万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

アメリカ大統領選挙が不正選挙であったならば

2020年12月16日 12時42分56秒 | アメリカ

 12月14日の選挙人投票にあってはバイデン氏が多数の票数を獲得したものの、選挙自体に不正疑惑が付きまとっている以上、1月6日に確実に同氏が大統領に就任できるとは限らないように思えます。先行きは不透明なのですが、ここで、仮に同選挙において組織的な不正があったと仮定した場合、その意味するところを考えてみたいと思います。

 

 今般の不正疑惑は、選挙に付き物とも言える候補者による票の買収、別人による成り済まし投票、開票時における候補者名の書き換えといった古典的な手法とは大きく違っています。デジタル時代に相応しく、選挙システムのIT化がもたらしたパラドックスであるからです。民主主義の向上を図った結果、民主主義そのものを損ねてしまったのですから。この点、米民主党は、今般、バイデン氏が選挙人投票における多数票の獲得を以って‘民主主義の勝利’と謳っていますが、不正選挙を疑う人々にとりましては、‘民主主義の敗北’に聞こえてしまうのです。

 

 それでは、何故、民主党だけが不正選挙を疑われているのでしょうか。その理由もまた、選挙システムのIT化に求めることができます。同疑惑の追及過程にあって浮上してきたのが、ドミニオン社をはじめとした電子投票・開票機器メーカーの国際グループの存在です。不正選挙を否定するバイデン支持の人々は、同疑惑を根も葉もない噂、あるいは、トランプ陣営が捏造したフェイクニュースと見なしています。しかしながら、少なくともスマートマティック社に関する限り、同社のホームページの社史には、共産主義者を自認していたチャベス大統領の時代にあって、ベネズエラの大統領選挙に同社の製品が使用されていたこと、そして、カーター元大統領から高い評価を得ていたことなど、社会・共産主義勢力や米民主党との関係が‘誇らしげ’に掲載されていました。スマートマティック社のホームページが捏造であるはずありませんので、不正選挙疑惑は事実無根ではなく、疑われて然るべき背景があるのです。

 

 このことは、仮に、アメリカにおいて不正選挙が行われていたとすれば、その勝者を決めるのは、最早アメリカ国民ではないことを意味します。電子投票・開票機器を積極的に導入し、事前に電子投票・開票機器メーカーを‘育成’し、ソフト等の不正操作を行った米民主党が最も疑わしいのですが、その他にも、電子投票・開票機器メーカーの国際グループ、その株主、あるいは、同システムをハッキングし得るテクノロジーを有する海外の国家や勢力もまた選挙結果を意図的に変えることができます。今般の大統領選挙を見ますと、米民主党による単独犯行ではなく、最も疑わしいのが中国と結託した特定のグローバル金融・財閥グループなのかもしれません。同国際グループの背景にはジョージ・ソロス氏等の名も挙がっていますが、資金力や国際的な影響力からしますと、かくも大掛かりな組織的な不正が実行できるとすれば、同組織をおいて他にないからです(ダボス会議も、同組織の‘フロント会議’なのかもしれない…)。

 

 アメリカ大統領の真の決定者が、フランス革命から今日に至るまで、革命や戦争によって歴史を裏から操ってきた特定のグローバル金融・財閥グループであるとしますと、今後に予測されるのは、徹底した国民の軽視と無視です。政治家は、選挙にあって民意に沿った国民の利益となる政策を以って支持を訴える必要はなくなり、同グループの歓心を買う、あるいは、自らを勝者となす不正操作と引き換えに、同グループに利益を誘導するような政策を約束することとなりましょう(あるいは、既に立候補の時点で‘選別’がなされている可能性も…)。形ばかりの民主的選挙、あるいは、政治ショーとしての選挙は存続しますが、その実、同制度は形骸化してしまうのです。やがては、IT時代の民主主義国家の選挙は、大統領選挙のみならず、議会選挙にあっても投票結果が外部から操作され、各党の議席配分まで予め決められてしまうかもしれません。冷戦時代の東側諸国の議会のように…。‘電子投票・開票システムを制す者が世界を制す’ともなりかねないのです。

 

 この外部からの不正選挙による介入問題は、アメリカのみならず、全ての民主主義国家にとりまして脅威となりましょう。同様の事態が自国にあっても起こり得るのですから。国民の権利、並びに、その後の運命にもかかわるのですから、不正選挙疑惑を‘妄言’として片付けたり、目を瞑ってはならないと思うのです。


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バイデン氏ではアメリカは纏まらない

2020年12月15日 12時23分03秒 | アメリカ

 アメリカでは、予定通りに12月14日に各州が選出した選挙人による投票が実施され、バイデン氏が過半数を獲得したそうです。マスメディアでは、‘事実上’という形容詞を付しながらも、バイデン氏の当選が確定したかのように報じています。トランプ大統領は法廷闘争の継続を表明しておりますので、同投票を以って確定したわけではないのですが、これと同時に、バイデン氏に対しては、大統領就任後においてアメリカを纏める役割を期待する声も聞かれます。‘分断したアメリカを一つに’という…。しかしながら、この期待は、望み薄なのではないかと思うのです。

 

 第一に、今般の選挙にあって不正が行われたことは、アメリカ国民の大半が事実であると認識している点です。バイデン氏の勝利は、いわば、‘Might is Right’あるいは‘勝てば官軍’であり、投票数において優っていたことを意味するに過ぎません。倫理が問われ、不正が完全に証明されれば結果が覆される性質のものであり、事実が明るみになれば、一夜にして崩れ去るほどに脆い勝利と言えましょう。この点に鑑みますと、アメリカ国民が、共和党支持者であれ、民主党支持者であれ、‘バイデン大統領’の下でこれまでの対立感情を捨て去って、一致団結するとは思えません。バイデン支持者の人々は、‘トランプ支持者は潔く負けを認めよ’と主張しますが、正義感の強い国民ほど、バイデン氏の勝利を易々と認めることに、悪魔に魂を売ったような、心に痛みを感じることでしょう。つまり、否定し得ない不正疑惑がある以上、自然な感情として拒絶反応が起きてしまうのです(むしろ、「自らの良心に照らして、バイデン氏は潔く不正を認めよ」とする共和党支持者の声は続くことになるのです)。

 

 第二の点は、今般の大統領選挙における不正選挙疑惑、並びに、バイデン親子のスキャンダルは、何れも、中国が絡んでいることです。目下、アメリカと中国との間には、抜き差しならない対立関係が生じています。与野党問わず、反中においてはアメリカ国民が団結しているとも指摘されています。おそらく、日本国と同様に、アメリカ国民の大多数が反中の状況下にあって、親中のバイデン氏の下でアメリカが纏まるはずもありません(昨今、バイデン氏は、反中政策を掲げておりますが、心中は親中である可能性も)。中国としては、国家のトップを押さえておけば、同国を操縦できると目論んでいるのでしょうが、反中派が大半を占めるアメリカにあっては、むしろ、政権と国民との間に分断が生じることとなりましょう(日本国の構図と類似…)。

 

 そして第三に指摘すべき点は、‘バイデン政権下’のアメリカは、むしろ‘分断’していた方が望ましいのではないか、ということです。今般の不正選挙疑惑は、政権の正当性さえも揺るがす大事件ですので、仮に‘バイデン政権’が発足するとすれば、さらなるネット規制の強化に乗り出すと共に(大手IT企業に検閲権を認める?)、マスメディアでも不都合な情報は徹底的に隠蔽されることしょう。そのノウハウは中国から伝授されるかもしれませんし、アメリカは、中国と同様に最先端のITを以って全体主義国化する怖れがあります。つまり、‘分断の解消’や‘団結’という掛け声は、全体主義への道を歩かされることを意味しかねないのです(批判すれば、中国のように、‘国家分裂’を煽ったとして処罰されるかもしれない…)。こうしたリスクを考慮すれば、アメリカ国内には、自由と民主主義の砦として‘抵抗勢力’が存在すべきということになりましょう。‘分断’は、必ずしも‘悪いこと’ではないのです。

 

