9月18日(日曜日)。🌤☀。起床8時。カレシの風邪は一進半退というところで、ときどき咳き込むけど、鼻声はほとんど解消して、残るは疲労感だけ。まあ、初めのうちの咳がひどかったし、風邪を引くのもすごく久しぶりのことだから、かなり体力を消耗してもおかしくないよね。そんなときに、幸か不幸か(はヘンな言い方だけど)カレシのスマホがゆうべから充電不能になったために、ソファに寝転がってスマホをいじっていることができなくなって、「退屈だぁ」と言いながらもっぱら昼寝。休養になっていいじゃないの。断食明けだし、栄養を付けてあげようと、ランチは冷蔵庫に残っていた焼いたベーコンとシャンテレルきのことケイラの農場で栽培している甘みのあるにんにくを刻んでけっこうグルメな卵焼きを作って、ブリオシュローフでサンドイッチ。
シャンテレルきのこ(アンズタケ)
ヘッジホッグきのこ(シロカノシタ)
スマホなしのカレシとおしゃべりをしながらのランチで、小町に日本で日本人なのに英語を話す人が気に入らないという投稿があった話をしたら、「誰がどこで何語をしゃべってもいいじゃないか。人前で外国語をしゃべるなってのはよけいなお世話。外国語は学校でいくら勉強したって、実践的に使わないと上達しないんだよ」と英語先生のカレシ。なるほど、ごもっとも。多民族都市メトロバンクーバーでは、公の言語は当たり前に英語でも、いろんな言語が飛び交っていて、それも当たり前って感じだよね。外国語を話している人を見るとムカつくと言う人もいるだろうけど、そんなことを大きな声で言ったらレイシストだと吊し上げられるのオチ。ワタシは元々好奇心旺盛な方だし、言語を生業の種にして来たせいもあって、あいさつ程度でもいろんな言語で人と触れ合うのは楽しいし、関わりのない人の知らない言語での会話は音楽として聞いているから気にならないし、知らない言語でも、ある期間その中にいたら単語や表現のひとつやふたつがわかるようになって、これまた表現の世界が広がるようで楽しい。去年の改装中は毎日ポーランド語が飛び交っていて、聞くともなしに聞いているうちにほんの少しポーランド語を覚えたのはそのいい例だと思う。
でも、言語は人間の社会性の根幹にあるものだから、いろんな言語を聞きかじるのは楽しいよ。クルーズではいろんな言語の国を訪ねて回るので、行く先の挨拶とお礼の言葉を覚えて行くだけで現地の人たちとの触れ合いの機会が広がって楽しい。ワタシとしては、これは郷に入ったら郷に従うということではなくて、相手の言葉で挨拶したりお礼を言うことでその「郷」に敬意を払うということなんだけど、いつもスマイルが返って来るから「氷を解かす」効果があるのは確か。去年の地中海クルーズでは、最初はイタリア語だったのが一夜明けただけでフランス語になり、最後はスペイン語、船を降りてからは3日間はフランス語で次の3日はスペイン語。くるくると変わっているうちに、言語ごとの微妙に違うボディランゲージまで身に付いて来て、触れ合いのレベルがさらに近くなった感じだった。件のトピックの主が見たら、気分を害して日本人なのにとか間違った欧米かぶれとか言うかもしれないけど、身振り手振りが大きいのもなぜか生まれつきなので、そこはごめんくだされや。
おしゃべりに生まれついたワタシは、相手が誰でも気後れせずに話せる性質らしいので、カレシが言う「実践的に使う」ことで英語が自然に自分の言語になったんだと思う。ワタシの学習スタイルが学校で教えられるよりも自分で見て、読んで、やってみることで学ぶ方がうまく行くタイプなのとも関係があるかもしれない。脳内の思考は英語と日本語がごっちゃになっているし、日本語の読み書きだけは(読めない漢字が増えたし、手書きはできなくなったけど)まだ大丈夫だ(と思う)けど、話す方は「実践的に使う」機会がないせいで劣化しているのは確か。日本で日本語を褒められるのは、たぶん自然な日本語に聞こえないからだろうな。まさに英語のuse it or lose it(使わないとダメになる)の見本と言えそう。それでまったく不便がないから、このままにしておいてこの先どこまで劣化するかわからないけど、読み書きだけは、この日記ブログを書き続けることで何とか維持したいもんだな。でないと芝居の翻訳をするという夢がしぼんでしまうもの。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます