北の統一には莫大な費用がかかると試算されておりました。予測される経済的な負担は、韓国側が南北再統一に消極的であった理由の一つでもあったのです。しかしながら、仮に、AIIBが北朝鮮にすることで、懸案であった財政問題に解決の目途がたつとなりますと、どうでしょうか。中国が、AIIBの融資を南北両国への呼び水として、自国主導の朝鮮半島再統一を実現するシナリオは、あり得ないとは言い切れません。
その一方で、北朝鮮は、核・ミサイル開発によって国連制裁対象国であり、北朝鮮への融資は、即、国連加盟国としての違反行為に他なりません。たとえ中国が拒否権を握っているとしても、AIIBの他の加盟国が、国連決議違反の融資を異議なく承認するとは思えません。また、中国が、自国の国策としての朝鮮半島再統一戦略に、”国際機関”であるはずのAIIBを利用すれば、AIIBの政治的中国従属は動かしがたい事実となります。この”平和統一”のシナリオ、存在しているとしても、日本国、並びに、国際社会にとりましては、決して平和と安定の到来を意味しないのではないでしょうか。
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中国と韓国との首脳間合意として、10月末、あるいは、11月初旬に開催が予定されている日中間の三国による首脳会談。日本国政府は、開催に向けて調整作業を始めておりますが、そもそも三カ国の首脳が一堂に会する必要はあるのでしょうか。
9月3日の抗日戦勝70周年記念行事においてより鮮明化したのは、中韓両国による反日共闘ぶりです。”歴史認識”に関しては以前より両国は反日で一致しておりましたし、経済面においても韓国の最大の貿易相手国は中国ですので、その予兆は既に把握されていましたが、軍事パレードにまで出席するとなりますと、安全保障面における中韓協力も水面下では進んでいるものと推測されます。中韓の強固な結束を考慮しますと、三者会談の席では1対2となり、日本国首相が中韓首脳に取り囲まれる構図となります。この構図では、尖閣諸島や竹島問題といった政治的議題に進展を見出すことは難しく、”歴史認識”問題で一方的に攻められる展開となりかねません。政治分野の問題においては、三カ国の枠組みは、少なくとも日本国にとっては、百害あって一利なしです。それでは経済は、と申しますと、中国経済は失速状態にあり、韓国経済も下降傾向にある中、支援を求められることはあっても、日本側にメリットのある譲歩を引き出せるとは思えません。日中韓FTA構想への期待もあるかもしれませんが、中韓の過去の行動や現在の経済状況を考慮しますと、日本側だけ不利となる”不平等条約”となるか、”泥船”に乗る危険性すらあります。
中国は、G20といった自国が少数派となる国際会議においてようやく聞く耳を持つ国ですので、韓国を従えて主役を演じるつもりの日中韓の枠組みにおいて、日本国の要求や解決提案に応じるとも思えません。三カ国枠組みである日中韓首脳会談は極力避け、通常の日中、及び、日韓の二国間関係に戻すことで、中韓の対日結束を分断すべきと思うのです。
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今月3日、中国では、盛大に対日戦勝70周年の式典が催されました。韓国の朴大統領が列席したことで、中国と韓国の接近は決定的なものとなりましたが、両国首脳の会談の場において、日本国としましては、聞き捨てならない合意が成立しております。
中韓の合意とは、10月末から11月初旬に、韓国のソウルにて日中韓の三カ国による首脳会談を開催するというものです。合意があった翌朝の新聞各社では、”政府高官”の発言として、日本国政府もこの提案を受けざるを得ないとする見解を報じましたが、日本国には、三カ国首脳会談に参加する義務はないはずです。国際法においては、二国間での如何なる合意の拘束力も第三国には及ばず、日本国に対する中韓による一方的な”呼び出し”に過ぎません。三カ国の首脳が揃った席での合意ではなく、しかも、日本国政府に対して正式なルートで提案をしているわけでもなく、あくまでも、中韓の二国だけで日程や開催場所まで勝手に決めているのです。これだけでも外交上の儀礼や常識から逸脱しているのですが、ここで、日本国政府が、安易に首脳会談参加に応じますと、中韓は、パレードに誇示した軍事力に日本国が屈したと解し、首脳会談は、両国首脳による日本国首脳の”吊し上げ”の場と化すリスクがあります。あるいは、”中韓同盟”に、日本国もまた取り込まれたとする印象を国際社会に与えるかもしれません。
