らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

ヴィオラ Vol.11

2008年10月10日 23時39分08秒 | ヴィオラ
 昨日に続いて、ヴィオラの話。

昨日のブログ
ヴィオラ Vol.10

 昨日は「ヴィオラは大人が演奏するべき楽器である。」という事を書いた。

 今日もそのもう一つの理由を書こうと思う。
 ヴィオラは当ブログで何回も書いているが、鼻が詰まったような音色を持っている。

 そのためヴァイオリンやチェロの様に外に外に表現を拡げるよりも


心の内

       を表現するのに適している楽器だと思われている。

 そのため多くの作曲家が晩年の名作にヴィオラを用いた例が多い。
ショスタコーヴィチのソナタは死ぬ直前に書かれたものだし、バルトークの協奏曲(弟子シュルイによって完成)・マルティヌーの協奏狂詩曲・スメタナの弦楽四重奏曲「わが生涯」・ヤナーチェクの弦楽四重奏曲「ないしょの手紙」・モーツァルトの弦楽五重奏曲(ヴィオラ2)など、全て晩年に書かれたものだ。山形Q第27回定期演奏会で演奏したフォーレの弦楽四重奏曲(遺作)もヴィオラのソロから始まり、曲全体でヴィオラが活躍する。

 ヴィオラが「死」というものを意識させる音色を持つのか?それとも年老いた作曲家の耳にヴィオラの落ち着いた音色が好まれるのか?はわからないが、とにかく作曲家の晩年にはヴィオラ活躍の曲は多い。もちろん上にあげた曲すべてが「死」をイメージしているわけではない。

 以上の理由で、若い子が年老いた作曲家の曲を演奏しても(技術的に弾けたとしても)、その心まで理解する事は難しいだろうと思う。大人になってから弾いた方が良いというのは、その辺の理由もある。

 30歳過ぎてくれば、まわりの家族が亡くなったり、友達が亡くなったり、「人生の折り返し」を意識したりという事があるだろうし、まわりに対しても深い愛情を持てる年齢のはずである。

 P.S. 難しかったですか・・・??


コメント (4)
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