 以上に述べた諸点から、仮に‘バイデン政権’が誕生したとしても、アメリカの分断は解消されることはなさそうですし、また、それが望ましいとも言えないように思えます。今後の展開については正確な予測はつかないのですが、少なくとも‘バイデン大統領’に対する民主党支持者は、現状を見ていないのではないかと思うのです。


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アメリカ連邦最高裁判所の不可解な判決

2020年12月14日 12時52分29秒 | アメリカ

 本日、12月14日は、アメリカの大統領の選出手続きにあって各州が選んだ選挙人が投票する日なそうです。本来であれば、事実上、次期大統領が確定される日となるはずなのですが、前代未聞の不正選挙疑惑により、今般の選挙に限っては大統領が未確定の状態が続くこととなりそうです。

 

 ところで、不正選挙疑惑の主たる戦場は法廷なのですが、今般の一連の裁判においてとりわけ不可解に思えるのは、連邦最高裁判所がテキサス州の訴えをめぐって、原告適格性を欠くとして却下した一件です。同判決は、不正選挙そのものを争点とするものではないものの、被告4州の違法な選挙制度の変更は事実でしたので、トランプ陣営は、当然に、違憲判決が下るものと期待していました。ところが、蓋を開けますと、連邦最高裁判所は門前払いをしてしまったのです。

 

 しかしながら、アメリカ合衆国が連邦国家である点を考慮しますと、連邦最高裁判所の却下は、あり得ないように思えます。例えば、EUは連邦国家ではなく、独立国家によって構成される‘国家連合’ですが、EUの司法制度では、構成国に対して他の構成国を訴える権利を認めています。況してやアメリカのような連邦国家ともなりますと、当然に州間にあって争いが生じる事態を想定しているはずです。州間の紛争を平和裏に司法解決できないとなりますと、武力による解決、すなわち、内戦に至るリスクが高くなるからです。

 

 しかも、今般の不正選挙疑惑は、選挙自体は州法に基づいて州単位で実施されたとはいえ、大統領の選出は合衆国全体に関わる事項です。選挙人の数、即ち、多数決で決定されるわけですから、一つの州でも不正選挙が行われたとなりますと全体に影響を与えます。例えば、X候補とY候補が大統領の座を争う選挙において、割り当てられた選挙人数が4議席のA州、3議席のB州、そして2議席のC州という3つの州があったとします。この単純化されたモデルで説明すれば、B州がX候補を、C州がY候補を支持した場合、A州において不正選挙が行われれば当然に選挙結果は変わります。不正選挙の結果としてA州がY候補を支持した場合には、本来、X候補が選出されるはずが、Y候補が当選してしまうからです。

 

 現実の訴訟では、不正選挙そのものではなく、不正選挙を容易にした選挙制度の変更が問題視されましたので、上記の単純モデルの通りではありませんが、少なくとも、B州には、A州を訴える権利、即ち、原告適格が認められて然るべきです。大統領選挙とは、連邦レベルでの国家的な制度ですので、各州の専権事項とは言い難いのです。この点に鑑みますと、最高裁判所による原告不適格の判断は、不正疑惑問題から逃げるための‘口実’であったようにも思えてくるのです。不可解な最高裁判所の判決は、不正選挙疑惑を晴らすどころか、より一層疑惑を深めているとも言えましょう。

 

 同最高裁判所の却下を以って、ネット上などでもトランプ陣営は万事休すという見方が広がりました。しかしながら、トランプ大統領は法廷闘争を継続する方針を示しておりますので、並行して進行している他の訴訟の行方を見守ることとなりましょう。その一方で、連日のように報道していたバイデン前大統領に関する報道が殆ど見られなくなり(表現も‘バイデン氏’に変化している…)、マスメディアでは奇妙な現象も起きています。嵐の前の静けさなのでしょうか…。

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温暖化ガス50年ゼロが強いる国民負担

2020年12月13日 12時35分22秒 | 国際政治

 日本国の菅首相が所信表明演説で公表した2050年温暖化ガス排出実質ゼロ目標は、早くも法整備の段階に入ったようです。もっとも、法の制定に先立っては国会での審議を擁しますので、オープンな議論がなされるという意味においては望ましいことかもしれません。また、同目標は、自民党、並びに、政治家個人が国政選挙に際して公約として掲げたわけではなく、首相の一存で突然に表明されていますので、法案の提出は、総選挙後とした方が、国民にとりましてはさらに望ましいということになりましょう。

 

 ‘ゼロ目標’につきましては、二酸化炭素の排出量の規制強化という観点から、まずは、火力発電の転換や対処が迫られるエネルギー問題として注目されています。しかしながら、燃焼によって二酸化炭素が排出される以上、ゼロ目標の影響は、国民生活にも直接的に及びます。例えば、今日、一般の家庭で使われているガスコンロ、ガス風呂、ガスオーブンあるいは、石油やガスヒーターといった機器は、最早使用できなくなる可能性が高いのです。つまり、各家庭は‘オール電化’を強いられることとなるのですが、買い替えコスト、並びに、電力需要の急速な増加による電力料金の値上がり等は、生活コストを押し上げるものと予測されます。とりわけ、北海道や東北地方といった寒冷地では、冬場での化石燃料の使用禁止は死活問題ともなりかねません。また、こうした電化への移行期における膨大な買い替え需要にあっては、価格競争において優位にある中国企業の製品が、日本の国内市場において急速にシェアを伸ばすことでしょう。あるいは、買い替えることのできない低所得層においては、コンロ無し、お風呂無し、オーブン無しの生活が強いられ、生活水準が大幅に低下することになるでしょう。

 

また、‘ゼロ目標’は、ガソリン車の新車販売禁止とセットになって公表されたため、自動車産業の問題として扱われがちです。その一方で、国民に対する影響もまた甚大です。自動車一つをとりましても、ガソリン車を使用している人々は買い替えを余儀なくされますので、相当の費用負担が予測されます。軽自動車は、コスト面からもハイブリット化やEV化も容易ではなく、日常の足として軽自動車で気軽にお出かけをするといった生活は過去のものとなりましょう。あるいは、その頃には、上述した家庭用機器と同様に、EV車の安価での大量生産に成功した中国メーカーの自動車が大量に日本国に流入することとなるかもしれません。

 

しかも、オール電化にしますと、自然災害が多発する日本国では、停電によって行政や経済のみならず、日常の生活までが全てストップしてしまいます。冬場に電力供給がストップすれば、国民の多くは命の危険に晒されましょう。こうした事態を避けるためには、各家庭にあって蓄電設備を設置するか、あるいは、太陽光パネルなどの自家発電施設を準備することとなりましょうが、これらのコストも国民にとりましては大きな負担となります。

 

以上に‘ゼロ目標’に伴う国民負担について気が付いた点を挙げてみましたが、その他にも、連鎖的に様々な分野に影響が及ぶことでしょう。それでもなおも政府が同目標を追求しようとするならば、移行期における国民の負担やリスクについて正直、かつ、丁寧に説明すると共に、技術的な解決策や見通しについても詳細に情報を提供すべきです。また、政府は、ゼロ目標を成長のチャンスとしたいようですが、実際には、中国をはじめとした海外勢力に日本事業拡大のチャンスを与えることになりかねないのですから、同分野にあって日本企業が優位となる根拠も示すべきと言えましょう。何れにしましても、国民に対して判断材料を十分に提供すべきですし、法案の成立には、国民的な支持や合意は不可欠なのではないかと思うのです。省エネルギー化や新たなエネルギー源の開発等については国民の多くは支持することでしょうから、化石燃料との共存を含めたより温和な方法もあるはずです。否、‘保険を掛ける’という言葉がありますように、むしろ電化一辺倒ではなく、いざという時に代替できるようなエネルギー源の確保、すなわち、電気、ガス、石油、石炭など、エネルギー源の多様化こそ、安定した経済活動や国民生活を約束するのかもしれません。

 

地球環境問題は国際協力を要する分野とされながらも、その背後では、排出権取引利権をはじめとした環境利権をかけた国家間、あるいは産業間における激しい火花が散らされています。国際社会に忖度し、理想を追うばかりに日本国政府が国民に負担を押し付けることがないよう、法整備に当たっては、与野党の議員も国民も、政府が掲げる‘ゼロ目標’が適切であるのかどうか、現実的、かつ、多面的な視点から十分に吟味し、かつ、議論すべきと思うのです。