今月15日にも、日中韓首脳会談のための審議官級の会合が持たれるそうですが、軍事パレード以来、中韓に対する国際的な評価は低下し、今では、両国首脳と一緒に写真の納まることさえ憚れる状況に至っております。中韓主導の首脳会談には、不吉な予感がするのです。
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世界経済回復「決定打」なく G20の「限界」…市場に不安残る
先日、トルコのアンカラで開催されていたG20財務相・中央銀行総裁会議は、中国問題でもちきりであったようです。上海株式市場での”バブル崩壊”に人民元相場の切り下げと、BRICsの一角として世界経済を牽引してきた中国は、今や世界経済の波乱要因です。
本日発表された貿易統計の数値も思わしくなく、中国経済の先行きには明るい材料が見当たりません。経済のあまりの不調ぶりに、G20では、中国が各国から厳しく構造改革を求められる展開となったわけですが、仮に、中国が抜本的な構造改革に乗り出すとしますと、それは、共産党一党独裁体制の放棄以外に道はないのではないかと思うのです。改革開放路線を歩み、WTOにも加盟したとはいえ、中国経済が今一つ伸び悩む原因には、共産主義に由来する政治=共産党の経済に対する支配力の強さがあります。これまで、中国市場は外資にも大幅に開放され、市場経済化の道を順調に歩んでいるように見えました。しかしながら、その実、共産党は隠然たる支配力を維持し、むしろ、許認可権を独占することで、あらゆる分野における経済活動の利権化に成功しています。加えて、共産党幹部が経営権を有する政府系企業は優遇措置を受けており、いわば、共産党は”巨大財閥”と化しているのです。経済が共産党に支配されている状況では、中国市場での自由で公正な企業間競争は望むべくもなく、民間企業も育つはずもありません。近年、政府系企業への集中度は高まる傾向にさえあります。
市場における”強い政府”は、剛腕による問題処理においては解決能力を発揮する面はあるものの、経済を成長させるためには、中国には、乗り越えなければならない巨大で堅固な壁があります。そして、その最大の障壁こそ自分自身、即ち、共産党一党独裁体制であることに思い至った時、果たして、中国首脳部は、どのような判断を下すのでしょうか。
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【難民欧州流入】独到着の難民ら約2万人に 地元は悲鳴、独連立与党30億ユーロ支援で合意
国境のない世界こそ、平和で争いのない理想社会であるとする説は、ジョン・レノンの『イマジン』にも歌われております。地球市民の発想は、遠くはアレキサンダー大王のコスモポリタン思想に起源を求めることができますが、国境のない世界は、アーティストが訴えるような人類の理想郷なのでしょうか。
『イマジン』は、人々に想像力を働かせることを勧めています。戦争や紛争といった人類の禍の原因は国境にあるのだから、国境を取り除けば、自ずと地球上に平和が訪れる、ということなのでしょう。しかしながら、今般、ヨーロッパで起きている”難民危機”は、国境のない世界の想像が誤りであったことを示しております。EU内では、シェンゲンエリアが設けられ、およそ加盟国間の間で国境がなくなった状態が現出しておりますが、シリアやアフリカからの大量の難民が、加盟国の国内、並びに、EU加盟国間で深刻な対立をもたらしているからです。移民受け入れについては、人道的な見地や理想主義から歓迎する声がある一方で、近年、ヨーロッパ各国では、移民政策に反対する右派政党も支持を伸ばしており、国内世論も分かれております。また、EU内部でも、難民割当制に対する反対に留まらず、ハンガリー首相に至っては、ドイツに対して国境の閉鎖を求めております。そのうち、数百万人を越える難民が押し寄せると…。現実の世界で起きている”民族大移動”を前にして、国境のない世界の理想は、脆くも崩れつつあります。
シリア一国だけでも相当数の難民が発生しておりますが、国境が撤廃され、全世界の諸国の民が一斉に移動を開始したとしますと、どのような事態が発生するのでしょうか。理想郷とは程遠く、想像しただけでそら恐ろしくなるのではないでしょうか。
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9月3日に北京で盛大に催された抗日戦勝70周年記念行事は、賓客として遇された韓国の朴大統領が、中国の習近平主席の傍らで、にこやかな表情を見せておりました。中韓蜜月を強く印象付けたのですが、その背景には、韓国の対北朝鮮戦略の転換があったとも指摘されております。
