万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”チャイナ・ファースト”が”グローバリズム”という厳しい現実

2017年01月16日 13時55分18秒 | 国際政治
習氏のスイス訪問に抗議、活動家32人を拘束
 今年のダボス会議、即ち、世界経済フォーラム年次総会には、珍しくも中国の習近平国家主席が出席すると報じられております。議中国は共産主義国家ですので、奇妙な取り合わせに見えるのですが、中国トップの同会議への出席こそ、”チャイナ・ファースト”が”グローバリズム”であるという厳しい現実を物語っております。

 ダボス会議とは、いわば、グローバリズムの象徴とも言うべき存在であり、同会議で合意された方針に従うかのように、これまで、世界規模でのグローバル化政策が推進されてきました。中国の正統イデオロギーであり、プロレタリアート独裁を掲げる共産主義の立場からすれば、”階級の敵である資本家の集まり”なはずなのですが、習主席は、平然と同会議にはせ参じているのです。それもそのはず、”グローバリズム”こそ、中国にとりましては、”チャイナ・ファースト”の政策であるからです。

 企業間競争の場である市場では、規模は重要な意味を持ちます。家内工業による手工芸品が価格面において工場生産の大量生産品に太刀打ちできないように、”規模の経済”が働くほど価格競争力は増して行くからです。この”規模の経済”の観点からすれば、”グローバリズム”に住む勝利の女神は中国に微笑むかもしれません。13億の市場規模は、インドと並んで圧倒的な強みとなるからです。近い将来、中国企業は、13億の国内市場で実現した競争力を武器として、全世界の市場を席巻することも夢ではないのです。しかも、”グローバリズム”は、13億の人口を移民として歓迎してもくれます。中国の企業の多くは政府系ですので、利権独占団体である共産党にとりましても、”グローバリズム”こそ富の源泉となるのです。

 19世紀中庸に絶頂期を迎えた自由貿易主義体制は、産業革命がもたらしたイギリスの圧倒的な競争力を背景としていたことは疑いなきことです。第二次世界大戦後の自由貿易体制の構築も、アメリカの飛び抜けた工業生産力を抜きにしては語ることはできません。競争力において一歩リードする国が自由貿易体制の旗振り役であった歴史を振り返りますと、今日、中国が、グローバリズムの牽引役を買って出ているのも不思議ではありません。トランプ次期政権の保護主義的傾向に対する危機感からか、イギリスの経済紙には、”中国に自由貿易体制の擁護者の役割を期待する”といった内容の記事も掲載されたそうです。

 もっとも、中国の台頭は、自由貿易主義やグローバリズムが”自明の理”と見なされながら、その実、競争力に優る国の国策、あるいは、その背景に潜む一部経済勢力の願望であったとする、認めたくない現実を直視するきっかけとなるかもしれません。兎角にグローバリズムとナショナリズムは対立構図として描かれますが、両者が一体化するケースがあるとする認識は、強者必勝の論理に基づく経済体制を是正する方向へと働くかもしれないのです。果たして、ダボス会議では、参加者達は、”チャイナ・ファースト”の”グローバリズム”の登場に拍手を送るのでしょうか。

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自由貿易理論の盲点ー国際基軸通貨米ドルの存在

2017年01月15日 15時01分19秒 | 国際経済
 古典的な自由貿易理論のもう一つの問題点は、決済通貨に関する視点が欠如していることです。戦後経済にあって、日本国は、最も自由貿易主義の恩恵を受けた国の一つですが、高度成長期を経た経済大国化は、最大の貿易相手国がアメリカであったことと無縁ではありませんでした。

 国内の論調では、日本国の経済大国化の要因は、主としてWTO(GATT)を枠組みとした自由貿易体制そのものに求められています。それ故に、トランプ新政権で予測される関税の引き上げ、国境税、仕向地法人税といった税制改革には、特に神経を尖らせています。その一方で、比較生産費説を無視したためか、通貨面の影響については過小評価しがちです。

 戦後のブレトンウッズ体制(固定相場制)において、米ドルが国際基軸通貨であり、かつ、貿易決済通貨が米ドルであったことは、対米輸出国にとりましては、またとないチャンスとなりました。米ドル中心の同体制では、輸出に有利なドル高に固定されている上に、金・ドル本位制の下で、国内におけるマネー・サプライの飛躍的な増加をももたらしたからです。つまり、日本国は、対米貿易で得た米ドルを梃として、内需と国内投資の拡大、並びに、それを支える資源や原材料の輸入、さらなる技術革新による産業の高度化と輸出拡大…という好循環を経験したのです。仮に、貿易相手国が国際基軸通貨の発行国である米国ではなく他の国であれば、これ程急速に経済成長を遂げることはできなかったことでしょう。

 ブレトンウッズ体制は固定相場制であったため、為替相場の変動による自律的な輸出入調整力は働かず、結局、70年代には、米ドルの金兌換停止により崩壊します。その後、国際レベルでは変動相場制、国内レベルでは管理通貨制度へとそれぞれ移行しますが、製品輸出の競争力から日本国の対米輸出の勢いは衰えず、依然として続いていた円安相場が問題視されるに至ります。そして、円高を容認した1985年のプラザ合意、並びに、その後バブル崩壊と長引く景気低迷ほど、国際通貨制度、並びに、為替相場の影響力を如実に物語るものはないのです。関税率は全般に低下傾向にあるにも拘わらず、日本経済は、なかなか再浮上しない状況にあるのですから(中国等の輸出攻勢による輸入デフレも発生…)。

 この間、自由貿易を越えて経済のグローバル化も進展し、関税問題に加えて産業の空洞化や移民問題も持ち上がるようになりました。TPPやRCEPについて、日本国政府は日本経済復興への起爆剤として期待をかけているものの、高度成長時代とは国際通貨制度も国際通商制度も異なるのですから、成功体験は仇となり、全く違った結果が待ち受けているかもしれません。

 そして、行き過ぎたグローバリズムに対する懐疑が示すように、国際経済体制の問題は日本国に限ったことでもありません。固定観念に囚われずに既存の全ての制度に再検証を加えた上で、全人類の向上に資するべく新たな道を探るべき時が、今日、訪れているように思われるのです。

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本当は無慈悲な自由貿易理論ー”余地を残す”発想が必要では?