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現代版の独立戦争と南北戦争が同時に発生したアメリカ?-その2

2020年12月12日 12時49分09秒 | 国際政治

 今日のアメリカは、あたかも現代版独立戦争を戦っているかのようです。その一方で、独立戦争のみならず、アメリカは、南北戦争をも同時に闘っているように見えます。もちろん、現代版にあっては、両戦争とも、戦場ではなく法廷において知性と理性を以って闘われているのですが、対立の構図を見ますと、今日の大統領選挙には過去の二つの戦争と重なってくるのです。

 

 それでは、今日の大統領選挙は、どのような意味で南北戦争と共通しているのでしょうか。先ず第1に挙げられますのが、州が他の州を訴えるという州間対立に至っている点です。今般、米テキサス州のパクストン司法長官は、連邦最高裁判所に対してジョージア州、ミシガン州、ペンシルべニア州、ウィスコンシン州の4州を訴えています。現時点にあって17州がテキサス州の訴訟に賛同する一方で、ロイター社はワシントンD.C.、並びに他の20州が被告側となる4州側を支持する書面を最高裁に提出したと報じています。アリゾナ州のように中立的な立場を示す州もありますが、今やアメリカでは、大統領選挙をめぐり二つの陣営が対峙する構図が出現しているのです。

 

 テキサス州は、被告州となる4州が正式な手続きを経ずして大統領選挙の選挙方法を改正した点を問題視しています。何故ならば、この行為はアメリカ合衆国憲法の規定に反するからであり、連邦最高裁判所が違法性を認めれば、4州の選挙は無効となることが予測されたからです。これまでのトランプ陣営による法廷闘争は、各州において行われた不正選挙、並びに、その背景にある電子投票・集計機器をめぐる国際陰謀や国家反逆行為に関するものでしたが、今般のテキサス州が主導する違憲訴訟は、不正選挙そのものを直接問うのではなく、それを許した制度変更の違憲性を問うという間接的な手法と言えましょう。

 

 その一方で、対する被告4州は、12月10日に提出された書類において「訴えには法的あるいは事実に基づく根拠がなく「虚偽」の主張でしかない」と反論したと報じられています。この反論、どうしたことか、上述したテキサス州の訴訟内容と全く噛み合っていません。郵便投票を拡大するために選挙の手続きを変更したことは紛れもない事実ですので、‘事実に基づく根拠’であることは疑いようもないからです。不正選挙の有無が争点となった各州レベルでの訴訟とは違い、オウム返しのように繰り返されてきた‘根拠のない主張’という反論を封じるためにこそ、確実なる事実を以って憲法違反を認定し得る方法として、テキサス州は、選挙手続きの不当な変更を訴因としたのでしょう。この点を考慮しますと、ここで再び、被告4州が‘根拠のない主張’というオウム返しを以って対応したとしますと、そこには、何らかの‘指令’を想定せざるを得ないのです。いかなる事実を目の前につきつけられても、‘根拠がないと言い張るように’という…。

 

 被告4州もそれを支持したとされる首都及び20余りの州は、4州による制度変更は合憲であるとみなしているならば、迷うことなく堂々と応訴するはずです。それにも拘らず、連邦最高裁判所に対して訴状の不受理を以ってテキサス州の訴えを退けるように求めているとしますと、アメリカ国民の多くは、被告州陣営が、自らを不利とみて裁判から逃げようとしていると見なすことでしょう。それは即ち、被告州陣営が違憲行為、並びに、同行為によって可能となった不正選挙を認めていることを意味します。つまり、アメリカは、如何なる卑怯な手を使っても‘勝てばよい’とする側と、あくまでも正当性と合法性を求める側との、倫理・道徳観をめぐる対立に至っているのです。かつての南北戦争では、奴隷制を認めるか否かがアメリカを分断させましたが、現代版南北戦争でも、倫理・道徳観が問われているといえましょう。

 

 以上に述べてきましたように、今日のアメリカ大統領選挙をめぐる対立は、あたかも独立戦争と南北戦争が再来したかのようです。結局、資金力やメディア支配力において不正容認陣営が優勢な状況にあって、連邦最高裁判所は、テキサス州の原告適格を否定し、同州の訴えを却下したそうです(不正選挙の有無を判断したわけではない…)。その一方で、ドミニオン社をはじめとした電子投票・集計システムに関する国際コネクションの存在は事実ですので、不正選挙疑惑が消えたわけではありません。トランプ陣営の主張を‘根拠がない’と言い張った人々は、訴訟の過程で明らかとなったこうした‘消せない事実を’どのように考えているのでしょうか。バイデン陣営側が、明確なる証拠を以って疑惑を晴らさない限り、同政権に対する国民の不信感も消えないのではないかと思うのです。アメリカは、政治への信頼を取り戻すために、まずは、真に中立公平な第三者による選挙調査委員会を発足させるべきなのではないでしょうか。


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現代版独立戦争と南北戦争が同時発生したアメリカ?-その1

2020年12月11日 12時33分51秒 | アメリカ

 今般のアメリカの大統領選挙は、1年前には誰もが予想すらしなかった驚くべき展開を見せています。今日に至るまでの経緯、並びに、その背後勢力を観察しますと、現代という時代を舞台にして、あたかも独立戦争と南北戦争が同時に起きているかのようなのです。

 

 ‘現代版独立戦争’とみなす理由は、今般の不正選挙問題は、アメリカの国家としての独立がかかっているからです。日本国のマスメディアでは黙殺されていますが、米民主党の背景には海外勢力が潜んでいます。その筆頭に挙げられているが中国であり、同国は、ハンター・バイデン氏のみならず、民主共和両党を問わず、アメリカ政治の中枢部を潤沢なチャイナ・マネーを以って操ってきました。末期には反中方向に転じたとはいえ、オバマ政権時代におけるアメリカの対中政策の多くは中国の意向に沿ったものであったことは想像に難くはありません。

 

 もっとも、海外勢力によるアメリカ支配は、中国に始まるわけではありません。中国の背後には同国を操る‘黒幕’が隠れており、それこそが、アメリカのネットを騒がせている‘ディープ・ステート’と称される特定の国際金融財閥組織団なのでしょう。実際に、中国を世界第二位の経済大国にして軍事大国に育てたのは国際金融財閥組織団とされており、世銀が中国に対して経済・産業政策の顧問を派遣していたことは紛れもない事実です。中国は、誰の救けもなく独力で発展したのではなく、鄧小平氏が開始した改革開放政策を機に、国際金融財閥組織団が多額の資金を注ぎ込み、‘指導’したからこそ大国となったのです。中国の急速な経済成長は、同組織にも莫大な利益を齎したことでしょう。

 

同組織団の成り立ちを辿りますと、おそらく、独自のタルムードを発展させたバビロニア・ユダヤのコミュニティーに行き着くのかもしれません(バビロニア・タルムードでは、神から与えられたとされる道徳規範(「汝殺すなかれ」、「汝盗むなかれ」など)である十戒が否定されている…)。そのメンバーは、政治、経済、宗教など様々な組織に入り込んでおり、カトリックのみならず、イエズス会、フリーメイソン、あるいは、東インド会社にもそのメンバーを見出すことができましょう。イエズス会員であったバイスハウプトが設立したイルミナティ―とも称されることもありますし(偽りの光を世に広げる?)、今日では、表向きは‘グローバリスト’を名乗っているかもしれません。アメリカの独立戦争に際しても、真の敵は、イギリスという国家というよりは東インド会社であったとする説もあるくらいなのです。

 

もっとも、アメリカは、独立を勝ち取ったとはいえ、同組織の高い浸透性は常にアメリカを内部から脅かしてきました。様々な組織を介して、いつの間にか、アメリカの政界や財界において同勢力は拡大していったのでしょう。また、マスメディアや教育界が掌握されたことにより、その社会や個人に対する浸透力は格段に高まったはずです。独立とは名ばかりであり、アメリカもまた、一般の国民が気が付かないうちに同組織によってコントロールされていたのかもしれません。つまり、アメリカは、その独立性を喪失していたのです。

 

この側面から見ますと、今般のアメリカ大統領選挙におけるバイデン陣営の背景のスクリーンには、マスメディアをも支配する国際金融財閥団のシルエットが朧気ながら浮かび上がっています。中国による介入のみならず、電子投票・集計機器のドミニオン社に対する疑惑は国際性を帯びており、単独犯であるはずもありません。トランプ陣営が闘っているのは、バイデン陣営というよりも、アメリカを‘静かに’植民地化してきた巨大、否、巨悪とも表現すべき海外国際勢力と言っても過言ではないのです。この意味において、今般の事件は、現代版独立戦争なのではないかと思うのです。(つづく)


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ハンター・バイデン氏の脱税疑惑公表の意味とは?