先日、朝鮮半島では南北の緊張が一気に高まる一場面がありましたが、一説によりますと、中国のとりなしで事なきを得たとも伝わります。この説の真偽は不明なものの、韓国は、北朝鮮に対する中国の影響力に期待を寄せており、ゆくゆくは、南北再統一を中国の手を借りて実現する方針に転じたのではないか、とする憶測もあります。否、中国が温めてきた南北再統一シナリオに、長年の対韓工作活動が功を奏し、韓国が同調したとも推測されます。仮に、この説が正しいとしますと、第二次朝鮮戦争を経ずして南北の再統一が実現するのですが、たとえ平和的な手段であったとしても、手放しでは歓迎できるシナリオでもありません。第一に、韓国が、対北朝鮮政策を中国主導にシフトするとしますと、もはや在韓米軍は不要、あるいは、中国が北朝鮮を再統一に向けて説き伏せるまでの間、セーフティーネットして利用するだけの存在となります(”用米論”)。このことは、米韓同盟の終了を意味し、米中関係が悪化した場合、”統一韓国”は中国側に与することが予想されます(もっとも、この点は、必ずしもマイナスとは限らない…)。第二に、中国主導の南北再統一は、共産主義体制、あるいは、北朝鮮由来の全体主義体制が朝鮮半島に全域を覆う可能性を示唆しています。近年の韓国は、法の支配に加えて、民主主義や自由といった価値まで失われつつあることは、その予兆でもあります。そして第三に、日本国もまた、重大な危機に見舞われるかもしれません。重大な危機とは、中国や”統一韓国”による”歴史認識”を口実とした軍事的な圧力に留まらず、日本国内において親中派の活動が活発化することです。これまで米韓同盟を背景に親米の立場にあった韓国系の言論人や諸団体は、本国の戦略転換に呼応して親中にシフトし、内部から日本国の対中従属を誘導することでしょう。
中国が、百年の計で南北再統一を陰で操っているとしますと、その先には、アメリカをアジアから排除し、日本国までも”21世紀の冊封体制”に組み込む計略が見えてきます。そして、新たに誕生する中国を中心としたアジアの新秩序では、自由も、民主主義も、法の支配も消え去り、華夷秩序である以上、日本国が最下位に位置付けられることでしょう。日本国政府は、アジアにおける地殻変動を見据えた備えを急ぐべきではないかと思うのです。
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移民、EU揺るがす危機に=新たな受け入れ分担協議へ
遂に”難民危機”という言葉も登場したように、EUは、シリアやアフリカ諸国等から押し寄せる難民の対応に苦慮しています。特に移住先として希望者が殺到している高いドイツは、EU諸国に対して難民を分担して受け入れるよう要請しているとも伝わります。
この問題、移民送出し国の政治的安定が実現しない限り、根本的な解決は困難なのですが、一つ、特にシリア難民について不思議に思える点は、イスラム諸国の動きが鈍いことです。この問題について、イスラム諸国の間で何らかの協議の場が持たれたとする報道はなく、鈍いどころか、知らん顔を決め込んでいるようなのです。一方のEU側も、”難民危機”はEUで解決すべき問題として、一身に背負い込んでいます。しかしながら、既にEU諸国では、イスラム系移民との軋轢が深刻な社会的摩擦を引き起こし、イスラム過激派組織によるテロ事件やISILの増長も、その背景にはヨーロッパにおけるイスラム系移民の疎外感が指摘されています。つまり、現在のEUの対応は、シリア等における住民流民化の原因をさらに助長するという悪循環に陥りかねないのです。この点を考慮しますと、流民化した住民の最も適切な避難先、あるいは、受け入れ先は、イスラム教国であるはずです。イスラム諸国であれば、社会的な亀裂や宗教対立が生じるリスクは低く、生活習慣等においても親和性があります。しかも、イスラム教では、信者同士の相互扶助が奨励されているのですから、イスラム諸国もまた、信仰を同じくする者として、苦境にある難民を救済することに異論はないはずです。
このように考えますと、EUは、”難民危機”をEUの域内問題に閉じ込めず、現実に即し、地域的にもより開かれた解決を目指すべきです。イスラム系の難民については、イスラム諸国、あるいは、アラブ連盟等と間に協議の場を設けるべきですし、アフリカ大陸からの難民についても、アフリカ連合等に対して解決への協力を呼びかけるべきなのではないでしょうか。
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野党党首、安保法案「強引な成立阻止」で一致
今月18日にも参議院で可決成立か、との情報が飛び交っている安保関連法案。採決の日を前にして、野党の党首達は安保法案阻止に向けて結束を固めているようです。
ところで、野党側は、安保関連法案を”戦争法案”と名付けることで、当法案のイメージを巧みに操作していきました。法案が通れば、則、戦争が始まるような錯覚を国民に覚えさせることが、イメージ操作の狙いです。”戦争法案”という命名は、国民の反射的な反対を引き出すには好都合であったのでしょう。このため、与党側は、野党側が振りまいたマイナス・イメージを払拭すべく、”平和法案”としての側面を強調し、集団的自衛権の行使に伴う抑止力の効果を説明してきました。しかしながら、安保法案反対論者は、なおも”戦争法案”の名を以って、デモにネットに反対運動を展開し、収まる気配はありません。こうした偽善的な平和主義者に対するもう一つの対抗策は、正戦論を提起することです。 集団的自衛権の行使には、平時における共同抑止力と有事における共同防衛の二つの側面があり、”平和法案”が前者であるとしますと、”正戦法案”は後者に対応します。安保法案反対論者の主張では、自衛隊の海外派兵は、如何なる場合でも”悪しき戦争”であり、その立脚点は、無差別戦争違法論にあります。一方、現在の国連体制にあっては、侵略が発生した場合、国連による集団的安全保障措置であれ、国家による個別的自衛権、または、集団的自衛権であれ、合法的な武力行使を認めています。つまり、今日の国際社会は、無差別戦争違法論ではなく、合法的な戦争を認める正戦論に基づいているのです。そして、今般の安保関連法案は、国際法に違反して平和を破壊する行為に対抗するために策定されており、自衛隊の活動は、他国の権利や国際社会の安全を守りこそすれ、侵害するものではありません。
抑止力を前面に打ち出す”平和法案”と比較しますと、”正戦法案”は有事を想定するのですから、日本国民の間に緊張が走ることは確かなことです。しかしながら、現在の国際情勢が楽観的な見方を許さない段階に至っていることを考慮しますと、”有事は絶対にない”と言い切ることも、不誠実な態度となりかねない恐れがあります。そして、有事に際しては日米同盟による共同防衛や国際協力が不可欠であり、正戦を戦い貫く覚悟を正直に説明することは、むしろ、安保関連法案への国民の理解を深めるのではないかと思うのです。
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【抗日70年行事】習近平国家主席の演説全文
本日、中国の首都北京では、抗日戦勝70周年を記念する式典と盛大な軍事パレードが催されました。この式典の席で、習近平国家主席は、平和路線を強調する演説の件として、人民解放軍の人員を30万人削減すると宣言しています。
兵員30万人の削減宣言は、文字通りに理解すれば軍縮を意味しますので、平和国家志向の姿勢を内外に印象付けるために、敢えて人員削減に踏み込んだと解釈されます。昨今、中国の軍拡と覇権主義に対する国際社会の警戒感は高まる一方であり、中国としては、海外メディアを前にした演説は、中国脅威論を払拭する絶好の機会であったのかもしれません(もっとも、人海戦術からハイテク兵器戦への転換を意味するならば、脅威の増幅になりますが…)。その一方で、兵員30万人の削減に触れる部分は、演説の文章全体からしますと、どこか浮いているような違和感があります。メディア各社がこの部分を強調して報じるのも、特にこの件に唐突感があったからなのでしょうが、この違和感は、一体、どこからくるのでしょうか。考えても見ますと、この削減宣言は、人民解放軍をも前にしたものですので、当の人民解放軍にとりましては、晴れの日に、突然、リストラを宣言されるようなものです。この点を考慮しますと、習主席は、人民解放軍に対して自らに対する絶対的な忠誠を使わせるために、将来のリストラで脅しをかけているのかもしれません。あるいは、江沢民派との権力闘争に未だ決着が付いていないとしますと、30万人の削減とは、江派に属する人民解放軍に対する粛清宣言とも推測されます。それとも、30万人とは、将来予定されている戦争での人民解放軍の推定殉死者の数なのでしょうか。
古来、中国では、政治的発言には、”分かる人には分かる”メッセージが隠されているとされています。本日の演説で言及された人民解放軍30万人人員削減の真の意味は、やがてその行動によって明らかになるのかもしれません。
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エンブレム問題、海外でも関心 「新たな恥ずべき事態」
昨日、盗作疑惑で物議を醸していた佐野研二郎氏デザインの五輪エンブレムは、遂に、取り下げられることになりました。この騒動に対して、海外メディアなどでは、日本国にとりまして”新たな恥すべき事態”とする報道もあるようです。
しかしながら、この事態、日本国、並びに、日本国民が、失態として恥じ入るべきことなのでしょうか。見方によりましては、逆に、誇りとすべき事態ではないかと思うのです。その理由は、盗作疑惑に対して、逸早く国民の多くがネット等において疑惑を追及すると共にエンブレムの使用継続に反対し、遅ればせながらも、組織委員会等の責任者側も誤りを正す方向に動いたからです(説得力のある弁解でもなかったのですが…)。仮に、盗作疑惑に対して、国民の大半が見て見ぬふりをする、あるいは、盗作行為を擁護したとしますと、それは褒められたことなのでしょうか。また、圧倒的多数の国民の声を無視して、責任者側が疑惑のエンブレムの使用継続を貫いたとしますと、それは日本国の誇りとなるのでしょうか。日本国民の多くが、いわく付きのエンブレムを晴れ舞台であるはずのオリンピックに使用することを”恥”と見なした結果が今回の一連の騒動なのですから、むしろ、取り下げによって正義と名誉が守られたとして安心している国民の方が多いと思われるのです。東京オリンピックが開催される2020年までの間、日本国内のみならず、世界中の街角のあちらこちらで疑惑のエンブレムを見かけたとしますと、日本人の多くは正視できずに赤面したことでしょう。
佐野氏のエンブレム、並びに、他の作品の盗作疑惑については、今後の裁判での判決を待つ必要がありますが、この事件を機に、クリーンなオリンピックを求める意識が高まったことも重要な変化の一つです。来るべき2020年の東京オリンピックが、過度な商業主義から醜悪な利権の塊となり、組織腐敗も指摘されているオリンピックそのものが、フェアプレーを尊ぶオリンピック精神を取り戻し、21世紀に相応しいあり方を示す転機となれば、日本国にとりましては、さらなる名誉となるのでないかと思うのです。
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安保法案、修正せず…維新分裂で合意を断念
国際政治の世界では、机上の学説のみならず、政治の実践の場においても、現実主義と理想主義の二つの潮流が凌ぎを削ってきた観があります。保守系の政党とリベラル系の政党との対立軸も、およそこの二つの潮流に沿って理解されています。
しかしながら、21世紀が、法の支配がかつてないほどに広がった時代と捉えますと、今日ほど、この二つの潮流が調和点を見出す機会に恵まれた時代はないとも言えます。理想主義者が、カントの『永遠平和のために』をバイブルとしする一方で、現実主義者のバイブルは、ホッブスの『リヴァイアサン』となるのでしょうが、両者の思想は、法の観点から眺めますと、必ずしも対立しているわけではありません。カントは、永遠平和のために普遍的な道徳律が国際社会において確立することを望み、”万人の万人対する闘争”を想定したホッブスも、各自の自然権の放棄は、理性の法則に従った結果と見なしているからです。言い換えますと、両者とも、法の支配の下における秩序を構想していることにおいて共通点を見出すことができるのです。これまで、両者が正反対の思想と見なされてきた主たる理由は、カントが、常備軍の全廃を予備条件に加えるなど、軍事力に対する否定的な態度を示す一方で、ホッブスの理論は、国際社会における政府なき状態、即ち、”万人の万人に対する闘争”状態における軍事力の必要性を正当化していることに求めることができます。それ故に、両思想家が生きた17世紀や18世紀には存在していなかった国際法秩序が、今日の国際社会において完全ではないにせよ形成されているとしますと、ホッブスの理論における軍事力の必要性は、国際レベルにおける法の執行力として読み替えることができますし、カントの目指した常備軍の全廃も、侵略的な目的で行動する軍隊の廃止と読むことができます。現実主義と理想主義の源流をホッブスとカントの二人の思想家に絞ることは、いささか乱暴であるかもしれませんが、法を基礎に据える視点は、国際法秩序の維持のための力の行使が、両派において矛盾なく肯定される可能性を秘めているのです。
安保法案については、”戦争法案”として批判する声もありますが、現実主義と理想主義との調和の観点から軍事力の意義を再定義しますと、批判一辺倒は時代を見誤っているように思えます。国際社会における”違法行為”や”犯罪行為”を取り締まり、全ての諸国に安全と安定をもたらす執行力としての軍事力の必要性は、現実主義にあっても、理想主義にあっても、認めざるを得ないのではないかと思うのです。
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