世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。
【パリ同時多発テロ】「悪夢」再び、週刊紙本社襲撃から10カ月 治安対策にも限界 シリア空爆引き金か
近代人権思想が侵害者に対して脆弱性を内包していることは、昨日の記事で指摘しましたが、もう一つ、脆弱性があるとしますと、近代人権思想は、敵味方の関係を想定していないことです。実際には、人類社会は、誰もが日常的に経験する、あるいは、見聞きするように、様々な敵味方の関係に満ちているにも拘わらず…。
敵味方の関係の中で最も切実となるのは、戦争など、”敵”に属する相手の命を奪うことも許されてきた分野における対立関係です。今月13日、パリで発生した一般市民を狙った無差別テロ事件に直面したオランド大統領は、このテロ行為を”戦争”と表現した上で、非常事態宣言を発しました。凄惨なテロの背景には、中東におけるフランス軍の空爆参加に対するISILの報復との見方もあり、イスラム過激派集団が、フランスをはじめ、シリア周辺でISILと闘っている欧米諸国を”敵”と認定していることは確かなことです。そして、過激派集団は、相互的な人権思想が欠如しているからこそ、宗教的、あるいは、思想的な信念に基づいて”敵”を殲滅する、あるいは、皆殺しにしても許されると考えているのです。一方、近代人権思想では、それでもなおも、普遍性の名の下において全ての人の基本権や自由を保護しようとしますので、敵と味方を区別することができません。このため、敵からの攻撃には無防備である上に、”敵”の認定には、自らの信念において苦しい葛藤を伴わざるを得ません。”敵”として取り締まろうとすれば、人権侵害の自責の念のみならず、差別や非人道的行為とする批判をも受けかねない一方で、自らの信念に従えば、無辜の人々を見殺しにすることになるからです。しかも、犯罪者とは違い、”敵”には、”異なる人々”ではあっても普通の人々も含まれています(もっとも、戦時にあっては、敵国の国民は、敵性国民として扱われる…)。
現代の人権主義者の人々は、敵味方の関係の存在を認める人々に対しては、差別主義者のレッテルを貼って容易に”敵”と認定し、あからさまに攻撃しますが、より一般的な政治、宗教、思想、民族等の違いを原因とする敵味方の関係から生じる敵対行為やテロの危険性については、有効な対策を示そうとはしません。こうした脆弱性や非相互性の問題こそ、将来に向けてより安全な国際秩序を築くに当たり、理想に徹した建前論を排し、国際社会において正面から議論すべき課題ではないかと思うのです。
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パリで同時テロ、120人以上死亡=銃撃に自爆、仏大統領「前例ない」
昨晩、フランスの首都、パリで発生した同時テロは、死者120人を数える大規模テロの惨事となり、衝撃を以って全世界に報じられました。犠牲になられた方々、並びに、ご家族の方々には、心よりお悔やみ申し上げたいと思います。
フランスは、大革命時に発せられた『人権宣言』でも知られるように、人間の基本的な権利や自由の尊重を、思想として全世界に広める役割を果たした国の一つでもあります。世界各国の憲法ににもこの精神が息づいており、今では、基本的人権と自由の尊重は、人類共通の普遍的な価値として認められております。しかしながら、”生命や身体等に対する基本的な権利、並びに、宗教や思想等の基本的自由は、全ての人間に生まれながらに備わる天賦の権利である”とする思想は、時にして自己矛盾に直面します。その矛盾とは、人間の基本的権利や自由を侵害する者もまた、人間であるという矛盾です。この点について、近代人権思想よりも遥かに歴史を古く遡る刑法の世界では、被害者と加害者は明確に区別され、犯罪者と認定された人間に対しては、刑務所に収容したり、厳しい刑罰を科しています。今日では、死刑が廃止されている諸国が増えましたが、究極的には極悪非道な犯罪者に対してはその生命を奪うことも許されるのです。言い換えますと、刑法では、犯罪者や加害者を、基本的権利の保障対象から排除しているのです。ところが、普遍的人権思想では、犯罪者や危険思想の持ち主をも保護されるべき人間に含めるため、侵害リスクを排除する行為を論理的に正当化することが困難な側面があります。このため、しばしば、人権思想が犯罪やテロに温床を提供する現象が発生し、あろうことか、人権思想が人権侵害に加担するという本末転倒の矛盾が起きるのです。