2017年01月14日 14時07分22秒 | 国際経済
 古典的な自由貿易理論は、貿易関係にある二つの国が、相互に相対的に低いコストで生産できる分野に生産を特化すれば、自然に両国はウィン・ウィン関係に至ると説いています。比較生産費説は、予定調和説、あるいは、自然調和説の一つですが、良く考えてみますと、この理論、かなり無慈悲なのです。

 自由貿易におけるウィン・ウィン関係は、確かに、双方の優位産業だけを見れば、まさにその通りとなります。しかしながら、劣位産業を見れば、これらの産業は、双方ともに”淘汰”が運命づけられています。”淘汰”とは、劣位産業が根こそぎに壊滅することを意味しますので、これらの産業に従事している人々は失業者となり、生産地もまた廃墟と化すことになるのです。自由貿易主義を全面的に受け入れることは、双方の国が、淘汰をも受け入れることに他ならないのです。

 自由貿易主義を総論では支持しつつも、通商交渉において各国が火花を散らすのは、自国内に淘汰産業を見殺しにできないからです。日本国であれば、特に農産物部門が、アメリカであれば、製造業全般が淘汰産業となるかもしれません。第二次世界大戦後に自由貿易体制を構築しつつも、アメリカの保護主義は、トランプ政権の誕生に始まるのではなく、既に70年代後半頃において表面化しています。その後、多国間の自由貿易協定であるNAFTAの成立によって保護主義的な色彩が一旦薄らぎましたが、多国間型の自由貿易においても”淘汰問題”に直面すると共に、グローバル化に伴う企業の移転問題や中国製品の氾濫も加わり、アメリカでは、自由貿易主義に対する懐疑が強まる結果を招いていると言えるかもしれません。

 結局、自由貿易における不均衡問題は政治的に解決するしかなく、80年代の日本国は、自国に不利な為替政策の受け入れ、輸出の自主規制、現地生産、内需拡大によって貿易摩擦を凌ぎました。自由貿易を越えて市場統合にまで歩を進めたEUにおいて、ドイツの”一人勝ち”を前にして、財政統合が求められるのも、不均衡問題の解決を、財政移転に求めているからに他なりません。そして、今日、トランプ次期大統領は、辣腕を発揮して企業への経営介入を強めと共に、あらゆる政策を総動員することで、貿易不均衡を是正しようとしているのです。

 自由貿易理論はグローバリズムの一角をなしていますが、これらの理論が批判を浴びるのは、有無も言わさずに淘汰を肯定するその”無慈悲”さにあります。となりますと、グローバリズムの修正を考えるに際しては、全ての諸国に対する”思いやり”、あるいは、生存の尊重をルール化する必要があるのかもしれません。例えば、その一つは、優位側による根こそぎの淘汰を制御し、各国に一定の”余地を残す”というルールです(ただし、WTOでの協定改定が必要かもしれない…)。言い換えますと、外国企業や外国製品による100%の市場占有を許さず、ある程度のシェアを国内企業向けに確保するというものです。このルールですと、途上国にも、外資を導入しつつも自国企業に発展の余地が残りますし、先進国にあっても、完全淘汰による失業問題を回避することができます。そして、二国間、あるいは、多国間の通商交渉であれば、強引に関税ゼロの自由化を原則として推し進めるのではなく、どの分野でどの程度の”余地を残す”のか、という問題をめぐる交渉となります。

 こうした保護型のルールは競争法においては一部実現していますが、一定の余地が残されるとなれば、弱肉強食の世界と化しつつあるグローバリズムも、より国内経済と調和した姿に変貌することができるのではないかと思うのです。

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修正グローバリズムの先駆者であった日本国

2017年01月13日 13時34分32秒 | 国際経済
アマゾン、米国内で10万人超の雇用創出へ 今後1年半で
 トランプ次期大統領の保護主義的な通商政策については、世界各国において強い警戒感が広がっております。期待を寄せていたTPPが頓挫しそうなことから、特に日本国内でも反発が強く、自由貿易主義を守れの声で溢れています。

 しかしながら、よく考えてみますと、日本国こそ、世界に先駆けて、既に自由貿易主義の軌道修正を実施した国ではなかったのかと思うのです。1970年代後半から1980年代前半にかけて、日本国は、”ジャパン・アズ・ナンバーワン”と称せられるほど、破竹の勢いで世界経済のトップランナーの地位を駆け上がりました。半導体産業を牽引すると共に、日本製品は圧倒的な輸出競争力を誇り、日本人によるニューヨークのエンパイア・ステイト・ビルディングの買収は、その象徴ともされたのです(現在、同ビルはトランプ氏が共同所有者…)。ところが、1985年のプラザ合意を境にバブルが発生し、その崩壊と共に日本経済は低迷期を迎え、今日に至ります。

 円高を容認した1985年のプラザ合意は、アメリカ政府にとっては為替政策による対応であったわけですが、日米貿易摩擦は、結局、日本側の譲歩により凡そ決着します。自動車摩擦については、アメリカ国内の現地生産、並びに、日本車の輸出自主規制によって解決が図られ、半導体に関しては、1986年の日米半導体協定の締結によって、一種の管理貿易とされたのです(同協定は、アメリカ半導体メーカーの競争力回復により96年に「世界半導体会議」の設立を以って終了)。この一連の出来事は、日米両国、並びに、国際社会に幾つかの教訓を残しています。

