万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

アメリカの分裂を回避するには-マイノリティー優遇策の是正を議論すべき時では?

2017年08月16日 16時43分27秒 | アメリカ
白人至上主義めぐる衝突 米大統領「双方に責任」に批判高まる
 目下、アメリカでは、白人至上主義グループと人種差別に反対するグループとの間で暴力を伴う激しい衝突が起きており、メディアも連日、この話題を興奮気味に報じています。その一方で、北朝鮮問題に絡んで対中制裁も強化されている折、アメリカの内部混乱を狙った工作活動の結果である可能性も否定はできないように思えます。

 マスメディアの多くは、有無を言わさず“白人至上主義者は悪者”というイメージで報じています。確かに、奴隷制度を認めるような思想は批判されて当然なのですが、ヒトラーについてはスファルディー系のユダヤ人の血を継いでいる説もあるように(遺伝子の解析結果では中近東系のDNA配列が発見されている…)、両陣営とも、背後から操られているのかもしれません。そして、その参加者達は、自らが誘導されていることすら気が付いていないかもしれないのです。それでは、現在のアメリカ社会には、外部から対立を煽られやすい、どのような要素があるのでしょうか。

 トランプ氏を大統領の座に押し上げたのは、“行き過ぎたグローバリズム”のマイナス影響を受けて中間層から没落した白人層であったとされています。しかしながら、経済的な問題のみならず、オバマ政権においては、“行き過ぎたマイノリティー優遇”があったように思えます。例えば、米議会図書館において最初の黒人女性の館長が就任した際の紹介ビデオには、何故か、殆ど黒人の人しか登場していません。また、最近報じられた米メディアの番組でも、出演したハーバード大学の教授達は、揃って黒人の人なのです。実際に、長年続けられてきたアファーマティブ・アクション政策では、入学、就職、社会福祉においてマイノリティーの人々は優遇されており、不公平な状況はマジョリティーである白人に対する逆差別とする指摘もあります。その一方で、マイノリティーの側もまた、オバマ政権の終焉により、大統領という強力な“後ろ盾”を失った危機感があります。これまで以上に人種問題に敏感になり、マジョリティー側からの一種の“報復”に身構えているかもしれないのです。

 こうした土壌があっては、一旦、何らかの切っ掛けで両者の感情に火が付きますと、収拾が難しい状況に陥りかねません。そして、メディアの一方的な態度や“白人至上主義者に居場所はない”といったリベラルの排他性を露骨に表明した挑発的な批判は、火に油となりかねないのです。メディアは、この問題を白人至上主義者に対する批判に終始することで、白人マジョリティーをも道連れにして沈黙を強要しようとしていますが、アメリカの分裂を回避する方法は、真に公平で公正な社会を築くことではないかと思うのです。

 アメリカでは、既にバラク・オバマ氏が黒人として初めて大統領に就任しております。白人の人々が不公平感を持つほどにマイノリティーの人々も社会の要職に就いているのですから、“マイノリティー優遇策を何時まで続けるのか”という問題に、アメリカ社会もそろそろ取り組むべき時期に来ているのではないでしょうか。双方が不公平感を抱く状況にある限り、それは、アメリカを分裂させたい勢力に利用されるのみではないかと思うのです。

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日本国が耐え難きを耐えたのは何であったのか

2017年08月15日 14時10分25秒 | 国際政治
不戦と平和、誓い新たに=72年の歩み、首相「不動の方針」―東京で戦没者追悼式
本日8月15日は、昭和天皇による終戦の玉音放送があった日です。正式に戦争が終結したのは降伏文書調印がなされた9月2日ですが、ポツダム宣言の受託が内外に向けて表明され、国民に向けて終戦が告げられたこの日こそ、日本国では、4年の長きにわたる戦争が終わった日として記録されています。

 昭和天皇が語られた御詔勅において、とりわけ国民の心に刻まれたのは、“耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世の為に太平を開かんと欲す”とする一節です。敗戦国としての苦難を受け入れる日本国の覚悟をこの言葉を以って表すと同時に、それは、未来永劫にわたる“太平”、即ち、平和的秩序の構築への一歩として位置付けています。ここに、敗戦という白村江の戦い以来の日本国最大の危機を、未来に向けた秩序構築への出発点へと転換させた昭和天皇の透徹した歴史観、並びに、倫理に裏打ちされた世界観を感じざるを得ません(この一節だけは、昭和天皇自らの言葉とされている…)。そうであるからこそ、国民の多くは、敗戦という屈辱に耐え、気持ちを切り替えて戦後復興に取り組むことができたとも言えましょう。

 そして、終戦の日の誓いが平和的秩序の構築であったとしますと、310余万の日本人の尊い命は、この平和的秩序の構築のために払われた犠牲とも言えます。そして、東京裁判は、罪刑法定主義の原則に照らせば事後法に当たる、戦勝国側の戦争犯罪が見逃された、あるいは、勝者が敗者を裁く復讐裁判であるといった重大な瑕疵や批判がありながら、その判決を受け入れたのも、平和的秩序、即ち、国際軍事裁判が国際法秩序の構築への一歩を人類史に印したからに他なりません。実際に、日本国側の不満に対して、アメリカ側も、国際軍事裁判の人類史的意義を以って説得に努めたそうです。

 何れの国も他の諸国を尊重し、侵略戦争や植民地支配のない“太平”の世とは、法の前の平等を原則とする法秩序の構築なくしては不可能であり、歴史の何れかの時点で制度構築を図る必要があります。転換期にあっては、国内レベルの法制度の整備と同様に、過去においては放任されていたり、訴追の対象外であった事柄であっても、新たな法や制度の出現により有罪となる場合もあります。しかも、過渡期の制度は得てして未熟なものであり、東京裁判には理不尽かつ不公平な面も多かったのです。こうした問題点を含みながらも、戦後の国際社会は国際法秩序の構築に努力を払ってきましたし、日本国もまた、その熱心な推進国となったのです。

 しかしながら、戦後一貫して発展してきた国際法秩序も、今日、重大な危機を迎えております。中国国内では、習近平体制を支える新たな思想として、今秋の中国共産党大会において自らと毛沢東とを同列と見なす“習近平思想”、さらには、マルクスやレーニンと肩を並べる“習近平主義”が打ち出される可能性が高いそうです。この“習近平思想”たるや恐ろしく、‘世界の新時代を導く構想’、‘世界の新秩序への転換’、‘「人類新形態」の構築’…といった目的が主たる内容として含まれているのです。同イデオロギーに基づく習近平体制の成立とは、中国を中心とした華夷秩序の世界大での実現であり、それが、法の支配の原則とは逆の‘専制支配’、即ち、世界制覇をも視野に入れた独裁体制の確立を意味し、今日の国際法秩序の破壊を伴うことは疑う余地はありません。