人としての基本的な権利が尊重されるべきは言うまでもないことですが、”普遍的人権思想”が、侵害リスクに対して脆弱であるという弱点は、全人類が認識しておくべき必要があります。近代人権思想の発祥の地であるフランスで起きた凄惨なテロ事件は、加害者擁護、あるいは、寛容一辺倒となりやすい今日の基本的な権利と自由の保障のあり方、並びに社会の安全について、原点に返って再考すべきことを示唆しているようにも思えるのです。
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中国軍艦、尖閣付近で反復航行=防衛省「特異な動き」と注視
左翼系の政治家や思想家は、周辺諸国との間に緊張や対立が高まる度に、”話し合いで解決を”と主張し、自らを戦争に反対する平和主義者と見なして悦に入っています。対話や交渉による外交的な解決は誰にの耳にも心地よく響きますが、果たしてこの主張、正しいのでしょうか。
短期的な視点からしますと、”話し合い”は、武力に拠らずに対立が解消されるのですから、確かに平和的手段の一つです。実際に、交渉の席で自らの主張をぶつけ合うことで妥協点を見出し、当事者双方が納得する形で問題が解決されることもありますので、”話し合い”は、全面的に否定されるべきものでもありません。しかしながら、”双方納得”ではなく、一方が、もう相手方に対して軍事的圧力や買収攻勢をかけるなど、合意内容を自国に有利に誘導する場合、あるいは、バーター取引の結果として違法行為が容認される場合には、長期的に問題を残すことになります。例えば、尖閣諸島問題では、中国の軍事力と巨大市場に配慮して、日本国は、中国側が主張する”棚上げ論”を認めるべき、との意見があります。また、南シナ海問題でも、親中のスタンスの識者からは、米中は、サイバー問題と海洋法違反問題のバーターで手を打つのではないかとする憶測があります。前者の事例では、中国の根拠のない不当な要求に日本国が屈することを意味しますし、後者の事例では、どちらも犯罪である”殺人と強盗のバーター取引”となり、何れも法秩序の崩壊を招くと共に、譲歩した側が不条理な状況を甘受せざるを得なくなります。そして、特に重要な点は、合意内容を不満とし、公平・公正な法秩序の構築をめざず、あるいは、不条理に抵抗しようとした側が、そのための具体的な行動を採った場合、相手国は、それを合意違反と見なし、自らの武力行使を正当化する可能性があることです。つまり、長期的には、安易な合意は、暴力主義、あるいは、無法国家の側が、さらに暴力を重ね得る状況をもたらすのです。
合意が成立する時点、即ち、第一ステージだけを取り上げますと、話し合い路線は平和的であり、武力の行使は回避されます。しかしながら、その合意内容に一方的な権利侵害の容認といった不公平、不平等、不条理…が含まれている場合には、第二ステージとして、武力行使が待ち受けているかもしれません。この場合、不当に自らに有利な合意を勝ち取った側にも相手側の合意不履行という口実を与えるのですから、”話し合い路線”を平和主義と同一視してはならないと思うのです。
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APECでの南シナ海問題の議題化めぐり米中が互いにけん制
南シナ海における海洋法秩序を壊す中国の行動は、国際社会において反発を招いております。予想外の批判の広がりに焦りを感じたのか、来週に予定されているAPEC(アジア太平洋経済協力会議)においてこの問題が議題とならないよう、中国の王毅外相は、一足早くに開催地のフィリピンに飛んで根回しを試みているようです。
まずは、議題提案の選別に関与する議長国を抑えようということなのでしょうが、フィリピンのアキノ大統領との間で、「APECの場では政治的に敏感な問題は取り上げない」ことで一致したとも報じられています。しかしながら、南シナ海問題は、政治的問題であると同時に、経済的な問題でもあります。APECは、太平洋に面する諸国の間での自由な貿易の実現を目指す枠組みである以上、航行の自由の危機に対して無関心でいられるはずはりません。自由貿易と航行の自由は不可分に結びついており、航行の自由こそ、自由貿易を輸送手段の側面において支える原則なのです。日本国内では、南シナ海問題の脅威は、通商路であるシーレーンの分断や経済封鎖の可能性として語られており、対中批判の主要な根拠でもあります。直接的には主権、領土保全、国民の安全に関わる問題ではなくとも、通商路の遮断は、産業や国民生活にとって死活的な問題ともなりかねないのです。
貿易自由化と言えば、兎角に関税削減や撤廃に関心が向きがちですが、航行の自由に対する妨害行為こそ、自由貿易上の最大の障害です。この尊重されるべき航行の自由の原則が中国からの重大な挑戦を受けている以上、APECは、自由貿易の危機として南シナ海問題を会議の議題として上げるべきではないかと思うのです。