 第1に、理論と現実とは違い、自由貿易主義体制では、必ずしもウィン・ウィン関係とはならないことです。競争力に優る国による”一人勝ち”もあり得ることです。

 第2に、貿易不均衡は、敗者側となった国の強い反発を招き、勝者側に対するバッシングの要因となります。今日でも、アメリカは、米ドルが国際基軸通貨の為にデフォルトの懸念はありませんが、巨額の貿易赤字を抱えています。80年代のアメリカと同様に、相手国は違っていても(現在、最大の貿易赤字相手国は中国…)、現行の自由貿易体制の見直しを強く求めることは十分に予測されます。

 第3に、貿易不均衡による防衛摩擦が発生した場合、是正のための何らかの措置を必要とすることです。自然調和を信じる従来の自由貿易理論は、この問題に対する有効な解答を準備しておらず、この時は、実際に紛争が発生した際の具体的な対応策は、当事国間の交渉を通じて策定せざるを得ませんでした。

 そして、当事の日本側の対応を見る時、そこには、行き過ぎたグローバリズムという今日的な問題を解決する上でのヒントをも見出すことができます。それは、第1に、現地生産によって相手国の雇用問題を解決する、第2に、相手国ライバル企業を完全に淘汰しないよう、一定の配慮を行う(日本の場合は輸出の自主規制)、第3に、相手国が対等な競争力を付けた時点で(競争条件の平準化)、グローバルレベルでの公平なルール化を図るとするものです。また第4としては、国内的には輸出依存の経済体質を改め、内需拡大に努めた点も挙げられます。

 日米貿易摩擦の経緯を振り返れば、TPPの成立は、政治的圧力や制約を受けることなく輸出できるわけですから、日本経済にとりましては悲願とも言えるかもしれません。しかしながら、現在の日本国は、中国等の新興国の台頭により、むしろ当時のアメリカと同じ追われる立場にあることに加えて、未知の世界である多国間の自由貿易協定では、様々な側面における国家間格差が、米メキシコ関係に見られるような深刻な問題をもたらします。最も早く戦後の自由貿易体制の限界に直面し、かつ、勝者と敗者の両方を経験した国であるからこそ、日本国は、今日の行き過ぎたグローバリズムの修正問題についても、効果的な方策を提言すべく、知恵を絞ってゆくべきではないかと思うのです。

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国境の内外調整機能の再確認をー行き過ぎたグローバリズムの修正

2017年01月12日 14時04分02秒 | 国際経済
NYダウ平均株価 トランプ次期大統領会見中に大きな変動
 生物には、細胞膜や細胞壁があり、有益なものは取り入れる一方で、外部から有害物などが侵入しなよいう常に内外の出入りを調整しています(選択的透過性)。この内外調整機能が働かなくなると生物は死滅するのですが、今日の国境をめぐる問題を見ておりますと、つい、この生物の仕組みが頭に浮かびます。

 1980年代以降に加速化した経済グローバリズムは、国境の開放によるあらゆる要素の移動自由化が目標とされました。EUは、まさにこの理想追求のトップランナーであり、市場統合プロジェクトに伴って、もの、人、サービス、資本の自由移動が促進されました。EUレベルではないにせよ、改革開放路線を選択した中国を含め、凡そ全世界の諸国がこの波に乗り、国境を低くする方向へと邁進したのです。日本国内でも、”第二の開国”なる言葉も聞かれました。

 しかしながら、もの、人、サービス、資本はそれぞれ性質が違いますし、移動性にも強弱あります。しかも、生体と同様に、一旦、内部に取り込まれますと、国内に甚大な影響を与える場合も少なくありません。経済面を見れば、製造拠点の移転や外国人労働者の絶え間ない移入により雇用が破壊されたり、外国製品の大量輸入によって自国の企業が淘汰される場合もあります。また、社会面を見れば、不良外国人が移民や難民として内部化されれば当然に治安は悪化しますし、善良な外国人であったとしても文化や慣習の違いから摩擦が生じ、社会的な分裂をもたらすことでしょう。政治分野に至っては、工作員やスパイ天国ともなりかねないのです。

 筋金入りのグローバリストから見ますと、国境とはあってはならない絶対悪なのでしょうが、この見方も、偏狭すぎるように思えます。国境の消滅を要求することは、人間社会の維持に不可欠な機能を担ってきた国家に対して死を要求するに等しいからです。自由化一辺倒に流れるよりも、今一度、国境の内外調整機能を再確認し、相互に安全や安定を確保できる範囲での、国家間の違いに配慮した国境調整を相互に認め合う方が、より調和的な共存共栄の世界により近づくことができるのではないでしょうか。

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”少女像”の年齢は幾つなのかー垣間見える韓国の矛盾

2017年01月11日 14時20分48秒 | 国際政治
「少女像」対立、米が仲介へ ケリー氏、電話会談を検討
 釜山の日本領事館前に設置されてしまった慰安婦像については、近頃、名称を”少女像”として報じる記事が増えてきました。慰安婦像は、アメリカをはじめ、世界各地で韓国系支援団体が設置を試みており、一種の視覚的イメージ戦略のための偶像です。それでは、この少女は、一体、幾つなのでしょうか。

