らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

音楽についての発言

2007年12月08日 23時49分49秒 | 音楽
 R.シューマンは、「音楽について話す時一番いい話し方は、何も語らない事である」という名言を残した。演奏会などやCDを聴いて評論家が語った事は、大変多くの影響を与えてしまう。あるCDを大評論家の先生が、「この演奏は全然良くない!」と権威ある雑誌で発言したとしよう。それだけでそのCDの売り上げは下がるし、CDを買った人もそのCDをやになってしまうかもしれない。しかし音楽の感じ方というのは人それぞれで、それでもその演奏を最高に良いと思う人もいるかもしれない。音楽家が10人いれば10通りの考え方、感じ方があり、そのすべてが正しいのである。L.v.Beethovenのヴァイオリン協奏曲のCDがあると、グリュミヨーだって、ズスケだって、シュエリング、ハイフェッツ、ミルシテイン、スーク、クレーメル、ペーターツィンマーマン、パールマン、ズッカーマン(10人あげるのしんどい)だってすべてが良い音楽なのである。後はリスナーの方の聴くタイミング(環境、境遇、気持ちなど)で左右される好き嫌いだけなのだ。だから評論家さんには悪いが、彼らは彼らという立場で自分の感じた事を信じた方が良いと思うのである。

 山形響の団員さんの中に私のようにブログや日記を書いている人が結構いるが、音楽について語ったときそれはその人の感じた事だったり考えなので、その考えが山形響の団員の考え方すべてではない。例えば山形響ファンの方に昨日の演奏会は全然良くなかったんですって?と質問されても「どこからそんな話が湧いて出てきたの?」ということになる。そのとき私は「昨日の演奏会はすごく良い演奏会だった」と思っているかもしれないのに。その反対のときもある。誰の考えが正しいと言っているのではない。団員一人一人が違う感じ方を持って当たり前なのだ。すべてが「その人に」とって正しい事なのだ。

「あいつは全然わかっちゃいねえぇよ」ではなく「あいつはそういう風に感じたんだ」で良い。くどいようだけどレヴェルの差はない。音楽は色々個人で楽しめば良いと思っているので、音楽について私の発言を参考にされてもいっこうにかまわないし、暇つぶしに読んでいただくのも喜ばしい事であるが、このブログを読んだ方だけでも、最後は自分の音楽を見つけていただけたら幸いである。


コメント (2)
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