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慰安婦問題、立場の違い確認=日韓局長級協議
今月2日に3年半ぶりに設けられた日韓首脳会談の席で、両首脳は”慰安婦問題の妥結”に向けて交渉を加速させることで合意したと報じられております。この流れを受けて、本日開かれた日韓局長協議では、両国政府の立場の違いを確認するに留まったそうです。
韓国政府としては、年内の交渉妥結を望んでいるようですが、両国の立場の違いを埋めることは簡単なことではありません。何故ならば、韓国が、韓国人元慰安婦を、日本の国家権力によって組織的に戦地に強制連行され、”性奴隷”とされた被害者とみなす限り、一致点を見出すことは殆ど不可能であるからです。日本国政府が、1965年の日韓請求権協定によって”解決済み”と主張する根拠には、当時の慰安婦達には、前払制度があったとはいえ、雇用契約に基づいて給与が支払われていた明白なる事実があります。戦後、日韓交渉で慰安婦に関連して言及されたのは、海外に残した個人財産に関するものであり、このことは、慰安婦各自が、財産形成を行っていたことを示しています。また、戦後、日本国内で争われた慰安婦訴訟も、商行為の結果としての財産に関するものでした。即ち、軍票で預けた預金が引き出せないといった損害に対する賠償請求であり、それ故に、日本国側は、当協定において法的に解決済みとする立場にあるのです。ところが、韓国側は、韓国人慰安婦を、職業婦人ではなく雇用契約なき”性奴隷”と見なしていますので、慰安婦問題に関する要求の性質は、戦争が原因として発生した損害賠償ではありません。国家犯罪による被害者に対する謝罪と賠償なのです。この立場にあるからこそ、慰安婦問題は、日韓請求権協定の枠外であると主張しているのです。しかしながら、慰安婦が給与を受け取っていたのは紛れもない事実ですし、慰安婦の募集は、日本国内と同様に朝鮮半島でも民間事業者が行っています。史実に忠実であれば、慰安婦はプロの職業婦人であり、朝鮮半島で人身売買があったとしても、それは、日本国政府や朝鮮総督府が発した動員令による国家犯罪ではなく、民間事業者、それも、朝鮮人事業者による犯罪なのです。それでも、日本国は、「アジア女性基金」を設立し、犯罪被害者に対しても人道的措置として救済しているのですから、韓国側に妥協する理由は一つもないのです。
以上に、日韓の対立構図を簡単に描いてみましたが、日本国にとりましての最悪の”妥結”とは、韓国への政治的妥協によって国際社会において犯罪国家のレッテルを貼られることです。残されている資料は、日本国の主張を裏付けておりますので、慰安婦問題の”妥結”を急ぐ必要は全くなく、日本国政府は、韓国が史実を認めざるを得なくなる時が来るまで待つべきではないかと思うのです。
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移民受け入れ「慎重に」=菅長官
初の入閣を果たしたものの、過去の炎上事件もあって、国民からの信頼を勝ち得ているとは言い難い河野行革相。その河野行革相が、先日、”移民問題を議論する覚悟が必要”と述べたと報じられております。
この発言に対しても、批判が寄せられておりますが、実のところ、移民問題は、日本国でも、既に十分すぎるほどの議論が行われており、結論は既に出ているのではないでしょか。諸外国の事例や数年前より続く賛否両論の議論を通して明らかになったことは、経済界は、安価な労働力であれ、高度人材であれ、移民の受け入れには賛成であり、政界もまた、基本的には受け入れ派が多数であるということです。違いがあるとすれば、高度人材に限定するのか、否か、という対象範囲に過ぎません。移民受け入れの応援団には、マスコミもいます。一方、日本国民の側はどうかと申しますと、これは、圧倒的に反対意見が多いようです。移民の増加による社会現象としては、治安の悪化、テロの懸念、民族間、あるいは、国家間対立の国内化、社会的分裂の発生、社会保障費の増加、賃金の低下、産業スパイの可能性、伝統や歴史への介入…などが報告されており、何れもマイナス面ばかりです。言い換えますと、移民受け入れで利益を得る側は賛成し、負担を押し付けられる側は反対しているのです。この二項対立は、当然と言えば当然であり、たとえ、少数派となる賛成派が、多数派である反対派に対して熱心にプラス面を説いたとしても簡単に解消されるとは思えず、結局は、時間をかけて議論したとしても平行線を辿るものと推測されるのです。
この視点から河野行革相の発言を振り返りますと、国民に対して移民を受け入れるよう”覚悟”を促しているように聞こえます。しかしながら、シリア難民の無制限受け入れを表明したドイツの混乱ぶりを見れば、国民世論無視の政策決定が解き難い問題を残すことは疑い得ないことです。移民問題は、国民に対して、日常的、かつ、直接に影響を与えますので、国民世論を無視することは民主主義の原則に反するのです。ロボット技術の発展等を考慮しましても、日本国では、移民の大量受け入れは到底無理であり、国民が納得し得る範囲に限定せざるを得ないのではないかと思うのです。
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NYタイムズ「日米政府の民主主義が試されている」
沖縄二紙が報じたところによりますと、ニューヨークタイムズの国際版に、辺野古への移設に関して日米両政府を批判する記事が掲載されたそうです。民主主義を蔑にしているとして…。
この記事を読んだ読者は、日米両政府に対して、あたかも弾圧国家のような印象を受けるのではないでしょうか。当記事は、日米両政府が、沖縄県民の意向を無視し、反対デモを警察力で排除しながら基地移転を強引に進めていると記しています。県知事や市長の言葉を借りながらも、日本国政府の措置を”無法”と非難し、沖縄県民の権利を侵害しているとまで息巻いているのです。この記事の内容から判断しますと、この記事を書いた記者は、少なくとも、(1)普天間基地の辺野古への移設は、騒音対策として県民の要求に応えた計画であること、(2)基地移設反対運動に本土の左翼系団体構成員、並びに、中国や韓国といった外国の活動家が多数参加していること、(3)沖縄県民の民意が辺野古基地建設反対一辺倒ではないこと、(4)日本国政府は法律に従って対処し、行政訴訟での解決を試みていること、(5)扇長知事が中国との間に私的なコネクションがあること、(6)近年、沖縄において中国の領土的野心と連動しながら独立煽動活動が展開されていること…といった、事実を掴んでいないと推測されます。しかしながら、こうした情報は、証拠付で誰もがネットで簡単に入手でき、日本国内では殆ど常識と化していますので、大新聞の記者としては、収集情報の乏しさが不自然過ぎます。そこで思い起こされるのは、扇長知事が9月22日に国連人権委員会で行った演説です。当記事の論調と知事の演説の内容が、極めてよく似通っているです。となりますと、このNYタイムズの記事は、扇長知事、並びに、その支持母体を唯一の情報源として書かれており、かつ、中国サイドや共産主義勢力が関与する政治的プロパガンダではないか、とする疑いが浮かんできます。
当記事は、結局のところ、”平和や人権、民主主義を順守する国家”を称しながら日米両政府は、その逆の行動をとっていると言いたいのでしょう。これらの価値を逆手に取った批判と言えます。しかしながら、辺野古基地の建設は、沖縄防衛を目的としておりますので、平和に反するものでもなく、また、万が一にも沖縄が中国に併合されるような事態に至れば、人権も民主主義も消え失せることは確かなことです。辺野古への基地移設を含む沖縄防衛の強化は、沖縄県民のために平和、人権、民主主義といった価値を護るためにこそあるのではないでしょうか。
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「一つの中国」確認=中台首脳が初会談―49年の分断後初
昨日、歴史的な会談と銘打って中国の習近平主席と台湾の馬英九総統による中台首脳会談の席が設けられました。習主席側が「一帯一路構想」やAIIBへの参加を求める一方で、馬総統から表明されたミサイル配備への懸念に対しては、”台湾に向けられたものではない”とする欺瞞に満ちた返答があったそうです。
会談の内容としては、従来の主張の繰り返しに過ぎませんが、一つだけ警戒すべき合意があったとしますと、それは、双方による”一つの中国”の確認です。しかも、この”一つの中国”は、双方が相互に解釈の違いを容認しつつも”一つの中国”を認め合ったとされる「92年合意(九二共識)」の再確認でもありました。「92年合意」については、実のところ、その実在性について議論があり、特に台湾側では、否定的な見解も示されております。中国側の一方的な主張による既成事実化は、尖閣諸島における”棚上げ問題”とも共通しており、実在が怪しいにも拘わらず、今般の首脳会談で強調された背景には、何としても、”一つの中国”こそが、92年以来の既定路線であることを国際的にアピールする狙いがあったものと推測されます。”一つの中国”に関する中台合意こそ、中国の習政権にとりましては、台湾問題の国際問題化を避け、台湾の事実上の同盟国であるアメリカ、及び、安保法制の整備を進めてきた日本国等の介入を排除する巧妙な論法なのです。つまり、中国は、台湾問題は、内政不干渉の原則が守られるべき”国内問題”であると主張したいのです。
本会談については、中台首脳共に、両国間の関係が安定化し、アジアの平和に資すると自画自賛しておりますが、仮に、言葉とは裏腹に中国の真意が国際問題化の回避にあるとしますと、逆に、中国が、”国内問題”とする立場から台湾に対して武力介入を試みる危険性が増す可能性も否定はできません。中台首脳会談の開催は、アジアの自由と平和、そして民主主義を脅かす不吉な予兆なのではないかと思うのです。
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本日の日経新聞には、TPPを軸とした経済連携の枠組みの多層的拡大を提唱する社説が掲載されておりました。この社説から判明したことは、既に締結されている中韓二国間の中韓FTAでは、農産品に加えて自動車分野をも排除しており、かつ、中国の李克強首相が、この中韓FTA協定をモデルとした三国間の日中韓FTAを構想していることです。
ところで、今月1日に開催された日中韓首脳会談の結果として、唯一、合意らしい合意として公表されたのは、日中韓FTA協定妥結に向けた交渉の加速化でした。日本国の経団連も賛意を示していると伝わりますが、この協定、三国の”共存共栄”となるのでしょうか。当協定には、懸念すべき点が幾つかあります。第一に、上述したように、近年の対中貿易は、資本財よりも消費財に比重が移りつつありますが、日本国から中国への消費財輸出の大きな部分を輸送機器、即ち、自動車が占めています。仮に、自動車分野が自由化対象から外されるとしますと、日本国のメリットは大幅に低下します。第二に、中国経済の特徴は、政府系企業が優遇されていることです。このため、国策として特定の製品分野に肩入れする行動が見られ、巨大企業による過剰生産は、国際市場における価格破壊の元凶ともなってきました。昨今の報道によりますと、次なるターゲットは液晶パネルとされており、中国製低価格製品の大量流入も予測されます。中国当局は政府系企業に対しては競争法の適用も甘く、かつ、有形無形の政府の輸出支援もあり得ますので、日本企業は、国内外の市場からの撤退を余儀なくされるかもしれません。一事が万事であり、日中韓自由貿易圏内では、競争条件が著しく中国に有利となる可能性があるのです。第三に、日本国を除く、中国と韓国は、依然として為替操作国であり、中国に至っては、人民元の相場は当局の管理下にあります。TPPでは、為替操作国対策が講じられましたが、日中韓FTAでは、両国が輸出拡大を目的とした自国通貨安を実施した場合、日本企業は不利な条件を強いられます。また、第四として、中国は、自国独自の通商ルールの国際的普及を目指しているわけですから、知的財産権の保護等についてTPPと同程度の高レベルのルールが設けられるとは限らず、ルールの質的劣化の可能性も否定できません。
以上に主要な懸念材料を挙げてみましたが、このような問題がある以上、日中韓FTAの交渉加速には疑問があります。中韓の結託により日本国が”一人負け”となる怖れもありますので、日中韓のFTAには、慎重であるべきと思うのです。
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南シナ海、ASEM会合で提起へ=岸田氏、独外相らと会談
昨日、親中派として知られる野田聖子議員が”南シナ海問題は日本には関係ない”とする旨の発言をしたところ、一斉に、世論の反発が起きることとなりました。擁護する意見は殆ど見られないのですが、この現象は、日本国民の大半が、この問題が国際社会全体の法秩序に関わる重大事であると認識している証でもあります。
日本国を含め、全ての国に対してシーレーンの安全を約束しているのは、国際法における航行の自由の保障です。一国でもこの原則を否定し、海域の囲い込みや妨害活動を始めますと、法による海洋秩序が崩壊し、全ての船舶の安全と航行が脅かされます。その被害は計り知れず、海洋法を基礎とした秩序を守ることは、国際社会全体の安全保障問題でもあるのです。この観点からしますと、国際社会の一員である日本国もまた、同盟国であるアメリカをはじめ、他の諸国と共に海洋安全保障に対して責任を負う立場にあり、この分野での活動に背を向けることは、国際社会に対する責任放棄を意味します。菅官房長官は、南シナ海における自衛隊の活動を将来的な検討課題と述べておりますが、南シナ海は、日本国のシーレーンに関わるのですから、率先して参加べきとも言えるのです。今日の軍事行動は、純粋なる”国権の発動”ではなく、国際秩序の維持の側面が強いのです。