 大半の人々は、その髪型やあどけなさが残る表情から、ようやく十を越えたくらいの年齢に見えるのではないでしょうか。”少女像”には絶大な効果が期待されています。慰安婦像を敢えて”少女”として表現したことで、朝鮮半島の無垢な少女たちを慰安婦として戦地に強制連行した日本軍の非道性を人々の視覚に訴えているからです。少女の像を見る者の頭には自然と”非道で残酷な日本軍”のイメージが湧き、幼気な少女に同情を寄せることでしょう。しかしながら、この”少女像”は、史実を正確に描き出しているのでしょうか。

 韓国側の主張に拠りますと、戦時期の朝鮮半島では、日本軍による”慰安婦狩り”が行われ、未成年の少女たちも強引に連れ去られとされています。ところが、慰安婦とは、日本国内であれ、朝鮮半島であれ、その募集は事業者によるものです。法律によって就業年齢が定められており、日本国内では、戦時にあっては満16歳以上であり、朝鮮半島でも、その募集広告を見ますと、18歳、あるいは、17歳以上と記されています。となりますと、少女として制作されている慰安婦像の年齢とは合わず、この像は、慰安婦の実像とはかけ離れているのです。

 それでは、一体、何故、慰安婦像は少女の姿をしているのでしょうか。その一つの理由は、韓国側が、慰安婦ともう一つの”日帝による被害”と主張する戦時動員の一環であった女子勤労挺身隊とを意図的に混合していることにあります。高崎宗司氏の研究調査(「「半島女子勤労挺身隊」について」)によれば、朝鮮半島では、1944年4月以降に女子の動員が始まり、静岡県や富山県など、日本国内の工場で兵器等の生産に当たったそうです。もっとも、この動員も強制ではなく募集であり、その総数は、最大に見積もっても4000名程であったそうです(確認できるのは2350から2450名)。そして、ここで留意すべきは、朝鮮半島から出勤した挺身隊は国民学校6年生以上の生徒や学生であり、最も低い年齢では、少ないながらも11歳という少女が含まれていることです(73名中3名あるものの、日本国内で勤務したかは不明…)。つまり、”少女像”は、慰安婦像ではなく、「女子挺身隊像」と呼ぶ方が史実に対しては誠実ということになります。

 そして、”少女像”の実態が女子挺身隊であるとしますと、韓国の主張には重大な矛盾が生じます。それは、工場勤務の女子挺身隊の募集が実施されるさ中、20万人もの女子を慰安婦として強制連行することは凡そ不可能であることです(女子挺身隊は、戦場に連行されなかったごく少数の幸運な人々であったことに…)。韓国は、女子挺身隊を認めれば、慰安婦の強制連行説を否定せざるを得ないという自己矛盾に陥っているのです。挺身隊から慰安婦にされたとする”証言”もありますが、それは、事業者に騙されたり、戦災の混乱によるものであったりと、どれも日本政府や日本軍による強制ではありません。”少女像”の名称は、図らずも、韓国の主張に潜む矛盾を露わにしているように思えるのです。

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皇室財産と東宮家スキャンダルの真偽

2017年01月10日 14時14分40秒 | 日本政治
【天皇陛下の譲位】新元号は平成31年元日から 皇室会議を経て閣議決定へ 法案提出は今年5月連休明け
 一つの情報が、人々の判断や評価を180度変えてしまうという現象は、一般社会でもしばしば見られる現象です。長年の信頼関係が、一瞬にして崩壊してしまうこともあるのです。

 情報の威力を考慮しますと、その真偽の如何が重要であることは言うまでもないのですが、殊、皇室の問題となりますと、事態はさらに深刻となります。そして、目下、今上天皇の譲位(生前退位)問題と同時に広まっている東宮家に関する情報は、皇室の存続まで左右しかねない破壊力があります。スキャンダル情報の一つは、東宮妃の岳父である小和田恆氏が、スイスの銀行に眠る天皇家の財産を横領しようとし、スイスで軟禁されたというショッキングなものです。ネット上では、既に拡散されており、おそらく、この記事を目にした国民も少なくないはずです。仮に、このニュースが事実であれば、二つの側面から天皇家にとりまして致命的な打撃となります。

 第一の側面は、横領の実行犯が東宮の姻戚であることです。このことは、日本国民の皇室に対する清廉潔白なイメージを根底から崩壊させると共に、今後、国民の多くは、皇室を複雑な眼差しで眺めることでしょう。将来の”天皇・皇后”は、犯罪被害者と加害者という組合せなのですから(小和田氏の単独犯とは思えず、おそらく、東宮妃を含む組織的な協力もあったはず…)。皇室のメンバーや姻族には、法律上、不逮捕特権は認められていないにも拘わらず、それでも罪に問われないとなりますと、国民も納得しないことでしょう。

 第二の側面とは、皇室が隠し財産を保有しているという問題です。スイスの銀行口座の額は8兆円にも上り、日清戦争に際しての賠償金の一部であるとする説もありますが、戦前の皇室が、莫大な資産を有していたことは事実です。日本銀行や横浜正金銀行の株式のみならず、民間企業の多くも会社設立に際して株式を献上しており、その他、全国各地に御料地も保有していました。戦後は、GHQの方針により、国有財産とされたのですが、仮に、密かにスイスに銀行口座を設け、その預金額が8兆円にも上るとしますと、国民は、どのように思うでしょうか。また、皇室経済法では、皇室の財産の処分に関しては国会の議決を要するなど、厳しい制限が課されていますが、隠し財産が存在する場合、それは、本来、国家財産なのではないか、とする問題も提起されるはずです。

 何れにいたしましても、2年後に迫る譲位とは、即ち、東宮の登極を意味します。日本国政府は、既に事実関係を知っているはずですが、何の対応もありません。その一方で、皇室経済法の改正も検討課題とされており、水面下では、皇室財産に関する何かが進行している気配もあるのです。

 事実であれば、政府の対応は、皇室の崩壊を恐れて隠蔽する、あるいは、事実を誠実に開示し、国民に判断を委ねる、の二つに分かれるのでしょうが、今日の日本国民は、既に皇室に関するマイナス情報に接していますので、後者を望むのではないでしょうか。少なくとも、この事件を放置したまま平成30年を以って代替わりを急ぎますと、皇室からの民心の離反は深刻な状況となるのではないかと思うのです。

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対北強硬策への転換ートランプ次期大統領が”スーパーマン”になる日?

