万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

河野行革相の提言-移民問題の結論は既に出ているのでは?

2015年11月10日 17時06分50秒 | 国際政治
移民受け入れ「慎重に」=菅長官
 初の入閣を果たしたものの、過去の炎上事件もあって、国民からの信頼を勝ち得ているとは言い難い河野行革相。その河野行革相が、先日、”移民問題を議論する覚悟が必要”と述べたと報じられております。

 この発言に対しても、批判が寄せられておりますが、実のところ、移民問題は、日本国でも、既に十分すぎるほどの議論が行われており、結論は既に出ているのではないでしょか。諸外国の事例や数年前より続く賛否両論の議論を通して明らかになったことは、経済界は、安価な労働力であれ、高度人材であれ、移民の受け入れには賛成であり、政界もまた、基本的には受け入れ派が多数であるということです。違いがあるとすれば、高度人材に限定するのか、否か、という対象範囲に過ぎません。移民受け入れの応援団には、マスコミもいます。一方、日本国民の側はどうかと申しますと、これは、圧倒的に反対意見が多いようです。移民の増加による社会現象としては、治安の悪化、テロの懸念、民族間、あるいは、国家間対立の国内化、社会的分裂の発生、社会保障費の増加、賃金の低下、産業スパイの可能性、伝統や歴史への介入…などが報告されており、何れもマイナス面ばかりです。言い換えますと、移民受け入れで利益を得る側は賛成し、負担を押し付けられる側は反対しているのです。この二項対立は、当然と言えば当然であり、たとえ、少数派となる賛成派が、多数派である反対派に対して熱心にプラス面を説いたとしても簡単に解消されるとは思えず、結局は、時間をかけて議論したとしても平行線を辿るものと推測されるのです。

 この視点から河野行革相の発言を振り返りますと、国民に対して移民を受け入れるよう”覚悟”を促しているように聞こえます。しかしながら、シリア難民の無制限受け入れを表明したドイツの混乱ぶりを見れば、国民世論無視の政策決定が解き難い問題を残すことは疑い得ないことです。移民問題は、国民に対して、日常的、かつ、直接に影響を与えますので、国民世論を無視することは民主主義の原則に反するのです。ロボット技術の発展等を考慮しましても、日本国では、移民の大量受け入れは到底無理であり、国民が納得し得る範囲に限定せざるを得ないのではないかと思うのです。

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コメント (2)
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