従来の安保議論では、憲法問題に論点が移りこそすれ、海洋安全保障に関心が集まることはなかったものの、今般の”南シナ海の危機”は、集団的自衛権の行使容認に向けた政府解釈の変更、及び、安保関連法案の成立が、時宜に適っていたことを示しています。何故ならば、国際秩序全体を見据えた日米同盟と国際協力の強化、並びに、自衛隊の域外派兵の地理的範囲拡大を柱とする法整備があってこそ、南シナ海での米軍の”航行の自由作戦”への自衛隊参加や日米共同訓練の実施等が、政策オプションとして俎上に上げることができるからです。
マスコミ各社が実施した世論調査の結果によりますと、安保関連法案に対する支持率は依然として低く、国民の理解は十分には得られていないようです。しかしながら、抜き差しならない状況に至った”南シナ海の危機”は、安保法制の整備に対する国民の支持が上向く契機となるのではないでしょうか。否、実のところ、国民の多くは、既に内心においてその必要性を深く理解していると思うのです。
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「対話常態化への第一歩」=中台首脳会談で馬総統
1949年10月の中華人民共和国の建国以来、台湾の中華民国との間には、長らく首脳会談の場を設けることはありませんでした。その理由は、首脳会談を行えば、相手側を相互に”主権国家”と見なすことになり、”一つの中国”を主張する中国にとりましては不都合であったからです。
ところが、台湾での総統選挙を来年に控えた今月3日、台湾の総督府は、7日にシンガポールにおいて中国の習近平主席と中台首脳会談を開く予定にあると公表しました。マスコミの大方の味方によりますと、中台関係の安定を印象付けることで、来年の総統選において敗北が確実視されている国民党に梃入れをすることが目的のようです(仮に、この目的であれば、ソフトな脅迫路線…)。しかしながら、台湾国内では、若年層を中心に反中感情が渦巻いていますので、冷静に判断すれば中台接近策は”火に油”となり、逆効果が予測されます。にも拘らず、敢えて中台接近をアピールする背景には、別の意図が隠されている可能性があります。この点に関して注目すべきは、首脳会談に先立つ記者会見において、馬総統が、首脳会談の”常態化”に言及していることです。”常態化”とは、中台首脳会談の制度化を意味しており、来年の総統選における国民党の敗北も織り込み済みなのです。制度化に成功すれば、今回の首脳会談で然したる成果はなくとも、干渉ルートさえ確保できれば御の字なのでしょう。首脳会談の制度化は、先の日中韓首脳会談にも観察される中国の方針であり、独裁傾向の強い中国好みの手法でもあります。そして、敢えて華僑系の強いシンガポールが会談地に選ばれたのも、アジア一帯を見据えた”制度化”への野心の現れなのかもしれません(シンガポールは中国の”庭”?)。中国が目指す”制度化”とは、おそらく”偉大なる中華民族復興”の証としての”現代版冊封体制”の構築なのでしょう。
歴史上の冊封体制では、国家間の対等な立場での対話の仕組みを欠いていたこと、そして、今日にあっても、中国は、対話による合意を一方的に反故にする傾向にあることを考慮しますと、中国が中心に位置する”現代版冊封体制”とは、馬総統が説明するような”意思疎通のルート”ではなく、毎年定期的に、中国の意向や要求を属国に一方的に伝えるルートとなるかもしれません。”現代版冊封体制”の成立を阻止してこそ、アジアのより良き未来は開かれるのではないかと思うのです。
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中国に配慮、共同宣言案から「航行の自由」削除
マレーシアのクアラルンプルで開かれている拡大ASEAN国防相会議では、南シナ海問題をめぐる構成国間の対立が埋まらず、共同声明の発表も見送られる公算が高いと報じられております。当初の草案では、”航行の自由”の文言がありましたが、中国への配慮が原因のようです。