2017年01月09日 14時18分31秒 | 国際政治
ICBM、いつでも発射可能=「最高首脳部の決定次第」―正恩氏誕生日に北朝鮮
 北朝鮮の金正恩氏は、自らの誕生日を迎えるに当たり”ICBMはいつでも発射可能”と宣言し、トランプ政権の発足を前にして強気の姿勢を見せております。果たして、このアメリカに対する核の脅迫は、北朝鮮の思惑通りの効果を上げるのでしょうか。

 北朝鮮の挑発的な発言に対して、アメリカ政府は、たとえ北朝鮮がICBMの発射実験に踏み切ったとしても、ミサイル迎撃システムを以って撃ち落とす方針を示しています。しかしながら、暴力と恐怖のみが国をも人もを動かすと信じている北朝鮮に対しては、ミサイル迎撃による対応では、実験を思い止まらせる効果は薄いと推測されます。何故ならば、たとえ実験用のICMBを撃ち落とされても”金王朝”が揺らぐわけでもなく、北朝鮮にとりましては痛くも痒くもないからです。おそらく、何度でも懲りずに実験を繰り返すでしょうし、核・ミサイル開発、並びに、対外要求の手段としての脅迫を止めることはないことでしょう。

 それでは、どのようにしたら、北朝鮮の脅威を取り除くことができるのでしょうか。北朝鮮の暴力思考からしますと、ミサイル迎撃による対応を表明だけでは事足りず、アメリカ側も、北朝鮮に対し自国が保有するICBMの使用の可能性を示すといった強硬な手段が必要となりましょう。北朝鮮は、”いつでも発射可能”と嘯いていますが、一方のアメリカは、その数百倍もの核攻撃能力を有しています。しかも、軍事技術大国であるアメリカのミサイル命中の精度は、北朝鮮の比ではありません。地下施設であっても、ピンポイント式で攻撃目標を瞬時に破壊することも可能とされています。少なくとも、暴力と恐怖の信奉者である北朝鮮に対しては、それに上回る正義の力を示し、畏怖を与える必要があるのです。

 オバマ大統領の任期は残り僅かですので、対北政策の重要な決定は困難でしょうが、トランプ政権が本格的に発足した後には、北朝鮮に対する政策も大胆に転換する可能性もあります。北朝鮮が絵に描いたような無法者の悪徳国家であり、その非人道的な独裁体制が国際社会から厳しく批判されている現状からしますと、対北強硬策によって、トランプ次期大統領は、邪悪と闘う”スーパーマン”として、拍手喝采を浴びるかもしれないと思うのです。

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慰安婦像は日韓相互無理解の象徴

2017年01月08日 13時58分11秒 | 国際政治
予算成立まで解散考えず=慰安婦問題「韓国は誠意を」―安倍首相
 韓国釜山の日本領事館前に新たに慰安婦像が設置されたことから、俄かに日韓関係の雲行きも怪しくなってきました。もとより予測されていた展開ですが、釜山の慰安婦像は、日韓間における相互無理解を象徴しているかのようです。

 凡そ1年ほど前に日韓合意が成立した際には、事実関係を有耶無耶にしたままでの幕引きに対して日本国側からも不満がありました。朝日新聞社の記事撤回やネット上の情報拡散等により、既に慰安婦の実像が明らかにされておりましたし、国際社会でも、韓国の主張に疑いを挟む向きも少なくなかったからです。しかしながら、日本国政府としては、対中政策を睨んだアメリカ政府からの要請もあり、不本意ながらも日韓関係の修復に動くことになりました。この日本国側の”譲歩感”は一種の甘さとなり、”日本国がここまで譲歩するのであれば、韓国側も、誠実に合意内容を履行するであろう”とする楽観的な見通しを抱く原因となったと推測されます。

 一方、日韓合意については韓国世論の反発の方が遥かに強く、朴大統領弾劾を機とした政府批判と相まって、今日の釜山の慰安婦像設置に至ることとなります。韓国側は、日本国政府の譲歩を譲歩とは解さず、”狡賢い責任逃れ”、あるいは、”支援額が少なすぎる”と見るからです。日本国政府からの10億円の支援金支出は、韓国側にとりましては、日本国が韓国の所謂”日本軍20万人慰安婦強制連行説”の主張を認めた”証し”であり、認めた限りは、日本国側に法的責任を認めた上での謝罪をさせ、莫大な賠償金を支払わせないことには気が済まないのでしょう。韓国側の執念深さと行動力は、淡白な日本人の想像を絶しています。韓国側は、日本国とは全く別の意味で有耶無耶な幕引きに憤っているのです。

 日本側の一方的な対韓配慮が裏目に出るのはこれが初めてではなく、この展開は、これまでも何度となく繰り返されています。日韓関係については、常々相互理解が喧伝されていますが、現実には、日韓の相互無理解が解消されないままに今日に至っているのです。韓国の次期政権では正式な慰安婦合意の破棄もあり得ますので、真に相互理解に基づく解決を求めるならば、日本国政府は、韓国の国柄や国民性を十分に理解し、安易な配慮型の解決には限界がある現実を見据えるべきではないでしょうか。アメリカの政権交代によって日韓間のクッションが不在となる可能性もあり、日本国政府が事実に基づく司法解決を準備する段階は、いよいよ近づいているのかもしれません。

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自由貿易ルールは悪法では?-発想の転換を

2017年01月07日 14時06分39秒 | 国際政治
国境の壁費用、まず米国が負担しメキシコに請求=トランプ氏
 ”アメリカ・ファースト”を掲げるトランプ次期アメリカ大統領に対しては、政府からも、マスメディアからも、”保護主義反対”の大合唱が起きています。貿易ルールを守ろうとしない態度は、法の支配に対する脅威でもある、と…。

 確かに、トランプ氏の手法は、WTOやNAFTAにおいて定められた今日の自由貿易ルールを無視しています。大統領令によって突如として35%や45%といった高率の関税がかけられたならば、メキシコといったNAFTA加盟国のみならず、影響を受ける全ての諸国の政府から訴えられる可能性もあります。NAFTAの枠組みであれば、一般の民間企業にも訴訟を起こす権利が認められていますので、アメリカ政府は、莫大な数の訴訟を抱え込むかもしれません。

 それでも、なおも、トランプ政権が、関税障壁を高めることで自国民の雇用を守ろうとするならば、WTOやNAFTAからの撤退も止む無しとなるのですが、こうした事態に陥ったのも、そもそも、自由貿易ルールなるものが、”悪法”であったからではないかと思うのです。実のところ、自由貿易ルールとは、”自由放任”を約するという奇妙なルールであり、様々な権利の衝突を調和させ、相互に一定の範囲で権利を保護し合うというルールの本質からは逸脱しています。従来の自由貿易ルールとは、ダンピングや政府補助の禁止を例外として、”例外なき関税障壁の撤廃”に加え、EUが先鞭をつけたように、”もの”に留まらず、サービス、人、資本…の移動自由もルールとして定めようとしてきました。あくまでも、国境におけるあらゆる障壁の除去こそが”ルール”とされたのです。しかしながら、こうしたルール化には、自由化によって被害や損失を受ける人々の利益や権利は無視されており、自由化の果実は均霑されることなく、今日、一般の人々の不満と不安を高めることとなりました。この側面に注目すれば、自由貿易ルールの概念を再定義し、発想を転換させる必要がありそうです。つまり、ルールを本来の姿に戻し、問題設定を”どこまで自国や自国民の権利や利益の保護をお互いに許すのか”に変えるのです。

 トランプ氏も、拳を振り上げて大統領権限で関税率の大幅な引き上げを以って脅すよりも、自由放任を許し、弱肉強食の世界に至る今日の貿易ルール、あるいは、自由化ルールが悪法であることを訴え、その改革を提案した方が、余程、アメリカのみならず、全世界の人々からの賛同を得られるのではないかと思うのです。

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自由貿易圏は経済格差が大きいほど高リスクでは?

2017年01月06日 09時35分12秒 | 国際経済
トランプ氏、トヨタを批判=メキシコ新工場なら「巨額課税」―日本企業で初標的・米
 反グローバリズムを掲げるトランプ次期大統領は、米企業フォード社に対してメキシコでの新工場建設を断念させるに留まらず、遂に、日本企業のトヨタにも、名指しで同様の措置を求めたと報じられております。NAFTAに関連する動きが顕著となりましたが、ここで、何故、NAFTAがここまでアメリカの次期政権から攻撃されているのか、考えてみる必要がありそうです。

 この問題は、NAFTAに限ったことではなく、EUにおいても共通しています。イギリスのEU離脱も無縁ではなく、EUの単一市場にも自由貿易圏が組み込まれているからです。実のところ、NAFTAとEUを観察しますと、紛争の発生国において一つの共通点を見出すことができます。それは、経済レベルの格差が大きい国の間においてほど、特に深刻な対立が生じている点です。

 NAFTAでは、アメリカとカナダとの間では、農産物、木材、水資源等をめぐる摩擦や外資によるM&Aに対する批判は生じていますが、一先ずは訴訟合戦の段階に留まっています。米加の両国を比較しますと、1人当たりのGDPにそれ程の開きがない一方で(2015年のIMF統計で米:56,084int$で11位、加:45,602int$で21位)、人口は、アメリカが圧倒的に規模が大きく(2017年の米:約3億2千万で3位、加:3千6百万で38位)、領域の広さについては、米加両国とも同程度の面積を誇っています(両国とも990万km2を越える)。

 それでは、アメリカとメキシコを比較するとどのような違いを見出すことができるでしょうか。米墨の両国を見ますと、1人当たりのGDPでは、米加間よりも米墨間では相当に大きな開きがあり、メキシコは、アメリカの凡そ3分の1のレベルに過ぎません(墨:18,430int$で64位)。その一方で、人口規模では、日本の人口と同程度のメキシコは1億2千万人を数えており、アメリカの3分の1で世界第11位の規模ですが、領域については、アメリカの5分の1程度です(墨:196万km2))。

 以上に、経済レベル、人口、面積の、主要な三つの項目を取り上げて比較を試みてみましたが、自由貿易の効果を予測するには、これらの違いは重大です(より精緻な予測には、通貨のステータスや金利差など、さらに多くの指標が必要…)。何故ならば、これらにおける格差は、高きから低きへと、自由貿易圏内の”もの”、”人(労働者を含む…)”、”サービス(企業進出を含む…)”、”お金(直接投資を含む)”、技術…の流れを大きく左右するからです。米墨間において、NAFTAの存立を揺るがすほど問題が深刻化したのは、経済レベルの格差が、アメリカからメキシコへの企業進出とメキシコから密入国者を含むアメリカへの労働者の移動を同時に促し、さらに、メキシコの人口レベルの高さと領域の狭さがこの流れを加速させているからなのではないでしょうか。EUでも、問題が深刻化したのは2004年の中東欧諸国の加盟以降であり、域内格差が、産業の空洞化と先進国内に雇用問題を誘発する”人”の流れをもたらしたことは否めないのです。