2020年12月10日 12時25分18秒 | アメリカ

 今般のアメリカ大統領選挙は、大規模な組織的不正疑惑が持ち上がり、歴史を揺るがす大事件に発展しています。バイデン前副大統領を擁立した米民主党が不正選挙を仕組んだとする見方が有力ですが、日米ともにマスメディアが同疑惑に対する情報を報じていないため、同疑惑を知らない人も少なくないかもしれません。しかしながら、ここに来て、遂にバイデン氏本人ではないにせよ、子息のハンター氏が連邦検察当局から税務調査を受けているとする情報が報じられることとなりました。

 

 この報道、ハンター氏本人の声明も公表されておりますので、税務調査を受ける身となっていることは事実なようです。しかも、その調査対象とは、CNNの報道によれば中国ビジネスでの取引というのです。ハンター氏は、父バイデン副大統領が現職であった時代に同氏に同伴して中国を訪問し、ビジネス利権を得ていたことは既にトランプ陣営側から批判されてきました。中国のエネルギー企業(CEFC)をバックに設立された投資会社(Sinohawk Holdings,)の役員に就任し、その役員報酬として巨額の利益を得ていたのです。因みに、CEFCは2020年3月に架空取引や取引実績の水増しなどが明るみとなり破産しましたが、チェコに対する積極的な投資がむしろ同国の反感を買い(CEFCは表向きは民間企業ですが、集中的なチェコ投資には中国政府の意向が働いたはず…)、同国の上院議長等による台湾訪問の一因となったのかもしれません。何れにしましても、同批判に対してバイデン陣営は事実無根として否定してきたのですが、税務調査が事実であるとすれば、少なくとも脱税を疑われる資金等の中国側からの提供があったことを、本人自らが事実として認めたことになりましょう。

 

バイデン親子のスキャンダルが事実とすれば、アメリカ国民の多くは、民主党員であれ、バイデン前大統領は大統領としての適格性を欠けると判断することでしょう。副大統領という公職にありながら、米中外交の舞台を利用して私益を貪っていたことになるからです。つまり、喩えそれが、ネポティズムが根強く残る中国では当たり前の慣行であり、かつ、中国ビジネスから生じた合法的な利益供与であったとしても、権力の私物化と批判されても致し方ない行為です。たとえ大統領に就任したとしても、中国に弱みを握られているのですから、アメリカ安全保障や国益を損なう可能性は極めて高く、しかも、同氏の私益優先の姿勢は致命的です。いざ、という時には、国家や国民を犠牲にするかもしれないのですから。

 

そして、この一件から、中国が海外の要人を篭絡する手法も見えてくるのです。日本国内では86%以上の国民が反中感情を抱いている一方で、政界の大半が親中に流れるという不可解な現象が起きています。民主主義国家にあっては、政治家は‘国民の代表’のはずですのでこうした分断は起こり得ないにも拘わらず、政界と国民との間には、中国を軸とした深刻な‘分断’が発生しているのです。これまで、中国が日本国内で親中派の政治家を‘育成’する手法として、古典的な賄賂やハニートラップ等が想定されてきました。しかしながら、今日の日本国の政界における親中派の急拡大からしますと、政治家本人のみならず、その親族に対する中国ビジネスの利権供与、即ち、合弁事業の許可や役員ポストの提供等も有力な懐柔手段なのかもしれません。ネット上ででは、アメリカ中枢部の取り込みに成功し、チャイナ・マネーの威力を自慢げに語る中国高官の動画が拡散されていますが、日本国の‘中枢部’に対しても、同様の工作が仕掛けられていることでしょう。日本国の税務当局も、日本国の政治家、並びに、親族に対しては(政治家のみではないかもしれない…)、中国ビジネスがらみの資金の流れを調査すべきかもしれません。

 

ハンター氏が自ら声明を発表した背景には、税務調査により‘有罪’が確定できなければ、自らの疑惑も晴らすことができると踏んでいるではないか、とする憶測もあります(不正選挙疑惑と同様に‘逃げ切り’作戦?)。しかしながら、バイデン親子が公権力を自らのビジネスのために利用し、中国企業とビジネス関係を結んでいたことは動かしようのない事実です。副大統領時代に発覚すれば弾劾理由となるような事件ですので、あるいは、バイデン前大統領は、不正選挙の罪で失脚するよりも、同問題を以って‘名誉ある撤退’を選ぼうとしたのかもしれません。しかしながら、中国、あるいは、同国をも内包する国際組織による‘国家乗っ取り作戦’がバイデン親子のみの問題ではなく、全世界の政界に蔓延してしまった‘腐敗構造’であるならば、不正選挙問題を含め、徹底的な真相究明が必要なのではないかと思うのです。


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‘世界’に蔓延する未来型原理主義

2020年12月09日 10時58分43秒 | 国際政治

 原理主義と言えば、イスラム原理主義やキリスト教原理主義が思い浮かび、宗教的理想を実現するために狂気に走る集団とするイメージがあります。イスラム原理主義は、マホメットが生きた時代に理想を求め、ISに至っては、イスラム帝国の再建設を掲げてその支配地域を広げました。イスラム原理主義程には過激ではないにせよ、キリスト教にあっても、アーミッシュのように現代のテクノロジーを拒絶し、移民時代さながらの素朴な自給自足の生活を営んでいる人々もおります。

 

 こうした過去に理想を求める宗教的な原理主義に対して、一般の人々は、冷笑しがちです。過去の時代を再現することなど、できるはずがないと考えるからです。ところが、その一方で、人々は、今日、未来型の原理主義が蔓延していることには、気が付いていないように思えます。未来型原理主義とは、人類の未来は、SFが描くような世界であると決めつける考え方です。過去型の原理主義を嘲笑しながら、未来型原理主義については無批判どころか、歓迎論が強いのです。

 

 未来型原理主義が目指す理想卿とは、全て人々の行動、発言、思想、そして生体情報はデータ化され、AIによってコントロールされた社会です。地上の交通ネットワークは、ITSシステムによって制御され、上空には空飛ぶ自動車が行き交っています(もしかしますと、空飛ぶ自動車だけは、特権階層のみが自由に操縦できるのかもしれません…)。もちろん、この時には、カーボンニュートラルも実現しているのでしょう。人々は、現実と仮想現実とを見分けることもできず、支配者によって人為的に造られた世界の中で生かされているに過ぎません。完璧なまでに合理化され、効率化されているからこそ、人々には自由がないのです。個々人に自由を認めると、一個の精緻なメカニズムと化した社会に狂いが生じるのですから。いわば、電脳社会という名の全体主義社会なのですが、共産主義とも、その目標となる到着地点は同じなのでしょう。

 

 今般の国際社会を観察しておりますと、未来型原理主義が、イスラム原理主義以上に猛威を振るっているように思えます。政界も経済界も、グローバリストを中心として、同社会の実現のために、何としても巨大な投資の流れを造ろうとしているように見えるからです。例えば、アメリカを除く先進各国の政府は、日本国の菅政権を含め、上からの‘指令’に従うかのように2050年を目度に温暖化ガスの排出量ゼロの目標を掲げるようになりましたが、この措置も、かつての禁酒法並みの愚策となるリスクがあります。行き着く先の未来が人類のディストピアであるのみならず、悪徳をも栄えさせる可能性があるのですから。禁酒法で最も利益を得たのは密造事業者や密輸業者でした。この歴史の教訓に照らせば、先進諸国のゼロ目標は、先進諸国の産業の衰退と生活レベルの低下を促進する一方で、需要が激減した化石燃料資源を安価で独占しようとする勢力を利したり、規制の緩い諸国における排出量が増加するだけの結果をもたらすかもしれません。