”中国への配慮”と言えば聞こえは良いのですが、順法精神を欠いた暴力主義国家への配慮は、違法行為の黙認を意味するのですから、後々、大きな犠牲を払う結末を迎えるものです。ヒトラーのヨーロッパ支配の野望を助長した”ミュンヘンの融和”は、たとえ時間稼ぎであったとしても、平和の名の下で独裁者に妥協した苦い教訓として歴史の語り草となりました。昨日公表された中国の「新五カ年計画」草案でも、「海洋強国」を建設する方針が示されており、その狙いが、”一路一帯構想”からも読み取れるように、南シナ海、否、東半球の海洋を中国の制海権が及ぶ”中国の海”と化すことにあることは疑い得ません。周辺に位置するASEAN諸国にとりましては、自国船舶の航行の自由が阻害されるのみならず、海路を支配されることで、政治・経済の両面において中国従属を余儀なくされる恐れもあり、切実な問題であるはずです。”中国への配慮”とは、突き詰めて考えてみますと、法の支配の放棄と暴力への屈服以外の何ものでもないのです。時にして、沈黙は、黙認という意味で抵抗よりも致命的な結果を招くこともあり、安易なリスク回避としての”配慮”は、隷従への道でもあります。
サラミ戦術を得意とする中国の戦略は、ASEANの結束を内部から弛緩させ、対中批判で一致団結させないよう分断を図ることなのでしょうが、中国の戦略の裏をかく賢明な策を講じないことには、ASEAN諸国は、中国の魔の手に易々と取り込まれてしまいます。”南シナ海の融和”は、自滅行為ともなりかねないのですから、全ての諸国を守る砦でもある国際社会の法秩序と自由を守るために、ASEAN諸国も、暴力主義の封じ込めに足並みを揃えるべきではないかと思うのです。
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「対日正常化を一歩先に」…韓国メディアが評価
昨日、韓国のソウルで開かれた日韓首脳会談において慰安婦問題の”妥結”の加速が合意された件について、マスコミ等では、ナショナリズムの視点を絡めた解説が多々見受けられます。しかしながら、日中韓三国のナショナリズムの性質は三者三様で、一括りにすることはできません。
近年の中国のナショナリズムとは、経済大国から軍事大国への道を歩むアジアの大国としての自負から発しており、国威の発揚や”偉大なる漢民族の復興”を目指すものです。共産党一党独裁体制に対する国民の不満や批判も、ナショナリズムを満足させれば解消できると見なしているため、常に外部に打倒すべき”敵国”を造る必要があります。このため、中国のナショナリズムは攻撃的であり、常に、国民に見せるための具体的な行動を伴う危険性があります。一方、韓国のナショナリズムは、劣等感の裏返し、あるいは、虚勢とも指摘されている歪んだ自己中心主義に特徴を見出すことができます。自らの面子を保つ、実利を得る、あるいは、上位の地位を得るためには、手段を選ばずに他国を貶めるため、中国とは違った意味での攻撃性や他害性があります。もっとも、自らを被害者として強調するのは、過去に惨めな境遇であったことをアピールして同情を引くためではなく、現在において、相手国に要求を飲ませるための”弱者の恫喝”作戦ですので、韓国ナショナリズムは、実利追求が最優先なのかもしれません。それでは、日本国のナショナリズムはどうでしょうか。マスコミなどでは、しばしば、中韓のナショナリズムには”格別の配慮”を示しても、日本国のナショナリズムについては無視するか、”偏狭なナショナリズム”として批判しがちです。おそらく、それは、日本国のナショナリズムは、中韓のナショナリズムに対する”対抗ナショナリズム”として、国民レベルで自然発生したことが原因していると推測されます。中韓による反日政策、特に、”歴史認識”の押し付けと国際プロパガンダ活動は、両国のナショナリズムに内包する攻撃性が日本国に向けられたことを示しています。日本国のナショナリズムは、政府主導でも、マスコミ主導でもなく、不条理で理不尽な誹謗と攻撃に対する自然な国民感情であるとも言えます。実際に、中韓、並びに、反日政策を継続している北朝鮮以外の諸国に対して、日本国が明示的に対抗的な反応を示すことは殆どありません。
日中韓の三国間のナショナリズムの性質が全く違うことを考慮しますと、攻撃型で共通している中韓のナショナリズムを満足させる解決とは、”日本国の敗北”とならざるを得ません。しかしながら、この解決策では、日本国のナショナリズムが強く反発しますので、”三国のナショナリズムの克服”という課題の”解”とはならないのです。中韓のナショナリズムの相互性が欠如した攻撃性、そして、愛国のためなら犯罪をも無罪とする過激性を考慮しますと、むしろ、両国のナショナリズムのあり方こそ是正を要するのではないかと思うのです。
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「慰安婦」交渉を加速=日韓首脳、関係改善で一致
日韓首脳会談を前にして、安倍首相に対し、韓国側は、慰安婦問題に関する謝罪を求めたと報じられております。謝罪は拒否したものの、当会談では、慰安婦問題について交渉を加速することで両首脳が合意したとも伝わります。
慰安婦交渉の内容とは、法的には1965年の「日韓請求権協定」で解決しているものの、人道的な配慮から日本国政府が、韓国人元慰安婦に対して何らかの支援策を実施するというもののようです。しかしながら、この”解決方法”では、日本国の名誉が傷つけられたままとなる可能性があります。何故ならば、史実を有耶無耶にしたまま、政治的妥協によって解決を図りますと、”政治的フィクション”が事実として固定化してしまう恐れがあるからです。河野談話も、虚実が入り混じった政治的妥協でしたが、少なくとも、占領地でもない朝鮮半島における”日本軍20万人朝鮮人女性強制連行説”は事実ではありません。朝鮮半島で起きた人道的問題とは、その殆どが朝鮮人慰安所事業者による募集時における”人身売買”なのです。しかも、慰安所は、募集時の経緯がどうあれ、衛生管理等から軍の監督を受けており、慰安婦にも比較的高いレベルの給与も支払われておりました。仮に、慰安所において”性奴隷”状態があったとすれば、それは、事業者による違法行為なのです。人道的支援とするならば、それは、あくまでも”人身売買”といった犯罪の被害者に対する特別の救済であり、1995年に設立した”アジア女性基金”と同質のものです。日本国内でさえ、犯罪被害者支援法が成立したのは2004年のことですので、日本国政府は、自国民より先に、アジア諸国の戦時犯罪被害者に対して救済の手を差し伸べているのです。この時、韓国の元慰安婦達の多くは、見舞金の受け取りを拒否しましたが、”アジア女性基金”の設立に際しても史実を曖昧にしたため、名誉が回復されるどころか、日本国は、その後も、韓国の国際的な”慰安婦プロパガンダ”に苦しめられることになりました。今般の”解決”も、厳正な史実の検証と確認を伴わないとなりますと、同じ誤りを繰り返すことになります。
韓国側は、韓国人元慰安婦の名誉回復には熱心ですが、日本国に対する名誉棄損については、どのように対処するつもりなのでしょうか。少なくとも、内外の慰安婦像の完全撤去、米教科書出版社への記事訂正の申し入れ、韓国教科書の記述削除、国際プロパガンダの中止、並びに、日本国に対する真摯な謝罪がない限り、日本国民が納得するとは思えません。日本国の不名誉だけが歴史に刻まれるような政治的妥協は、日本国の国民感情が許さないのではないかと思うのです。
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日中韓「未来志向」確認へ…3年半ぶり首脳会談
本日、日中韓首脳会談が韓国のソウルで開かれ、3国の首脳が揃って顔を合わすのは3年半ぶりとなるそうです。日中関係、及び、日韓関係とも冷え込んでいただけに、関係改善への期待も寄せられていたようですが、報道によりますと、何れの関係の雲行きも怪しくなってきているようです。
日中韓首脳会談の開催については、昨今、対中関係の悪化が表面化しつつも、アメリカからの強い支持があったと指摘されております。朴大統領の訪米時に際しても、オバマ大統領は、韓国の対中接近に釘を刺すと共に、日韓関係の改善について念を押していました。ところが、実際に日中韓首脳会談が開かれてみますと、事前の予想とは、かなり違った様相を呈しています。中韓関係をみますと、中韓FTAの年内発効目標、人民元建てでの韓国国債の発行、上海での人民元・ウォン間の直接取引市場の開設…など、中国の国策に沿った合意が目白押しであり、三カ国首脳会談は、中国による韓国取り込みの場と化したかのうようです。一方、日本国に対しては、会談の日程からして中国の横槍で一方的に変更されるなど、韓国側の冷淡な対応が目立っています。条件なしの首脳会談を求めてきた日本国政府が、慰安婦問題に拘る韓国側の不条理な要求を拒絶したこともありますが、日韓関係は、この会談を機とした一層の悪化も予測されるのです。
日中韓首脳会談の一連の動きを観察しますと、先の9月3日に中国で催された対日戦勝70周年記念行事の場で、中国主導の下、中韓の二国で当会談の開催が決定されたのは、日本国を招き入れることで、アメリカを刺激することなく韓国を取り込むためのカモフラージュとするか、あるいは、韓国のみならず、あわよくば日本国をも取り込むチャンスとしたい中国の思惑があったのではないか、とする疑いがもたげてきます。来年は日本国が主催国となるそうですが、日本国政府は、中韓の思惑への警戒を怠らず、戦略の抜本的な練り直しも検討すべきではないかと思うのです。
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