 このように考えますと、多国間における自由貿易圏を考えるに際しては、今後は、国家間の格差と様々な要素のフローの変化との関係に注目する必要がありそうです。言い換えますと、加盟国間において深刻なゼロ・サム問題をもたらすような格差が存在する場合には、二国間であれ、多国間であれ、慎重であるべきということになります。そして、米加のように格差が小さい国同士でも、第一次産業や生活インフラ、並びに、企業の外資支配に関する懸念が生じている現実も、行き過ぎたグローバリズムに対する是正の必要性を問うているように思えるのです。

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日本国のTPP促進の主張が説得力がない理由ー経験がものを言う

2017年01月05日 14時21分36秒 | 国際政治
 日本国の新聞各社は、風前の灯となったTPPに関しては論調は凡そ一致しており、口を揃えて”日本国政府はアメリカを説得せよ”と訴えています。その行間には、”TPPの設立は疑いもなく正しく、それに反対するアメリカは間違っている”とする強い信念が伺えます。

 仮に、日本国側の主張が正しければ、アメリカは、迷わずにTPPに参加することでしょう。しかしながら、日本国のTPP参加の要請に対してアメリカが首を縦に振らないのは、偏に、アメリカには、NAFTAの失敗という手痛い経験があるからに他なりません。言い換えますと、日本国は、広域的な自由貿易圏へ参加した経験が無いにもかかわらず、既に、国民の多くが経験からしてその弊害を認識しているアメリカに対して、その”すばらしさ”を力説しているのです。これは、いささか奇妙な現象ですし、説得力があろうはずもありません。

 先日も、アメリカの自動車大手のフォード社がメキシコでの新工場の建設を断念しましたが、米国企業のメキシコへの進出問題も、NAFTAに起因しています。アメリカの企業であっても、廉価な人件費等を考慮して、NAFTA加盟国のメキシコに製造拠点を移そうというインセンティブが強く働いてしまうからです。多国間での自由貿易協定は必ずしもウィン・ウィン関係を約束せず、フォード社の件は、加盟国間において製造拠点、即ち、雇用をめぐるゼロ・サム関係をもたらす現実を如実に示しています。雇用の喪失は、購買力の低下と景気の停滞をもたらし、経済を負のスパイラルへと導きます。仮にTPPが発効すれば、日本国もまた、アメリカと同じ道を歩むことになりましょう。

 日本国政府やマスコミからは、”TPPが無理となればRCEPに乗り換えればよい”とする意見も聞こえてきますが、リスクにおいてはむしろ中国が参加するRCEPが上回ります。日本国もまた同じ轍を踏まぬよう、むしろ、アメリカ国民の、自らの経験に基づく声を謙虚に耳を傾けるべきではないでしょうか。”賢者は歴史に学び、愚者は経験から学ぶ”と申しますが、この場合、アメリカの過去の経験に学ぶことこそが、歴史に学ぶことであり、歴史から学ばずして自ら失敗してから懲りるのでは、単なる’愚者’になりかねないと思うのです。

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”アメリカ・ファースト”と”トランプ・ファースト”は違うー注目される対中政策

2017年01月04日 13時44分19秒 | 国際政治
【トランプ次期大統領】トランプ氏が11日にニューヨークで記者会見 大統領選後初めて 前回は延期
 アメリカ大統領選挙を通して、ドナルド・トランプ氏は、一貫して”アメリカ・ファースト”を訴えてきました。このスローガンの主たる標的となったのは中国であり、対中貿易赤字や深刻な失業問題、並びに、南シナ海での中国の傍若無人な振る舞いを背景に、就任後は、中国に対して厳しい政策を採るものと予測されています。

 しかしながらその一方で、軍事評論家の田岡俊二氏が主張するように”アメリカは中国に喧嘩を売れない”とする意見も見受けられます。その理由は、(1)世界最大の銀行、中国工商銀行の米国本部はトランプタワーの20階にある、(2)中国は3兆ドル(約350兆円)の外貨準備の大半をウォール街で運用し、米国の金融・証券業界の最大の海外顧客、(3)彼の事業も中国系資本の融資、投資を受けていると伝えられる。中国との決定的対立は避けざるを得まい、というものです。

 (1)と(3)については、トランプ氏には、個人的なビジネスにおいて繋がりがあることから、米中衝突を避けるであろうという憶測です。しかしながら、氏の見解は、トランプ氏の立場が、国家の利益よりも個人の利益を優先させる”トランプ・ファースト”でなければ説得力がありません。ところが、大統領選挙に当選すると早々に、トランプ氏は、「国を治めることへ全面的に集中するため 、偉大な事業から完全に離れる」と語り、自らは事業から手を引く方針を宣言しています。言い換えますと、あくまでも”アメリカ・ファースト”の姿勢を貫き、利益相反の回避に動いているのです。この方針からしますと、大統領就任後にトランプ氏が、自らの事業への悪影響を理由として、大統領選挙中に示した方針を撤回するとは思えません。

 (2)についても、昨今の中国の外貨準備の減少は外資の撤退とも連動していると推測され、米国の金融や証券業界が、既に中国経済に見切りをつけている可能性も否定はできません。また、相次いで中国資本によるM&Aが阻止されたことから、チャイナ・マネーに対しては、たとえ対米投資ではあっても必ずしも歓迎一色ではないようです。