 

 東京都も、国に先駆けて2030年までにガソリン自動車の新車販売を禁止するそうですが、菅首相も小池知事も、地に足のつかない未来型原理主義者なのかもしれません。未来型原理主義を抑えるには、国民の声に耳を傾けると共に、議会等における現実を踏まえた議論が必要なのですが、今日の日本国にあっては、内外の利害調整機能、並びに、政府に対する制御機能が著しく弱体化しています。アメリカ大統領選挙においても指摘されているように、マスコミ報道による既成事実化によって、一方的に既定路線が敷かれてしまうのですから。国民は、イスラム原理主義と同様に、政府や財界が染まっている未来型原理主義にも警戒すべきではないかと思うのです。


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日本国も選挙制度の総点検を

2020年12月08日 12時29分24秒 | 日本政治

 アメリカの大統領選挙は、今や国家安全保障の問題と化しています。アメリカのみならず、日本国のマスメディアでも報道が殆どないのですが、今般の選挙では、看過し難い不正選挙疑惑が持ち上がっているからです。しかも、指摘されている不正選挙には、中国や国際組織といった外部勢力が絡んでいるとされ、同疑惑が事実であれば、アメリカにとりましては国家存亡の危機と言っても過言ではないのです。

 

 アメリカ合衆国は、世界に先駆けて憲法において選挙制度を定めた民主主義国家として建国されております。その先進性は今日まで受け継がれており、シリコンバレーを擁する同国がいち早く選挙あっても電子投票・集計システムを導入したのも、より正確、かつ、迅速なシステムを求めたからなのでしょう。しかしながら、今般の大統領選挙を見る限り、同国の進取の気性は大規模な不正選挙を可能とした点において‘仇’となっております。電子投票・集計機器やそれに搭載されているソフトウェアのアルゴリズムを操作すれば、簡単に数字を変えてしまうことができるからです。

 

ところで、今般の疑惑において俄かに注目を集めたのが、全世界の選挙システム市場において高いシェアを占めるドミニオン社、スマートマティック社、並びに、サイトル社といった‘グローバル企業’です。これらの企業は相互協力関係にあり、中国の企業との繋がりも指摘されているのですが、アメリカ各州の政府が、自国企業ではなく、これらの企業から電子投票・集計機器を調達している実態が明るみになったからです。不正選挙疑惑がアメリカのみならず国際社会全体にも深刻な影響を与えかねない事態に至ったのも、それが、国際陰謀の様相を呈しているからに他なりません。

 

そして、この点を考慮しますと、アメリカで今日起きている出来事は日本国にも波及することでしょう。アメリカの次期政権が日本国の安全保障に与える影響も然ることながら、海外勢力が民主主義国家の選挙に介入し得るとなりますと、それは、選挙制度を介して、内政干渉どころか、間接侵略すら可能であることを意味するからです。ネット上では、同問題は、大規模に選挙システムの電子化を行ったアメリカであるからこそ起きたとする意見も見られますが、日本国にあっても、選挙のたびに‘ムサシ陰謀論’が持ち上がっています。‘ムサシ陰謀論’とは、日本国の選挙では、投票から開票に至るまで、選挙機器のトップメーカーであるムサシ社の製品が使用されているため、選挙結果は、これらの機器の操作により改竄されているというものです。

 

ムサシ社は紙類の卸売問屋から始まり、紙幣の自動カウント機から投票用紙の自動集計機へと事業を拡大させた会社であり、同社の説明によれば、不正な操作はないとしています。しかしながら、仮に、ソフトウェアにおいては上述したグローバル企業の製品を使用しているとしますと、たとえ同社が意図的、かつ、直接的に不正操作を加えなくとも、外部から操作される可能性はあります。また、自社開発のソフトウェアであったとしても、サイバー攻撃やハッキング等に対しては脆弱であるかもしれません。IT化の進んだアメリカにおいてさえ、技術的に外部からの不正操作は可能とされておりますので、日本国の選挙システムのリスクは同国を大きく上回ることでしょう。

 

しかも、とりわけ中国のITが高度化した今日、ムサシ社が選挙機器市場をおよそ独占する日本国は、アメリカよりも不正選挙工作を受けやすい状況にあります。アメリカでは、中国と結託した民主党による‘クーデタ説’も囁かれていますが、日本国もまた、国民には見えない形でクーデタが進行している可能性も否定はできません。そもそも、安倍前首相の突然の辞任から菅政権の誕生までの一連の経緯も、海外勢力を背景とした‘政変’さえ疑われるのですから。日本国もまた外部勢力に操られているとする疑いが日に日に強まる中、アメリカ大統領選挙における不正選挙疑惑を機に、日本国も、ムサシ社製の選挙機器に関する調査をはじめ、選挙システムを総点検すべきなのではないでしょうか。民主主義国家が民主的選挙制度によって滅ぼされるような事態は、決してあってはならないと思うのです。


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日本国の企業統治指針改正のリスク―企業型アファーマティヴ・アクションの行方

2020年12月07日 12時26分19秒 | 日本政治

 昨日、日経新聞の朝刊一面に、企業の社外取締役に関する記事が掲載されておりました。目下、金融庁と東京証券取引所は2021年春を目途に企業統治指針の改定作業に取り組んでいるそうですが、同指針の概要が判明したという記事です。2022年に現行の一部上場を「プライム市場」が引き継ぐに際して基準を厳格化するという内容なのですが、この指針の改正案、政府の市場に対する介入強化となるように思えます。

 

 同方針の主たる改正点は、取締役や指名委員会の機能強化、並びに、管理職の多様性を確保の二つです。前者については、社外取締役を3分の1以上にするといった内容であり、後者については、数値目標の設定や達成状況の公表により女性、外国人、中途採用者の取締役への登用を促すというものです。何れも、国内の基準を、所謂コーポレート・ガバナンスの分野における‘グローバル・スタンダード’に合わせるということなのでしょう。

 

 そもそも、企業統治につきましては、どの程度の公的な規制が適切なのか、という問題があります。一般論からすれば、規制とは、他害性や危険性が認められたり、マイナス効果が発生するリスクが生じたり、あるいは、公序に反する場合等に正当化されます。ところが、今般の指針改正の内容を見ますと、誰からも異論がないほどに明確に‘害悪’が生じると言い切れないように思えます。

 

 例えば、社外取締役を3分の1以上にするという基準については、社員のモチベーションを著しく損なう可能性もありましょう。何故ならば、一生懸命に会社のために働いたとしても、取締役に就任するチャンスは3分の2となるからです。また、社内事情に疎い‘落下傘部隊’が舞い降りるのですから、組織としての結束や調和が乱れ、業績が悪化する事態も想定されます。また、同改正によって激増する‘社外取締役’のポストは、政界や官界からの新たなる‘天下り先’となる可能性もありましょう。さらに悪い予感があるとすれば、中国共産党の手法と同様に(中国では、企業は共産党員を受け入れる義務がある…)、社外取締役が、外部勢力からの支配ルートとなることです。

 

第二の多様性の確保につきましても、男性であり、日本国民であり、かつ、新卒採用者が多数を占める現状では、これらの典型的な日本の就労者が実質的に不利益を被ることは、就任チャンスの確率を計算すれば明白です。また、実力主義でもなく、かつ、全ての人々に等しくチャンスを与える、つまり、機会の平等や比例平等に抵触する政策は、全ての人々から常に支持されるわけではありません。例えば、アメリカでは、マイノリティーに対して採用枠を保障するアファーマティヴ・アクションについては、賛否両論の激論が展開されてきています。今般の改正案は、政府ならぬ企業においてアファーマティヴ・アクションを導入するようなものなのですから、反対論があっても然るべきと言えましょう。あるいは、日産のゴーン事件が示唆しますように、日本企業が海外勢力に乗っ取られるルートとなるかもしれません。そもそも、性別、国籍、並びに、採用期間の長短が企業業績に影響を与えるとするエビデンスは存在しないのではないでしょうか。何れにいたしましても、同方針には、プラス面のみならず、マイナス面も指摘できるのです。

 