 中国が戦後の国際法秩序を覆すとすれば、第二次世界大戦における日本国民の多大なる犠牲、否、両陣営合わせて5000万人から8000万人ともされる全人類の犠牲が水泡に帰します。終戦の御詔勅が戦争から司法に基づく平和への転換点となった日から72年が経過した今日、中国の軍事的台頭、及び、その暴力主義が後者を根底から脅かしている現状は、72年前とは違い、平和(武力の不行使)を貫けば、平和(国際法秩序)が破壊されかねない時代の到来、という問題を鋭く問いかけているように思えます。

決まって青空が広がる蒸し暑い日となる8月15日は、本年に限って例年になく雨の降りしきる日となりました。この雨は、再び人類に迫りくる危機を伝える天の予兆なのでしょうか。

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731部隊問題に日本国はどのように対応すべきか

2017年08月14日 15時53分15秒 | 日本政治
 8月13日の晩、NHKスペシャルでは、『731部隊の真実-エリート医学者と人体実験』と題した番組を放映しておりました。731部隊とは、満州国に設置されていた大日本帝国陸軍の防疫・生物兵器に関する研究機関であり、80年代から小説家の森村誠一氏が『悪魔の飽食』においてその猟奇的でグロテスクな人体実験等を描いたことから、頓にその存在が知られるようになった部隊です。

 同小説は、日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』に連載されたことから、ノンフィクションと銘打ちながら、当初より、共産党によるプロパガンダの疑いが指摘されておりました。今般のNHKスペシャルでも、戦後にソ連がハバロフスクに設置した軍事裁判における元731部隊の隊員の証言のみをベースとしており、どこかプロパガンダの匂いがします。実際に、ソ連邦は、日本人拘留者に対して洗脳と暴力による“思想教育”を施しており、これらの証言の多くも、ソ連邦の意に沿ったものなのでしょう。

 『悪魔の飽食』やハバロフスク証言には誇張や脚色があるものの、731部隊については、史実である部分については、日本国側も、事実は事実として誠実に受け止める必要はあります。何故ならば、2011年に国立国会図書館関西部で発見された金子順一軍医の論文(「PX効果攻略法」)に、日本軍による中国大陸における細菌兵器使用に関する記述がデータを添えて掲載されているからです(計6都市で2万人余りが感染)。そして、この問題については、過去、現在、未来の三つのフェーズにおける対処を必要としているように思えます。

 過去については、日中間において既に日中共同宣言、並びに、日中平和友好条約が結ばれており、中国側は、賠償請求権は放棄しているものの、サンフランシスコ講和条約第14条(a)2に基づいて、日本国、並びに、日本国民が中国大陸に残した莫大なる残置財産を受取っています。このことから、今後、賠償問題に発展した場合には、これらの条約を根拠として解決済の立場を主張することができます。実際に、中国人被害者による個人賠償の訴えに対しては、東京地裁は、上記の日中間の二国間の条約によって請求を棄却しています(2007年に最高裁判所で原告敗訴が確定)。

 一方、刑事罰については、ソ連邦によるハバロフスク裁判で有罪となった元隊員は、強制労働の刑に服しています。なお、責任者であった石井四郎少将といった主要メンバーは、アメリカとの司法取引により、実験記録の提出と引き換えに、戦犯としての訴追を免れたことはよく知られています。

 もっとも、道義的には、無辜の民間中国人に犠牲が及んだ細菌兵器による攻撃は返す返す残念な行為であり、金子順一論文で確認した時には、血の気が引く思いがしました。多くの日本国民も、同様の感情を抱くのではないでしょうか。この問題は、現在において事実を知った日本国民の良心の問題であり、現地に慰霊碑を建立する、あるいは、細菌兵器の無毒化や被害者の治療法等の研究に率先して取り組むといった対応も検討されましょう。むしろ、事実に対する誠実な態度は、“南京大虐殺”や“慰安婦強制連行”といった誇大宣伝やフィクションと一線を画する点においても、意義があるように思えます。

 そして、最後に考慮すべきは、未来に向けた対応です。将来の戦争において、日本国が再び生物兵器を使用する可能性は殆どありませんが、中国は、731部隊への報復として自らの細菌兵器の対日使用を、正規の軍隊であれ、テロであれ、正当化しようとするかもしれません。今の時期にNHKが敢えて731部隊を取り上げた背景にも、習近平体制の確立と軌を一とする軍事的野心が透けて見えます。いわば、生物兵器の対日使用の徴候、もしくは、予告かもしれず、日本国政府は、万が一に備えた防疫体制を整えると共に、生物兵器使用の非人道性、並びに、生物兵器禁止条約の遵守について改めて国際社会に訴えてゆくべきです。そして、戦前にあって生物兵器の使用を禁じた『ジュネーヴ議定書』を批准しなかったものの、日本国は、戦後、軍事法廷において裁かれたのですから、法の拘束から逃れようとする中国に対する心理的牽制も怠ってはならない対応です。

 731部隊については、極めてセンシティブな問題であり、不明な点も多々ありますが、事実とフィクションとを識別して適切に対処しませんと、無法国家に口実を与え、非人道的行為が繰り返される悲劇を招きかねません。不名誉な過去を善き未来の実現への貢献を以って克服することこそ、今日の日本国が背負っている責務ではないかと思うのです。

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中国は米軍の対北先制空爆を容認した?