 何れにしましても、”アメリカ・ファースト”と”トランプ・ファースト”とは違うのですから、米中衝突はあり得ないとする見解には疑問があります。楽観的な見通しに惑わされることなく、米中衝突の事態に備えるのが、日本国、並びに、全ての諸国の政府の務めであると思うのです。

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”戦争決意表明”に聞こえる中国主席の新年の辞

2017年01月03日 14時09分59秒 | 国際政治
領土で譲歩せず=新年の辞で強調―中国主席
 2017年の幕開けと共に、東アジア情勢は、刻一刻と緊迫の度を強めているようです。新年早々、中国からは、習近平国家主席の”戦争決意表明”としか思えないような新年の辞が飛び込んできました。

 習主席の新年の辞において耳目を驚かせたのは、”領土主権と海洋権益を断固として守る。この問題で誰が異議を唱えても中国人民は決して応じない”とする強い口調の決意です。中国が断固として守るとしている”領土主権”や”海洋権益”とは、その実、国際社会において権利が認められていない領域や海域を含むことは自明のことです。”領土主権”には、チベットやウイグルのみならず、日本国の尖閣諸島等の周辺諸国の領域も含まれているでしょうし、”海洋権益”には、仲裁裁定で否定された南シナ海の九段線をも含意していることでしょう。言い換えますと、中国の言う”防衛”とは、日本国を含む諸国や国際社会から見ますと”侵略行為”を意味しているのです。この決意を具体的行動として表わすためか、南シナ海では、早くも中国空母「遼寧」による戦闘機の発艦訓練が実施されているそうです。

 習主席の強硬姿勢の背景には、中国批判を繰り返すトランプ氏に対する牽制とする見方がある一方で、今年秋に予定されている党大会にも注目する必要がありそうです。5年に一度開催される同大会において政権長期化の布陣を敷けるか否かが、習体制の行方を左右すると指摘されているからです。党大会を強く意識しているとしますと、習主席は、毛沢東主義的な個人独裁体制の成立のために戦争を起こそうとしているか、あるいは、実績造りの為に戦争を画策している可能性も排除はできません。実際に戦争が発生すれば、自らに指揮権を集中させるために進めてきた人民解放軍の組織改革の成果が発揮されるでしょうし、戦時ほど、独裁体制を敷くに容易な状況はないからです。毛沢東もまた、戦争を利用することで独裁的権力を掌握することに成功しています。戦時、即ち、”国家の大事”ともなれば、共産党大会の人事も二の次となることでしょう。

 このように考えますと、今般の中国の軍事的な示威行動は、内外に向けてのデモンストレーションであるのかもしれません。仮に、自己保身、あるいは、野望達成のための戦争であれば、その行為は、巻き添えとなる国々や中国の国民のみならず、全人類に対してあまりにも罪深いと思うのです。

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文明と野蛮ー文明の本質は法の支配では?

2017年01月02日 13時21分21秒 | 国際政治
 本年2017年を、希望と不安が交差する複雑な心境で迎えた方も少なくなかったことでしょう。新たな時代の幕開けとなる予感がしつつ、不確実性に翻弄される年となる虞もあるからです。こうした不安定な時代にあっても、善き方向へと向かうためには、まずは、何を以って”善”とするのか、という価値判断が問う必要がありそうです。

 そこで、本日は、文明と野蛮という価値判断を伴う議論を見てみることとします。現在、文明の定義としてしばしば登場するのが”開かれた自由な社会”であり、主としてリベラルな人々によって信奉されてきた戦後の理想的な世界観です。

 しかしながら、人類史を振り返りますと、”開かれた自由な社会”を以って文明と定義した時代は現代史の一時期に過ぎません。歴史の大半において、文明なるものは、常に外部の野蛮な世界からの挑戦を受け続け、”開く”ことは野蛮からの侵略による文明の終焉を意味し、自由奔放という言う意味での”自由”もまた、秩序崩壊による野蛮への転落を招きかねなかったのです。

 それでは、何を以って文明と呼んでたのかと申しますと、それはやはり、法の支配ではなかったかと思うのです。古代エジプトは、ファラオによる専制支配であると見なされがちですが、ファラオもまた、法に従って統治を行う義務がありました。また、メソポタミアが古代文明の一つと称されるのも、この地には、法典が存在していたからです。何れの法も神的権威を纏っており、統治者も、法を遵守する義務が課せられていました(この定義からすれば、中華文明が”文明”と言えるのは、周の時代まで…)。人々が集まって生活するに際しては、揉め事や争いは日常茶飯事となりますが、無秩序に陥ることなく様々な問題を解決するに当たって、暴力を許さずに、中立・公平な一般的な法によって解決する仕組みをいち早く造り上げたのが、古代文明の地であったということが出来ます。

 文明の本質を法の支配とする視点から今日の混乱を眺めてみますと、必ずしも、”大衆”とされる一般の人々による判断が、文明に対する野蛮の勝利を意味するとは言えないように思えます。今日のリベラルな文明の定義である、”開かれた自由な社会”を文字通りに実行しようとした結果、テロリストや密入国者が入り込むと共に、法の支配の伝統を持たない外国出身の人々も増加し、かつ、これらの人々が当然の権利の如くに”自由”を主張し始めたことに対する、既存の社会の側の危機感としても理解されるからです。このままでは、文明が崩壊してしまうという…。

 文明と野蛮に関する論争は、文明の定義の違いを明らかにしないことには、平行線を辿ることになりましょう。そして現実には、”開かれた自由な社会”を目指した政策が、法の支配に基づく文明を破壊するケースも後を絶たないのです。国際社会においても、暴力主義を肯定し、法の支配を否定する勢力が跋扈しておりますが、今一度、人類は、文明の本質に立ち返るべきではないかと思うのです。

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