取締役の選任については、本来、企業の人事権に含まれますので、経済活動の自由の一環として保障されるべきものです。否、政府が口を挟みますと、私的領域を侵害しかねないのです。しかしながら、今般の指針改正のように、証券市場への上場の条件として設定すれば、一先ずは、企業には選択権が認められる形となります。ところが、この選択権、企業にとりましては、同条件を飲むか、あるいは、上場を諦めるかの二者択一を迫られることを意味しますので、事実上、‘義務付け’あるいは‘強制’の効果が生じてしまうのです。

 

自由主義経済のメカニズムとは、公正で自由な競争を基盤としていますので、企業統治のあり方につきましても、他害性がない限り、自由競争に任せるべきなのではないでしょうか。仮に、同方針が示す企業統治が優れているならば、同方針に従わない企業の経営企業は自然に淘汰されるですから、敢えて‘義務化’や‘強制力’で縛る必要はないはずです。企業統治の形態の間でも自由に競争されるべきですし、「プライム市場」の基準を満たさない企業にも、証券取引所の新規参入を許すべきかもしれません。多様性の行き着く先が画一化であり、菅政権の掲げる‘規制緩和’の実態が‘規制強化’にあるとすれば、日本国の企業も国民も、同方針の改定には、迂闊に合意してはならないように思うのです。


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‘縦割り行政の打破’とは‘独裁化’のことでは?

2020年12月06日 13時06分47秒 | 日本政治

 菅政権の打ち出した行政改革の基本方針は、‘縦割り行政の打破’です。政権発足当初、河野太郎・行政改革担当が「行政改革目安箱」を開設したところ、わずか半日で4000通が殺到したことから、国民からも強い支持を受けている印象があります。

 

管轄権が広範囲の省庁に及ぶ問題領域にあっては、確かに、政策決定に至るまでのプロセスにおいて利害調整や意見の集約に時間がかかりますし、政策の実施後も、各省庁の‘省益’によって効果が薄れてしまうケースもあるかもしれません。迅速さや効率性の向上を最優先とし、極限までこれらを追求するならば、‘縦割り行政の打破’には、それなりの理由がありましょう。国民の多くも、行政機構の煩雑さ、あるいは、各省庁の省益優先のスタンスを理解するからこそ、菅政権が、旧態依然とした現状に大鉈をふるうことに期待を寄せたのでしょう。システムを並列型から垂直型に転換すれば、円滑かつ効率的な行政が実現しそうに思えます。とりわけ、打破すべき対象が‘既得権益’と表現されますと、国民の多くは、改革支持に傾きがちです。しかしながら、この改革、幾つかの側面で問題が潜んでいそうなのです。

 

第1の問題点は、現代という時代の複雑性です。‘縦割り行政’が出現した理由は、現実の経済・社会にあっては分野や立場によって様々な意見や利益があり、利害関係も複雑に交差しているからです。‘縦割り’の機構が障害となって行政が現実に適切に対応できないのではなく、その逆に、経済・社会複雑化したからこそ‘縦割り行政’となってしまったのです。となりますと、行政の適応性を高めるための方策は、機構の一本化を図り、垂直型に向けて改革するのではなく、省庁間、あるいは、分野間の意見・利害調整のシステムを精緻化するという方法もあるはずです。現実の複雑性への対応という側面からすれば、後者の方が、余程、‘進化’した統治機構の形態であるかもしれません。

 

第2の問題点は、今日の政府は、民主的な正当性が揺らいでいるという現実です。政府は、民主的選挙を経て成立している故に、官僚組織に対して自らの優位性と政策決定の正当性を主張することができます。しかしながら、今日の日本国の政治のシステムは、議院内閣制ですので、首相は、事実上、与党内の党首選挙で選出されますし、菅首相に至っては総選挙をも経ていません。政府は、民主主義を持ち出して官僚組織に対して自らの優位性を主張することはできても、国民に対して改革を断行するほどの民主的正当性を備えているとは言い難い状況にあります。しかも、アメリカの大統領選挙が示すように、民主的選挙システムにあっても票の集計システムを通して不正選挙があり得ることを、多くの国民が知ることとなりましたので、日本国にあっても、国民の多くが今日の選挙制度に対して疑問を抱くに至っています。

 

第3に指摘し得る点は、‘縦割り行政の打破’は、内閣(政権)への権力の集権化を意味しかねないという問題です。この問題は、第一に指摘した複雑性への対応とも関連するのですが、並列型から垂直型への転換は、行政機構にあってトップ・ダウン式の上位下達を実現することを意味します。つまり、内閣(政権)による上からの政策決定、あるいは、指令が行政の末端にまで伝達され、それが忠実に実行される体制ということになります。行政改革の結果、日本国また、中国の独裁体制に近い特定の一党(連立与党)による集権体制が出現しないとも限らないのです。

 

そして、第4の問題点とは、行政情報にデータ管理に関するリスクです。‘縦割り行政の打破’には行政のデジタル化が伴いますので、国民への行政サービスの情報を含め、各種情報も中央サーバーにおいて収集・管理されることでしょう。今日のITのレベルを以ってすれば、サイバー攻撃のみならず、内部操作も可能ですので、セキュリティーを考慮すれば、一元化のみが必ずしも望ましいわけではありません。海外勢力に日本国の情報が丸ごと漏洩したり、逆に、外部からのデータ操作によって干渉を受ける可能性も否定はできないのです

 

かつて、首府である江戸は、江戸城を中心に敢えて渦巻き状に都市設計されましたが、その理由は、直線的な設計では敵軍の直進を許してしまい、外部からの攻撃に対して脆弱であったからです。効率性よりも安全性を優先したわけですが、先人の知恵には学ぶべきところもあるように思えます。中央集権体制ほど外部勢力の‘乗っ取り’には好都合という側面もあります(トップ一人を攻略すれば国家全体を掌握できる…)。日本国の政府並びに国民は、‘縦割り行政の打破’に邁進するよりも、現代の複雑性への対応やセキュリティー面をも考慮した、より高い次元での改革を目指すべきではないでしょうか。


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リベラルの耐え難い偽善

2020年12月05日 13時05分25秒 | 国際政治

 リベラルの人々は、常に高邁な理想を掲げ、人権侵害や差別問題にも積極的に取り組んできましたので、自らを社会正義の実現者と見なしています。この立ち位置からしますと、誰もが、リベラル派を弱きを援け、強きを挫く‘正義の味方’とみなすことでしょう。その一方で、リベラルを批判する人々やそれを嫌う人々は、必然的に‘悪人’の立場に置かれてしまいます。古き良き時代に郷愁を感じ、自国の歴史や伝統、あるいは、美徳を尊ぶ良識的な人々であっても、リベラル派にとりましては悪しき‘ポピュリスト’であり、理想の実現を拒む‘抵抗分子’でしかないのです。

 

 しかしながら、冷静になって考えても見ますと、リベラル派の掲げる理想とは、それは、多くの人々に共有されているわけではなく、一部の人々の理想にしか過ぎません。この点は、狂信的なカルトとそれ程の違いはないのです。例えば、リベラルが描く未来像とは、全ての人種や民族が差別されることなく対等な立場で併存する社会を実現した後、全ての人種や民族等を融合させるというものです。人類の最終段階では、誰もが特定の集団への帰属意識を失っているのです。つまり、人類は第一段階にあって多様性を認めつつも、最終的には画一化されるのです。

 

最終段階に至りますと、人類の活動や生活の場も全世界において似たり寄ったりのスマートシティとなり、SF小説に登場するような無味乾燥とした光景が広がっていることでしょう。因みに、近年、NHKでは、「駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノ」という番組を放映していますが、同番組こそ、リベラルが追い求める未来都市の縮図かもしれません。何故ならば、同番組のコンセプトは、全世界の空港や鉄道駅などに設置されたピアノを弾く一般の人々を紹介するというものですが、テレビ番組欄で確認しなければ、どの国で撮影したのか分かりませんし、ピアノを弾く人々も、その殆どが撮影国の国民ではないからです(同番組は、多くの演奏者の中から、敢えて撮影国以外の国民がピアノを弾く映像をピックアップして、放送している?)。

 