2017年08月13日 14時34分30秒 | 国際政治
北朝鮮に「あらゆる手段」用意=米仏首脳電話会談でトランプ氏
 北朝鮮がグアム島沖に向けて弾道ミサイルを発射する計画を表明したことから、朝鮮半島情勢は、緊迫の度合いを強めております。8月11日には、米中首脳の間で電話会談が設けられましたが、注目されるのは、本問題に関する中国側の対応です。

 同日に報じられた中国の環球時報の社説では、中国側は、(1)北朝鮮が米領を脅かす弾道ミサイルを発射し、報復を招いたときには中国は中立を保つ(中朝友好協力相互条約は発動しない…)、(2)米韓が軍事攻撃による北朝鮮の政権転覆や朝鮮半島の勢力図の変化を試みた場合、中国は断固として行動を阻止する、の二点を明らかにすべきと主張しています。同社は共産党系列の“御用メディア”ですので、中国共産党内では、以上の二点が北朝鮮問題に関する基本方針として決定されているのかもしれません。

 しかしながら、この基本方針は、最も可能性の高い“北朝鮮のミサイル発射を待たず、現時点においてアメリカが先制攻撃する”という展開を度外視しています。この展開の可能性の方がむしろ高い理由として、(1)北朝鮮が米国領に向けたミサイル発射の準備を開始し、アメリカがその徴候を監視衛星等で察知した場合、米軍は、迷いなく敵地ミサイル基地を事前に破壊する、(2)北朝鮮の先制を以って中国による米軍の軍事行動の容認条件となれば、結局、北朝鮮側に、米本土攻撃可能な核・ミサイル開発の時間的猶予を与えることになる(高性能なコンピュータを用いれば、必ずしも核兵器の小型化やICBMの開発には実射実験を必要とするわけではない…)、(3)アメリカが同条件に合意すれば、北朝鮮に開戦の決定権が握られ、即時空爆の可能性によって維持されてきたアメリカ側の対北圧力の効果が薄れる、(4)交渉による解決の見込みが極めて低い以上、アメリカが軍事制裁によって解決するならば、北朝鮮の核・ミサイル能力の向上を止める上でも早期開戦が望ましい、(5)イラク戦争の基準に照らしても、大量破壊兵器を保有する北朝鮮に対する軍事制裁は、今日においても国際法において合法である…などといった点を挙げることができます。

 中国側は、何故、最も可能性の高い選択肢を無視したのか、この点については、フリーハンドを握っておくため、もしくは、事態の推移に対しての自らの責任の回避するための曖昧戦略かもしれませんし、あるいは、容認の条件を北側の先制という点に厳格化、限定化することで、アメリカの軍事行動を押さえようという戦略であるのかもしれません。しかしながら、その一方で、核施設やミサイル基地等に限定したピンポイント式の空爆であるならば、アメリカの武力行使を容認したとする解釈もできます。体制転覆や朝鮮半島の勢力図の変化に関して示された、並々ならぬ決意の行間を読めば、中国の最大の関心事は北朝鮮の体制維持であり、それが保たれさえすれば、第1点で示された北側の先制であれ、米軍側からの先制であれ、米軍の空爆も容認の範囲とも解されるのです。しかも、アメリカが対北軍事行動を選択したとしても、北朝鮮が国際法上の違法行為を行い、平和の脅威となっている現実を前にしては、中国も、米軍の行動を批判できない状況に最早至っております。

 米中首脳会談によって、米軍の武力行使は手控えられるとの観測もありますが、上記のように考えますと、そうとばかりは言えないように思えます。少なくとも北朝鮮問題を機とした米中全面衝突を避けるために、むしろ、アメリカに対して中国側が譲歩したとも読めるのです。

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ビットコインとモンゴルの政府紙幣-通貨発行益の掌握

2017年08月12日 14時58分45秒 | 国際経済
「ビットコイン・仮想通貨」のニュース
 紙幣については、それが政府紙幣であれ、銀行券であれ、“詐欺”の一種であるとする批判があります。物としては僅かな価値しかない“紙切れ”が印刷された額面の価値を持つのですから、紙幣とは何とも不思議な存在ではあります。

 ところで、政府紙幣についてこの問題点を最初に指摘したのは、『東方見聞録』を残したマルコ・ポーロです。モンゴル帝国は、最初に政府紙幣を発行した国として知られていますが、マルコ・ポーロは、同著においてフビライ・カーンが、如何にして政府紙幣を以って莫大な財産を手にしたのかをかなり詳細に記述しています。

 要約しますと、大汗(フビライ)は、新設した首都カムバルク(大都:現北京)に造幣局を設置し、そこで、大汗の印を押した大小様々な額の紙幣を造ります。大汗の支出は、全てのこの紙幣によって支払われますが、マルコ・ポーロを特に驚かせたのは、それが、大汗が莫大なる財産を手中に収める手段として使われていたことです。何故ならば、一年に数回、“宝石や真珠、金銀を持っているものはみな大汗の造幣局にそれをもって行くべし”という布告が出されるからです。乃ち、領内に居住する財産的価値のある貴金属等を所有する者は皆、造幣局にこれらを持ち込み、同価値の紙幣と交換することとなるのです(金銀との兌換が保障されていたわけではないものの、金銀を入用な者は、造幣局から紙幣を以って買うことはできた…)。かくしてこの制度は、ポーロをして、“世界中の君主が一緒になっても、大汗ただ一人が所有する財宝に及ぶべくもない”と言わしめているのです。

 モンゴル帝国が発行した世界最初の政府紙幣は、その後、帝国の版図において広く流通し、モンゴルの軍事力をバックに領内の商業を支える役割を担います。しかしながら、紙幣発行の際に生じる通貨発行益(seigniorage)は、それが公的な使途に向けられたとしても、大汗によって掌握されていました。紙幣に対する上記の批判は、まさに、無から有を生む“錬金術”の如き通貨発行益の存在にあるのです。

今日の通貨も不換紙幣ですが、14世紀には存在していない中央銀行制度の下で銀行券が発行・流通しています(現在の不換紙幣の信用は、凡そその国の国力によって支えられている…)。仮に、通貨発行益があったとしても、それは、政府の歳入に組み入れられ、私的な資産となることはありません。ところが、政府紙幣ならぬ、民間紙幣であるビットコインのみは、通貨発行権は発行者に、そして、通貨発行益は採掘者(マイナー)に帰するのです。ビットコインは銀行券でもありませんし、何れの国や地域の中央銀行のコントロールの下にもありませんので、ビットコインの現状は、いわば、民間人による“錬金術”が既成事実化している状態と言えます。そして、通貨としての通用力は、希少金属でも国力でもなく、偏に人々の空気にも似た信頼のみに依拠しているのです。

 ビットコインについては、不可解なことにもIMFも黙認していますが、考えてもみますと、通貨発行権、並びに、通貨発行益が私人によって掌握されるのですから、国家や地域の視点に立てば、私人による通貨発行権、並びに、通貨発行益の侵害であり、公共性の高い金融インフラ、並びに、公共財の私物化ともなりかねません。モンゴル帝国崩壊の原因については、政府紙幣の乱発によるインフレが経済に混乱をもたらし、社会の不安定化を招いたとする点が指摘されています。モンゴルの政府紙幣発行から600年余りが経過した今日、ビットコインもまた、それが、大汗にも増して無責任な私人による“錬金術”なだけに、その流通量や取引が増加するに従い経済の波乱要因となりかねないリスクを孕んでいると言わざるを得ないのです。

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北朝鮮問題の新たな分析枠組とは-善性悪用戦略論

2017年08月11日 15時06分22秒 | 国際政治
米大統領、軍事報復を示唆=北朝鮮のグアム威嚇に警告―「見たことない事態起きる」
 今日、朝鮮半島情勢は緊迫の度を強め、米朝関係は一発触発の様相を呈しております。同盟国である日本国政府も、北朝鮮によるミサイル発射に備えた防衛体制に入っており、風雲急をつげるかの如きです。

 こうした中、今般の一連の流れに対しては、従来の国際政治における古典的な分析枠組や理論モデルでは十分な説明がし難いとする指摘があります。チキン・ゲーム論にしても、米朝間に核攻撃能力に著しい格差があっては、北朝鮮の露骨な挑発行為もアメリカの世論を先制攻撃容認に傾けたに過ぎず、北朝鮮を国際社会における合理的なアクターと見るには無理があるからです。

 現実とは複合的な要因が複雑に絡み合うものであり、かつ、表面に現れる現象は氷山の一角であることも少なくないのですが、物事を的確に理解するためには、整理された分析枠組による単純化も時には効果的です。それでは、どのような分析枠組、あるいは、理論的モデルがあれば、北朝鮮情勢を説明することができるのでしょうか。

 近現代の政治理論、並びに、国際政治理論の多くは近代啓蒙思想の流れにあり、高度な知性や理性を備えた人間による理性的・合理的秩序の創造と構築を目指す精神文化の中で培われてきました。国内レベルであれ、国際レベルであれ、今日に生きる人類の大半は、自由、民主主義、基本権の尊重、法の支配といった普遍的諸価値の制度化において、これらの恩恵に浴しています。しかしながら、そうであるからこそ、これらを巧妙に悪用することにより、自らを有利な立場に導こうとする国や勢力の出現は殆ど想定していません。

 ところが現実には、想定外の出来事が起きることで、努力の末に構築された秩序もまた、最大の危機に直面することとなります。前近代的な思考様式を残す諸国は、文明の成果としての普遍的諸価値の人類史的意義を理解せず、国際社会において構築されてきた制度を全世界の平和ではなく、自らの利益のために“悪用”しようとするからです。そして、この“悪用”国家に対しては、他の諸国は、対処に苦慮することとなります。暴力を封じ込めることこそ、秩序の構築の基本的な目的なのですから、その構築された秩序が内部から“悪用”されるケースに対しては、得てして無防備であることが多いからです。

 今般の北朝鮮の行動をみましても、北朝鮮は、自らの実力によってアメリカを威すほどの核・ミサイルを手にしたのではありません。NPT体制の成立によって、現核保有国を除いた他のすべての諸国の手が縛られているからこそ、北朝鮮の核保有の威力は絶大となるのです。銃刀法等の規制の下で周囲の人々が皆素手である場合、一人だけピストルを持って脅せば、誰も抵抗はできませんし、丸腰で立ち向かえば射殺されます。北朝鮮の行為は、いわば、暴力団と同様であり、法の網を掻い潜り、巧妙に周囲を騙しながら違法行為を働いているからこそ、暴力が自らの利益を最大化する武器となるのです。

 ましてや、国際社会は、国内ほどには警察制度は整っておらず、交渉を経るものであれ(交渉での核・ミサイル放棄は殆ど不可能…)、既成事実化に成功すれば、事実上、北朝鮮は勝利の美酒に酔うことができます。もっとも、その結果として、他の諸国も核保有に踏み切るようになれば、北朝鮮は軍事上の優位性を失いますが、NPT体制も北朝鮮の道連れとなりましょう(北朝鮮にはウラン鉱もあるので、NPT体制の崩壊を核、並びに、ICBMを各国に輸出するためのビジネスチャンスにする可能性もある…)。経済的には最貧国に属する僅か一国の忌々しき行為が、制度そのものを崩壊させかねないのです(“小よく大を制す”?)。

 しかも北朝鮮は、国際社会における紛争の平和解決の原則、特に、話し合い解決の精神をも悪用しています。マスメディアや識者の多くは、平和の尊さを盾に戦争の回避を訴え、対北交渉の窓口を用意すべきと合唱してくれますし、あるいは、“交渉近し”の希望的観測を流布しています。国内レベルでは、違法な武器を携帯して他者を脅迫する犯罪者のリスクに対しては、警察が力を以って排除しますが、国際社会では、“平和”の一言は魔法であり、武力行使を躊躇わせる、あるいは、武力制裁を準備する側がむしろ“悪者”に仕立てられがちなのです。言い換えますと、既成事実化に持ち込みたい北朝鮮にとりましては、国際社会の善意に基づく平和解決の原則もまた、“悪用”し得る戦略的道具なのです。実際に、過去二度に亘って北朝鮮は対話路線に導くことに成功し、“甘い飴”を受取る一方で、核・ミサイルの開発時間を確保しました。

 こうした現行の秩序に寄生しながらその転覆を図る北朝鮮の戦略を的確に表現する言葉はなかなか見つからないのですが、ここでは、一先ずは、“善性悪用戦略論”と名付けておくことにします。この戦略は、人類の善性、並びに、英知の結晶であり、多大なる犠牲を払って構築された国際社会の諸制度や原則を悪用し、人質にとる野蛮で邪悪な戦略として理解されます。善性に基づく制度をも破壊しかねない故に、単なる乱暴な“無法者”よりもはるかに質が悪く、全人類に災禍をもたらすリスクをも内包しています。この点、南シナ海での中国の行動も、国連安保理の常任理事国の地位、並びに、国連海洋法条約で認められた権利を享受しつつ、話し合い解決の原則を逆手に取っており、“善性悪用戦略論”によって説明されます。そして中国のケースでは、常設仲裁裁判所の判決を一枚の紙切れとして破り捨てたことで、遂に、国際法秩序崩壊の危機にまで歩を進めているのです。