 リベラルの支配下にあるマスメディアは、こうした未来像を理想として宣伝し、人々を洗脳しようとしていますが、全ての人々が、同未来像を支持しているわけではありません。ごく一部の人々の理想が絶対化され、それがあらゆる手段を用いて一方的に強要されることが問題なのです。そして、リベラルの態度は、それが少数派であるゆえに、深刻な差別をも引き起こす原因ともなっています。何故ならば、現実にあって、リベラルが描くシナリオが実現しているのは極めて狭い世界でしかないにも拘わらず、シナリオに相応しい人々のみが優遇されてしまうからです。例えば、日本国でも、政治やマスメディアの世界では、一般社会よりもはるかに外国人や外国人の血を引く人々の割合が高いとされています。そして、差別反対、あるいは、多様性の尊重を盾にして、マジョリティーを意図的に排斥してしまうのです。

 

今般、NIKEのCMが物議を醸しているのも、‘差別されてきたマイノリティーは、スポーツの世界で活躍して社会のトップに躍り出る’という、リベラルが理想として描くサクセス・ストーリーを、NIKEが日本国に押し付けているからなのでしょう。ウイグル人に対する搾取的労働に加担したとして批判を受けているぐらいですから、NIKEの真の目的は、人種や民族差別問題を提起するのではなく(しかも実話としながら捏造らしい…)、日本国内を自らの理想郷に改造することにあるのかもしれません。

 

 結局、‘差別反対’のスローガンの下で逆差別が堂々と行われ、マジョリティー側が異議を唱えれば偏狭な差別主義者というレッテルを貼られることとなります。マスメディアをも動員した同調圧力をかけて社会的にも抹殺しようとするのですから、リベラルが構築してきた仕組みは、マジョリティーを差別し、政治や社会の表層から排除する、つまり、民主主義を捻じ曲げて少数者支配を正当化するための欺瞞であることを見抜き、憤る人々が現れてもおかしくはありません。

 

アメリカにあってトランプ政権が誕生し、今般の大統領選挙にあってもアメリカ国民の多くが民主党を信頼しなくなったのも、その偽善性が暴かれてしまったからなのでしょう。そして、アメリカのみならず、与野党ともにリベラル化した日本国内でも、これらの勢力の偽善性に耐えられなくなってきている人々が増えてきているように思えるのです。

コメント (1)
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デジタル化は‘蟻地獄’?

2020年12月04日 12時47分48秒 | 国際政治

グローバラリズムと共に押し寄せてきたデジタル化、そしてそれに伴走する電化は、今や、人々の生活の隅々まで入り込みつつあります。政府もマスメディアも、デジタル化の行き着く先を人類の理想郷として描いていますが、未来の電脳社会にあって、人々は自由な世界に生き、国家は民主主義体制を保つことできるのでしょうか。

 

 核兵器や生物化学兵器に対して国際社会が厳しい規制を課しているように、原子力は、今日、‘危険なテクノロジー’として認識されています。テクノロジーには、常々、危険が付きまとうものであり、その制御は重大な課題なのです。ITも例外ではありません。否、中国のデジタル利用を見ておりますと、その利用目的に関しては、核兵器級の扱いが必要なように思えます。何故ならば、中国は、既にデジタル技術の悪用のモデル・ケースを人類に見せつけているからです。

 

デジタル技術は、人々の行動を含めてあらゆる事象を情報化し、収集、かつ、解析可能なデータ化します。このことは、情報を握る側が、他の人々を管理・コントロール可能な客体化し得ることを意味します。そして、デジタル技術が発展すればするほど、データ化される領域は拡大し、細部にまで浸潤してゆくのです。例えば、今日の中国がそうあるように、街を歩いていれば、スマホを携帯した人々の行動は、GPSの位置情報と防犯カメラに搭載された顔認証システムのダブル・チェックを介してデジタル化され、当局のサーバーに送られた上に徹底的に解析されます。そして、ネット通販であれ、対面販売であれ、お買い物をしようとすれば、何時、どこの事業者から、どの商品をいくらで買ったのかという情報が全てデジタル化されるのです。通貨がデジタル化された際には、個々人の金融資産情報は、ウォレットで完全に把握されることでしょう。生まれたその瞬間から死を迎える時まで、その人の一生は遺伝子情報を含めて全てデジタル化されてしまうのです。

 

そして、最後に行き着く先は、脳内であることは想像に難くありません。オーウェルの『1984年』に登場する‘ビッグ・ブラザー’であれば、人々の心の中を‘思想警察’の捜査対象とすることでしょう。無制限、かつ、無条件にデジタル化を進めれば、人々は、外部の社会も自らの内部も他者によって完全に掌握されてしまうのです。一般の人々からしますと、これは、簡単には抜け出すことのできない‘蟻地獄’を意味しかねません。デジタル化すればするほど、すり鉢状の罠の奥深く迄落ち込んでしまい、待ち構えていた捕獲者によって捕らえられてしまうのです。

 

今日、家庭内で使用する電化製品にまでデジタル化の波が押し寄せ、IOTは次世代型の家電として期待が寄せられていますし、初期段階ではあれ、既に脳波を読み取る技術も開発されています。EVの普及も、真の目的は地球温暖化対策ではなく、人々の移動を完全に掌握し得る電脳社会化かもしれません。また、証券市場においてIT大手に巨額の資金が集中するのも、金融機関の多数が採用している投資ソフトウェアのアルゴリズムが、最初からこれらの企業へ投資が向かうようにと設計されているからかもしれないのです。

 

因みに、今般、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種をめぐり、FBなどSNSに対する規制を強める動きは、この問題と無縁ではありません。ネット上には、ワクチンには、ナノテクノロジーを用いたマイクロチップが混入されており、接種者は、気付かぬうちにあらゆる個人情報を盗まれてしまうとする説が拡散しているからです。こうした真偽不明の情報がワクチン接種の妨げとなるとして、政府や当局は規制を求めているのですが、上述したデジタル化のリスクを考慮しますと、多くの人々がワクチン接種を躊躇う気持ちはよく理解できます。スマートフォンの場合には、携帯あるいは使用を止めてしまえば‘蟻地獄’に落ち込まずに済みますが、端末が生体内に埋め込まれ、自己の身体と一体化しまいますと、逃げ出す手立てを失うからです。

 

そして、ワクチン接種を推進している人々が、米民主党や国連、そして、WHOである点も、人々の不安をさらに駆り立てていると言えましょう。不正選挙疑惑が持ち上がっているアメリカ大統領選挙こそ、今やデジタル・リスクの象徴と化していますし、それは、米民主党のみならず、国際組織も関わっていると推測されるからです。高度なテクノロジーは、それの使用目的によっては不正や犯罪の手段となるという現実を直視しますと、IT、あるいは、デジタル化に先立って、まずは、悪用のリスクを完全に排除すべきなのではないでしょうか。すなわち、順序が大事であり、人類は、悪用されないためのリスク管理体制を確立することができて、始めて、デジタル化を進めることができるのです。日本国政府も行政のデジタル化に邁進していますが、気が付いた時には‘蟻地獄’の底にいたというのでは、あまりにもリスク管理が甘すぎるのではないかと思うのです。


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暴走する菅政権―ガソリン車新車販売禁止法の成立は阻止できるのか?

2020年12月03日 10時58分00秒 | 日本政治

 報道によりますと、日本国政府は、2050年に設定した温暖化ガス排出ゼロ目標を達成するために、2030年半ばまでに「ガソリン車新車販売ゼロ」を目指す方向で最終調整に入ったそうです。寝耳に水の公表と同時に‘最終調整’というのですから、菅首相、あるいは、政府による独断としか言いようがありません。

 

 2050年のゼロ目標は、具体的な政策が添えられていたわけではありませんので、国民の多くは、地球温暖化に対する日本国の国際協力を示すものとして好意的に受け止めたかもしれません。しかしながら、今般の‘ガソリン車販売ゼロ目標’は、抽象的な宣言の域を超えており、ガソリン車の製造や販売の禁止という立法措置を伴います。新車の販売禁止とは製造の禁止と同義ですので、法律が制定されたが最後、ガソリン車は、日本国内から消えてしまうのです。中古車が残るとする意見もありますが、化石燃料であるガソリンを販売するガソリンスタンドの多くも廃業となりましょうし、エンジンの故障や部品の摩滅等を考慮すれば中古車が永遠に使用できるわけでもありません。日本の自動車メーカーが強みを持つハイブリッド車については禁止対象から除外されるものの、排出ゼロの目標年である2050年までには、ハイブリッド車も製造・販売禁止となり、中国企業をはじめ海外メーカーが先行しているEVに全て置き換わることとなりましょう。

 

 ネット上の意見を読みますと、政府のガソリン車禁止方針については、批判の嵐が巻き起こっているようです。諸手を挙げて賛成の意見は殆どなく、政府の非現実的な方針に数多くの懸念の声が寄せられています。供給電力の問題、二酸化炭素削減効果への疑問、日本の自動車産業崩壊の危機、自動車価格の上昇、軽自動車への影響、経済全体に対するマイナス効果、農村部における移動手段の喪失、災害多発国における電気依存のリスク…など、国民の声の方が、政府よりもよほど現実を見据えています。何れの意見も合理性があり、誰もが、同方針の先行きに不安を覚えているのです。そして、菅政権は、EVにおいて世界市場の掌握を目指す中国、あるいは、脱炭素化に巨額の利権を有する国際組織に協力しているのではないか、とする疑いも、一層強まってくるのです。

 

 それでは、日本国政府の暴走を止める手立てはあるのでしょうか。国民の大多数が同方針に異議を唱えているのですから、政府は、禁止措置を見直して然るべきです。しかしながら、おそらく菅政権は‘世界計画’の実行のために擁立された傀儡政権なのでしょうから(サポートと引き換えに課された‘ミッション’かもしれない…)、反対の声を押し切って同方針を頑なに貫くことも予測されます。そこで、考えられる最も効果的な方法は、今後、政府から国会に上程される禁止法案の成立を阻止することです。菅政権は、総選挙を経て国民の信任の下で成立したわけではありませんし、ガソリン車新車販売禁止法は、何れの政党にあっても公約として掲げられたわけでもないからです。

 

この点を考慮しますと、与党の議員であっても、同法案に賛成票を投じる義務はないはずです。つまり、仮に、菅政権が総選挙を待つまでもなく同法案を国会で奇襲的に可決成立させようとする場合、日本国は、民主主義国家なのですから、与野党を問わずに何れの政党の国会議員も、自らを選出した国民の意向に応えた判断を行うのが筋ということになりましょう。もっとも、菅政権は、自民党に対して、全所属議員が賛成票を投じるように党議拘束をかけるように要請するかもしれません。しかしながら、首相とバックを同じくする二階幹事長が応諾したとしても、次期選挙での落選を恐れ、自民党議員の中には造反者が現れるかもしれません。

 

何れにいたしましても、今日の菅政権の暴走ぶりは、過去に前例を見ないほどに異常性が際立っています。国会も日本国民も、‘暴走車’と化している政府に対するブレーキのかけ方、あるいは、国家運営の民主的で安全な運転方法について真剣に考えるべき時に至っているのではないかと思うのです。


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‘世界計画’に従う菅政権の‘実行計画’

2020年12月02日 11時27分46秒 | 日本政治

 昨日、菅政権としては初めての成長戦略計画を纏めたそうです。グローバリズム、並びに、新自由主義的な色合いが強く、いかにもダボス会議等で示された国際組織の意向を反映した内容となっています。今般、新政権の発足を受けて新たに策定したというよりも、既に世界レベルで作成されている‘世界計画’にあって、日本国に実行が義務付けられている作業、即ち、義務的な「実行計画」なのかもしれません。しかしながら、国際組織が目指すシステムとは、その本質において共産主義的、あるいは、全体主義的な‘計画経済’ですので、現実や人間性から乖離し、どこかで歯車が狂ってくるように思えます。

 

 例えば、エネルギー政策の分野をみれば、日本国は、‘世界計画’の指針に従って2050年までに脱炭素社会を実現しなければならなくなります。国際組織にとりましては、地球温暖化の原因の科学的な探求など関係なく(科学的には二酸化炭素の排出が原因でなくても構わない…)、再生エネ産業に資金が集まり、自らの利益が上がればそれでよいのです。否、利益さえも度外視し、将来にあってSF的、否、原始的な世界支配体制が実現すればそれで満足するのかもしれません。

 

脱炭素化の目的を達成するための方策として、今般の会議では、水素エネルギーや蓄電技術等の開発に向けた投資の拡大や基金の設立に加え、再生エネ拡大を目的とした風力発電の大規模な導入が打ち出されています。2040年までに大型火力発電所30基分、即ち、3000万キロワットの電力を洋上風力発電で賄おうとする計画です。これを実現しようとすれば、当然に、設置海域をめぐり漁業権との衝突が起き、地元住民による反対運動も予測されるのですが、こうした利害調整の問題に加えて、インフラ敷設型の成長戦略には、公共事業に共通する問題もあります。

 

それは、経済波及効果が、設備の工期に限定的に集中し、永続的には経済成長に貢献しない点です。発電施設といったインフラは、長期的な使用を想定していますので、一旦、稼働を開始しますと、その後の収益源は、建設済みの施設のメンテナンスに限られることとなるからです。しかも、仮に、水素エネルギーの普及並びに温暖化ガスの処理技術の確立と洋上風力発電施設の建設を同時進行させとしますと、最悪の場合には、前者が完成した時点で、後者は無用の長物と化す可能性もあります。水素エネルギーの方が、遥かに安価に供給できますし、火力発電によって排出された二酸化炭素が無害化されれば、敢えて、割高な風力電力を使用する必要性がなくなるからです。

 

また、グローバルな時代にあっては規模が優位性を与えますので、洋上風力発電に日本経済を牽引する役割を期待してもそれは望み薄です。現実を見ますと、洋上風力発電機メーカーのランキング上位は、欧州市場を背景としたスペインやデンマーク、中国、並びにアメリカ等で占められています。2019年のランキングをみますと、1位はスペインのシーメンスガメサ・リニューアブル・エナジー(39.8%)、2位はデンマークのMHIヴェスタス(15.7%)、3位は中国のSewind(10.0%)4位も中国の遠景能源(9.5%)、そして5位もまた中国の金風科技(9.4%)となり、日本企業の社名は見えません。とりわけ中国企業の成長著しく、3位から5位までは中国企業で占められており、同国企業の国際競争力の強さが伺われます。

 

日本国の電力事業者による海外メーカーへの発電施設の発注のみならず、電力自由化に際し、日本国政府は、既に、海外事業者に対して電力供給事業への参入も許していますので、今後、海外事業者のシェアも拡大することでしょう(再生エネ事業にアマゾン参入との情報も…)。そして、建設現場にあっても、こうした外国企業が、今般、資格を拡大した外国人労働者を雇用するとなりますと、脱炭素社会とは、一体、誰のための目的なのか、全く以って疑わしくなるのです。再生エネへの転換により日本国のエネルギー自給率が上昇し、最早、海外の化石燃料の輸入に依存しなくても済むようになるとする歓迎論もありますが、現実は、別の形での海外依存、あるいは、中国を筆頭とした海外勢力によるエネルギー支配体制が出現しかねないのです。

 

グローバル化を推進している菅政権が、日本市場に海外企業に対する参入規制を設け、自国企業を優遇・育成するとも思えず、結局は、日本のエネルギー市場の開放を意味するに過ぎないかもしれません(日本政府が自国企業に対して政府補助を与えると、WTO等に訴えられるかもしれない…)。そして、その過程で、日本企業は国際競争に敗れ、淘汰されるかもしれないのです(あたかも‘托卵’のよう…)。菅首相は、地球温暖化対策は「コストではなく競争力の源泉」と述べておりますが、競争条件において初めから不利な立場に置かれている日本企業が、上述したグローバル市場の‘巨人達’との競争に打ち勝つことはできるのでしょうか。政府は、自らの‘計画’を‘理想郷’として語ってはいても、その実現に伴って生じる現実的な問題点については議論しようともしておりませんし、不安や疑問に対しても、国民が納得するような説明はしておりません。このように考えますと、菅首相による‘カーボンニュートラル宣言’が海外(特定の国際勢力…)からは歓迎される理由も、自ずと理解されるのです。


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