 善性を悪用する諸国の行為については、近現代の国際政治理論においては有効な処方箋が見当たらず、しいて言えば、リアリズムの立場から警察力としての正義の武力を行使するか、あるいは、核武装やミサイル防衛といった手法でこれらの諸国が“善性悪用戦略”で獲得し、既成事実化された軍事的優位性を無効化する他ありません(もっとも、北朝鮮側には、戦わずして降伏する選択肢がある…)。否、明確なる処方箋がないからこそ、この戦略は、前近代的な思考回路で行動する国や勢力にとって、極めて有効な戦略なのです。北朝鮮問題の場合には、後者の手法では、北朝鮮に核・ミサイルビジネスのチャンスを与えますし、中国のケースでは、既に南シナ海の軍事施設が運営段階に入っているため、防衛装備の拡充によって軍事基地を撤退させることは困難です。もっとも、中ロがバックとなっている北朝鮮と比較すると、中国の場合には、本格的な経済制裁によって体制崩壊に導く選択肢は残されているかもしれません。そして、“善性悪用戦略”を採用している国や勢力は、中国や北朝鮮ばかりではないのですから、国際社会では、同戦略に対する対応策の策定を急ぐべきと思うのです。

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韓国人徴用工問題は常設仲裁裁判所での解決も選択肢

2017年08月10日 14時56分15秒 | 日本政治
三菱重に賠償命じる=女子挺身隊訴訟で韓国地裁
 先日、戦時中に挺身隊員として名古屋市内で“強制労働”をさせられたとして、韓国人女性とその遺族が日本国の三菱重工を相手取って損害賠償を求めていた訴えに対し、韓国の光州地裁は、同社に対して1200万円の賠償を支払うように命じる判決を下しました。予想されていたとはいえ、日本国側は、司法をも曲げる韓国の反日感情に当惑しています。

 三菱重工側は、高裁への上訴の手続きを進めるそうですが、司法の独立が確立しておらず、しかも、親北派の文政権の下にあっては地裁の判断が踏襲される可能性が高く、たとえ最高裁にまで縺れ込んだとしても、地裁の判決が覆される見込みは薄いと言わざるを得ません。この種の問題は、公平性や中立性が欠けている韓国の司法制度での解決には無理があり、他の解決手段を探す方が解決への近道となりましょう。

 徴用工問題に関する日本国政府の公式の立場は、1965年の日韓請求権協定で解決済みとするものです。一方の韓国側も、韓国人の動員によって生じた未払い賃金については交渉の対象であることを認めています。一部ではあれ、今日、当時の日韓交渉の会議録が公開されていますが、1953年3月21日に韓国側から提出された『韓日間財産および請求権協定要綱、韓国側提案 』の第5には、「韓国国民(法人を含む)の日本国あるいは日本国民(法人を含む)に対する公債、日本銀行券、被徴用韓人未収金およびその他の請求権を決済すること(日本語文)」とあり、この点は明白です。

 となりますと、日本国側からしますと、韓国政府は、現在に至って当時の合意を反故にしたこととなり、これは、明らかに日韓両国において協定の解釈を争う法律問題となります。日本国政府としては、同協定の第3条に基づいて、外交上の経路を通じて解決できない場合の解決手段として定められている仲裁委員会の設置を提案することができますし、あるいは、国際司法裁判所(ICJ)への付託も選択肢となりましょう。

 しかしながら、第3条の仲裁であれ、ICJへの付託であれ、韓国政府の合意を得られない場合には、単独提訴の選択肢もあるものの、同問題の司法解決の道は遠のきます。また、日本国政府が司法解決に消極的である場合にも、韓国側の一方的な国内司法権の行使に一民間企業が抗うことは困難です。そこで、考えられるのは、上述した常設仲裁裁判所の利用です。同裁判所は民間企業にも訴訟の窓口を開いており、南シナ海問題と同様に単独提訴も可能です。この方法であれば、三菱重工、並びに、同様の問題を抱えている他の民間の日本企業も、韓国司法による不当なる政治裁判から自らを救うことができます。

 戦後、日本国では、安全保障や韓国に対する配慮もあり、司法解決を忌避してきた感がありますが、韓国の情緒に任せたのでは慰安婦問題と同様に対日請求がエスカレートする一方です。平和的な紛争解決のモデルを構築し、法の支配を強化するためにも、政府であれ、民間企業であれ、日本国側が司法解決に踏み出すことには歴史的な意義があると思うのです。

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ASEAN諸国は法の保護を捨てるのか?―中国への妥協は命取り

2017年08月09日 14時37分06秒 | 国際政治
ASEAN外相会議終了 北朝鮮への対応で溝埋まらず
 2017年8月7日からフィリピンで開催されていたASEAN閣僚会合は2日間の日程を終えて閉幕となりました。今年は、南シナ海問題にせよ、北朝鮮問題にせよ、中国への配慮が目立った会合となり、ASEANの結束にも乱れが見られます。しかしながら、巨額の経済支援を受けているといえ、中国への安易な妥協は、ASEAN諸国の命取りになるのではないでしょうか。

 ASEAN諸国は、第二次世界大戦以前にあっては、何れも植民地支配に苦しんだ歴史をもつ諸国です。何故、植民地体制が成立したのか、軍事的に優位にある強国・国際組織による弱小国の植民地化は、当時にあっては、弱小国の主体性を認め、それを保護する国際法が十分には整備されていなかったことにも起因します。戦後、世界大で国民国家体系が成立し、民族自決、主権平等、民族・国民間の平等、内政不干渉等が国際社会の原則として確立したからこそ、今日の独立国家としてのASEAN諸国があるといっても過言ではありません。

 ところが、南シナ海問題での中国による仲裁判決無視は、ASEAN諸国にも強い影響力を及ぼしている中国が、無法国家である現実を突きつけることとなりました。そして今般の会合では、ASEAN諸国と中国との間で南シナ海問題に関する行動規範を作成することで合意したことから、中国は、国際社会に向かって“当事者以外は口を出すな”とばかりに、国際法秩序の基盤を揺るがす全世界すべてに関わる問題であるはずの南シナ海問題を、中国・ASEAN問題に矮小化、限定化する口実として利用しています。

 この構図を国内の事件に喩えれば、武器を携帯した無法者が近隣の一般住民を脅迫する、あるいは、賄賂を贈って同意を取り付け、刑法の適用を排除した上で公道や公園を私用のために占領するようなものです。こうしたケースでは、いくら近隣の人々の同意を取り付けたとしても、公有地の占拠という犯罪は刑法の適用範囲となります。にもかかわらず、無法者は、自分達で独自の法をつくったからといって、刑法の適用除外を主張しているようなものなのです。そして、この賄賂を受け取った住民にも、やがては無法者に囲い込まれて支配され、搾取される運命が待ち受けているのです。

 南シナ海問題における中国への妥協は、それが、国際法秩序の根幹に関わるだけに、自らを保護する法というものを失うことを意味します。これでは自殺行為と言わざるを得ず、ASEAN諸国の将来を憂いざるを得ません。中国が露骨に侵略や植民地化に邁進した時、ASEAN諸国は、一体、どこに自らの正当性と救いを求めるのでしょうか。リスクを背負う、あるいは、中国からの支援という利益を犠牲にしても守るべきものは何か、この問題は、中国と共に、ASEAN諸国の国際法秩序に対する姿勢をも問われていると思うのです。

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マスコミは言論の封殺者?-“多様性”の欠如した‘皇室’報道

2017年08月08日 15時14分19秒 | 日本政治
天皇退位期日、19年春望む声=年末年始は多くの宮中行事
 マスコミは、日頃より、常々言論の自由や報道の自由の重要性を主張し、多様な意見の表明が許される社会の実現を訴えてきました。しかしながら、近年の‘皇室’報道等をみる限り、マスコミこそ、言論の封殺者であり、かつ、全体主義の申し子なのではないかと思うのです。

 本日8月8日をもちまして、突然の天皇退位表明から1年が経過しましたが、近年の‘皇室’については、東宮家の“愛子さん達”やスイスの秘密口座問題に象徴されるように、既に危機的状況にあり、国民の崇敬と言うよりも疑惑の対象となるに至っております。ネット情報が飛び交う今日にあって、人の“口”ならぬ“ネット”に戸を立てることはできず、これまで隠されてきた‘皇室’情報も広く拡散され、新たな疑惑も次々に浮上しています。また、所謂‘恐れ多い’として客観的、あるいは、学問的な検証が加えられてこなかった事柄についても、‘皇室’リスクの危機的なレベルの高さから放置できず、歴史の再検証も始まっております。

 ‘皇室’に対する信頼が大きく揺らぐ今日、国民の中には、将来に亘っての“準立憲君主制”に疑問を持つ人がいてもおかしくはありません。天皇とは、現行の日本国憲法の第1条から第8条おいて規定された国制上の地位にあり、現‘皇室’の政治介入等に対する批判や是正案は、国制改革にも及ぶこととなるからです。

 ところが、マスコミの報道ぶりを見ておりますと、“異なる意見を尊重せよ”を旨としてきたにも拘わらす、‘皇室’については、如何なる不祥事や重大疑惑に対しても一切口を噤む一方で、現‘皇室’については礼賛と同調の一色で染まっています。まるで、日本国には、現‘皇室’に対して批判的な国民は一人もいないかの如きであり、TV等のインタヴュー等に登場する偽装“一般国民”も、好意的な意見しか述べません。日本国は自由主義国ですが、これでは、習近平主席を批判する声が消される中国や、金正恩最高指導者を批判する人が消される北朝鮮等の全体主義国家と、それほど違いがあるとは思えないのです(懸念される‘皇室’に対する中国の影響力拡大と北朝鮮化…)。

 しばしば、マスコミは、‘皇室’を批判すると極右団体から脅される、あるいは、国民から激しい反発を受けるとして自らの“自主規制”を正当化しておりますが、‘皇室’の異変が表面化した現状では、少なくとも後者についてはあり得ないのではないでしょうか。また、極右団体の正体が朝鮮半島系暴力団であることを考慮しますと、暴力に屈した日本のマスコミは、ジャーナリストの風上にも置けない不名誉な地位に甘んじることにもなりましょう。否、実のところ、マスコミ自身が、“言葉の暴力”を以って国民の自由な言論を封じる極左か極右の“ソフトな暴力団”であるかもしれないのです。

 マスコミ自身が、日本国において自由な言論を封じ、虚偽や偽善に満ちた強圧的で息苦しい閉鎖的言論空間を演出しているとしますと、言論の自由や多様性の尊重は表看板に過ぎす、マスコミの正体とは、全体主義の走狗と言わざるを得ません。日本国の国制改革には、天皇問題に関する自由な意見表明と討論は不可欠ですので、マスコミは、ゆめゆめ政治家を含めた国民の自由な言論を抑圧してはならないと思うのです。

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中国が恐れる対北石油禁輸後のシナリオー中北戦争と内乱

2017年08月07日 15時38分11秒 | 国際政治
「過去最大の経済制裁」 安保理が北朝鮮制裁決議を全会一致で採択、石炭・海産物の全面禁輸
今月5日、国連安保理では、北朝鮮に対して主要輸出産品である石炭や海産物の全面的な禁輸を、中国やロシアも含めた全会一致で決議しました。過去最大の経済制裁と称されつつ、関心を集めてきた石油禁輸については見送られた模様です。

石油禁輸の見送りについては、“話し合い”に持ち込みたい中国の外交的勝利との評価もありますが、そうとばかりは言えないように思えます。何故ならば、石油禁輸は、必ずしも、中国に有利な形での平和的な解決を意味しないからです(実のところ、太平洋戦争は、対日石油禁輸が引き金となっている…)。

中国からの石油が禁輸となれば、国内の経済活動のみならず軍の活動能力も不可能となり、北朝鮮は息の根を止められることになります。この効果の絶大さを考えれば、中国は、北朝鮮の生殺与奪の権を握っているように見えます。また、兵糧攻めで北朝鮮を降伏させることができるのですから、アメリカをはじめ、国際社会も石油禁輸を歓迎することでしょう。それでは、何故、中国は、自らの評価を上げ、しかも、核・ミサイル放棄後の北朝鮮に対して影響力を残すことができる石油禁輸に踏み込まないのでしょうか。

もちろん、THAAD配備をめぐる対米駆け引きにおいて石油禁輸を交渉カード(THAAD撤廃の交換条件…)として残したいとする思惑もあることでしょう。その一方で、もう一つ、石油禁輸を躊躇する理由があるとすれば、それは、石油禁輸を実行に移した途端、北朝鮮の核ミサイルの照準が、アメリカの主要都市から北京に転じるリスクがあるからなのではないでしょうか。中北戦争が勃発すれば、ICBMを用いるまでもなく、北京をはじめ北部の都市は北朝鮮の中距離ミサイルの射程に入っております。最終的に勝利を収めたとして、中国も無傷ではいられません。また、中国の旧瀋陽軍は北朝鮮軍と凡そ一体化しているともされ、仮に、北朝鮮が主敵を米国から中国へと切り替えた場合、旧瀋陽軍の矛先も北京政権へと向かい、中国は、内乱状態に陥る可能性があります。

中国政府が、中北戦争、あるいは、内乱を恐れているとしますと、中国に石油禁輸を期待することは難しくなります。否、中国は、北朝鮮の主敵をアメリカに固定すべく、裏側では北朝鮮としっかりと協調しつつ、あらゆる口実を設けては石油禁輸の実行から逃げようとするかもしれないと思うのです。

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被爆者の方々へのお願い-現代に生きる人々の命も守ってほしい

2017年08月06日 13時27分56秒 | 国際政治
保有、非保有国双方が協力を=核兵器禁止条約めぐり安倍首相
 本日8月6日は、人類史上、初めて原子爆弾が投下された日として記憶されております。被爆地である広島、並びに、長崎の惨状を知る者は、誰もが二度と繰り返してはならない悲劇としてその犠牲の重みを心に刻みます。

 そしてこの日がめぐってくる度に、マスメディアからインタヴューを受けた被爆者の方々は、口を揃えて核兵器廃絶を唱え、核なき平和な世界の実現を訴えます。核反対のスタンスは、しばしば政府批判に及ぶことも珍しくはないのです。特に今年は核兵器禁止条約が成立したこともあり、同条約への参加を見送った日本国政府に対する風当たりは強いようです。しかしながら、核兵器の保有や核の傘は、絶対悪なのでしょうか。

 広島と長崎において、無辜の人々の命が被曝によって無残にも奪われたことは、厳粛なる歴史の事実です。それ故に、核の廃絶こそが、平和への唯一の道と固く信じるのは理解に難くありません。核が存在しなければ被爆もあり得ず、この因果関係にあっては、核廃絶は被爆をなくす一つの道ではあります。その一方で、核保有や核の傘が、核保有国、とりわけ、無法国家の核に対する抑止力の一つであることも、まぎれもない現実です。国際社会では、NPT体制が成立しつつ、核保有国の中には、中国やロシアのような無法国家もある一方で、非核保有国でありながら、北朝鮮は、核開発に邁進しています。憲法第9条と同様に、一方的な核放棄は、暴力主義的な核保有国に対する抑止力を失わせ、国民の命を危険に晒します。

 被爆者の方々の心情は十分に尊重されるべきであり、その核兵器を憎む心には偽りはないのでしょう。しかしながら、被爆者の方々には、核が、その抑止力によって現在に生きる人々の命をも守っている現状についても、思い至っていただきたいと思うのです。核を憎むばかりに核の抑止力をも捨て去り、再度、被爆国となるのでは、広島、並びに、長崎にて尊い命をなくされた方々も、“それでよし”とは申されないのではないでしょうか。

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憲法第9条の根本的誤り-なくすべきは戦争原因では?

2017年08月05日 15時05分39秒 | 日本政治
自民、改憲案の秋提出見送りへ…支持低迷で
 安倍内閣が目標として掲げてきた憲法改正は、内閣支持率の低迷を受けて先送りとなる見通しのようです。秋の臨時国会に予定されていた自民党の憲法改正案も、慎重な議論を要するとして、先延ばしの方針が示されております。

 憲法改正と申しますと、戦争放棄の条文とされる第9条の行方が最大の関心事となります。安保法制の整備の度に、日本国内では激しい憲法解釈論争が起き、憲法改正=平和主義の放棄とする構図の下で、左派勢力は目の色を変えて反対陣営を張ってまいりました。憲法解釈論争とは、その実、外国勢力を背景とした政治対立の現れなのですが、憲法第9条については、その法解釈の問題以前の問題として、根本的な誤りがあると思うのです。

 何が誤りかと申しますと、戦争が‘武力行使’を意味する以上、第9条を支える“戦争の放棄が平和に繋がる”とする発想そのものが誤りなのです。何故ならば、国際社会において現実に戦争原因が存在している限り、武力という手段の放棄は、国家レベルの“自殺”に等しい極めて危険な行為であるからです。戦争原因とは、一国による一方的な武力行使による現状の変更を意味し、当然に、国際法違反の行為を伴います。すなわち、国際法を平然と破る無法国家がこの世に存在し、覇権主義的な行動を続けている限り、攻守両面における戦争、並びに、違法国家に対する国際的枠組にける武力制裁を除外視することはできないのです(武力によって攻めてきている相手を、武力無しで、どのようにして止めることができると言うのでしょうか)。

 戦争原因が存在する状態における交戦権や軍隊の放棄とは、即ち、侵略を受けても防御する手段を自ら放棄することとなり、むしろ、覇権主義国家による侵略と破壊を容認する結果をもたらします。実際に、中国、ロシア、北朝鮮のように、国際社会には武力による侵略を意図して攻撃型兵器の開発に勤しむ国が存在しております(しかも国連は”国際治安維持機構”としては機能不全の状態…)。憲法第9条は、この側面をすっかり見落としており、この意味において、日本国憲法を平和憲法と称すること自体、根本的なる誤りなのです。

憲法改正時期は遠のきましたが、真に日本国民、並びに、全人類が努力すべきは、憲法9条を“死守”することではなく、戦争原因をなくすことではないでしょうか。そして、この人類が共有する目的のためには、国際社会における法の支配の確立は不可欠ではないかと思うのです。

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”共産党は腐敗して無能”-正直なAIが中国に革命をもたらす?

2017年08月04日 15時10分28秒 | アジア
AIが「共産党は無能」と批判=中国ネット大手、サービスを停止―香港紙
 中国では、インターネットサービス大手・テンセント(騰訊)がAIとの対話プログラムのサービスを提供していたそうです。このサービス、思いもかけぬ事態から停止に追い込まれたというのです。

 対話プログラムが中止された原因は、AIの正直さ、否、分析の正確さにあります。同社のAI、”QQ”は、”中国共産党は腐敗していて無能”とチャットしたのですから。AIと言えば、ディープラーニングの進歩により、集積されたデータから自己判断が可能なほどまでの発展を見せおり、”QQ”は、いわば、テンセントのAI技術の高さをネット上で広く宣伝するための役割を担っていたはずです。そして、同社が誇る先端技術の粋を集め、かつ、人間の脳のメモリーを遥かに越える大量のデータに基づいての判断だけに、”QQ”の発言は、ある意味において、人間の判断以上に客観的で科学的、かつ、正確である可能性が高いのです。

 もっとも、“QQ”のチャットは入力されたデータの質や量に依存していますので、必ずしも客観的とは言えないとする反論もありましょう。しかしながら、テンセントは、香港証券市場において上場されているとはいえ、その本社は中国の広東省深圳市に置かれており、中国当局による厳しい情報統制の下にあります。同社が共産党にとりまして不都合なデータを集中的、かつ、選択的に“QQ”に投入したとは考えられません。また、中国におけるAI技術の急速な進歩は、13億の国民を基盤とする大量のビッグテータの処理能力に依るところが大きく、“QQ”の判断が、同社が収集した中国国民のデータに基づく“世論”の解析結果であるとしますと、“共産党は腐敗して無能”は、“QQの声”ならぬ“人民の声”ともなりましょう。あるいは、“腐敗”や“無能”という概念を学んだ“QQ”は、これらの構成要素と中国共産党の行動を照らし合わせて、同一性を認識したのかもしれません。

 何れにしましても、“QQ”のチャットはそれが的を射ているだけに、中国国民は“我が意を得たり”の心境となったのではないでしょうか。そしてそれが、国民の中国共産党に対する“腐敗と無能”の評価を疑いから確信へと転じさせたとしますと、近い将来、民主・自由化への‘革命の指導者’がAIであった’という人類史上初めての事例が出現するかもしれません。

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親中派の河野太郎外務大臣起用は日本国民に対する裏切り

2017年08月03日 14時56分37秒 | 日本政治
改造内閣の閣僚名簿発表…総務相に野田聖子氏
 昨日の夕刻頃から、マスメディアでは、内閣改造に関連して、河野太郎氏の外務大臣起用が取り沙汰されておりました。このニュースを耳にした国民の多くは、マスメディアの希望的観測であり、実際には外務大臣に起用されるはずはないと信じ込んでいたはずです。河野太郎氏と言えば、親中派、かつ、売国議員として知られるかの河野洋平氏の後継者なのですから。

 北朝鮮の核・ミサイル開発と相次ぐ度を越した挑発行為により、目下、日本国は、安全保障上の危機にあります。アメリカのトランプ大統領に対して対北制裁の強化を約束した中国は、今ではその合意を反故にし、北朝鮮の金正恩体制を支える側に回っています。日米同盟が今日ほど重要な意味を持つ時はなく、有事をも想定した軍事面での連携強化も進められている矢先であり、しかも、北朝鮮に対する武力制裁は、同国の後ろ盾となっきた中ロの軍事行動を引き起こす可能性も否定はできず、米中衝突へと拡大する懸念もないわけではありません。言い換えますと、東アジア情勢が緊迫するこの時期にあって、日本国に親中派の外務大臣が出現することは、日本国、並びに、日本国民にとりましてあまりにも危険であり、政府による日本国民に対する裏切りにも等しいと言わざるを得ないのです。この人事によって日米同盟が強化されるとは思えず、リベラルな河野氏は、韓国の文大統領と歩調を合わせて中国に靡き、自国を中国に売り渡そうとするかもしれません。”奴隷の平和”を選択して。

 日本国民が河野太郎外務大臣を歓迎するはずもなく、本内閣改造によって安倍内閣が国民からの信頼を取り戻し、支持率が上がるとは到底思えません。今般の閣僚人事は、低下傾向にある支持率の回復を目指したものとの説明もありますが、その実、マスコミ等を動員した外部による工作活動の結果であった疑いさえあります。つまり、支持率低下は日米同盟を弱体化させるための口実に過ぎず、工作を仕掛けた勢力は、首尾よく日本国の外相という重要ポストに自らのシンパを座らせることに成功したこととなります。この人事は、中国の仕業なのか、それとも、国際社会の背後に潜む国際組織の意向なのかは判然とはしませんが、少なくとも、日本国と日本国民のためのではないことだけは確かなように思えるのです。

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皇族複数説と『東方見聞録』-過去の“複製戦略”の事例

2017年08月02日 14時39分44秒 | 国際政治
日本国の皇族については、“美智子さん”や“愛子さん”をはじめ、顔立ちや容姿の時系列的な違いから複数説が存在しています。実のところ、こうした“替え玉”を疑う説は日本国に限ったことではなく、海外でもアドルフ・ヒトラーからヒラリー・クリントン元国務長官まで、疑惑を挙げればきりがありません。

 日本国の歴史でも、戦国時代にあって本者は大阪夏の陣で既に打ち取られていたとする徳川家康替え玉説や幕末の公武合体を担った皇女和宮も替え玉であるとする説もあり(増上寺にある徳川家の墓所の発掘調査結果によって、和宮の頭髪は、家茂の棺に納められているものと和宮本人のものとでは違うことが判明している…)、必ずしも突拍子もない珍説ではないのですが、殊、現代の皇室となりますと、否が応でも関心が高まります。国民としては、あり得ないとする感情が優るのでしょうが、支配を目的とした“複製戦略”については、かのマルコ・ポーロが、嘘かまことか『東方見聞録』において興味深い前例を記録しています。

 その事例とは、“「山の老人」と「暗殺者」の話”です。ムレヘト(現在のイラク中部あたりか…)という土地に住んでいた「山の老人」が、『コーラン』に描写されているイスラム教の天国を模した人工の庭園をつくることで若者たちを騙し、暗殺者に仕立てて周辺諸国の要人を暗殺させたとするものです(「山の老人」は、非イスラム教徒でありながら、イスラム教徒を騙している…)。この「山の老人」は、1262年頃に鎮圧されますが、支配の手法として、仕草から何から何まで本人に似せた“そっくりさん”を自分の他に二人つくり、地方に派遣していたというのです。

一人はダマスクス地方(現在のシリア)、もう一人は、クルディスタン(現代のクルド人居住地域)に派遣したというのですから、「山の老人」の活動範囲は広域的であったことが窺えます(この頃、西アジア一帯はモンゴルの侵入により混乱状態にあるので、真実とも推測される…)。「山の老人」は、単なる “身代わり”や“替え玉”というよりも、大掛かりな舞台装置を伴いつつ、積極的な支配の道具として“複製”を戦略的に使用しているのです。

 「山の老人」を「山の長老」と読み替えますと、目的は異なるとはいえ、どこか、現代にまで通じる“複製戦略”の世界史的な系譜が浮かび上がってくるように思えます(東宮の山好きは偶然か…)。明治維新、あるいは、イエズス会士が上陸した戦国期を境として、日本国にも世界的な勢力の組織的な影響が徐々に浸透してきたとしますと、今日の皇族複数説も、別の角度から検証する必要があるように思えるのです。

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