らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」つづき

2009年01月24日 18時48分35秒 | クァルテット
 山形Qの定期演奏会では来場してくださったお客様にプログラムを渡している。毎回メンバーの誰かがプログラムノートを書いているのだが、紙面のスペースの都合上だいたいは演目のさわりの部分しか書く事が出来ない。

 少しでも演奏会に来ていただける人の知識の助けになれば良いなぁと思って書いている。

 クラシック音楽はただ聴けば良いと私は思っている方だが、予備知識が有れば面白さも増えると思うので。

 さて続きを書く。

 前回の記事
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」

 の最後の方に出てきたI.シュパンツィクという人物はどんな人なのだろうか?今日は、そんな所を簡単に?書いていく。

 I.シュパンツィク(1776~1830)は、オーストリアのウィーン生まれ、没の大ヴァイオリニストだ。
 
 ラズモフスキー伯爵の義弟リヒノフスキー侯爵の公邸で毎週のように弦楽四重奏団の1stVn奏者として、ハイドンやフェルスターの作品を作者の目の前で演奏していたらしい。

 その後、ラズモフスキー伯爵に雇われて、そこでも世界最高の弦楽四重奏団を組織していた。ラズモフスキー伯爵もヴァイオリンを相当たしなみ、しばしばこの団体の2ndVn奏者として演奏した。

 ベートーヴェンの作品も彼の四重奏団の関与が多かった。1814年ラズモフスキー邸が火事のため焼失したために弦楽四重奏団の維持が出来なくなり、1816年にロシア~サンクトペテルブルグに居を移してベートーヴェンの作品をロシアに広めた後に、1823年に再びウィーンに帰郷した。


 しかし、第9交響曲の初演での金銭の問題や弦楽四重奏曲第12番の初演時の練習期間の問題などで、ベートヴェンとの関係が悪くなった。さらにその肥満体型と短い指のために晩年はVn技術が落ちたそうである。

 I.シュパンツィクの演奏家としての功績は、ベートーヴェンの作曲作業に力になっただけでなく、ウィーンやロシアにベートーヴェンの音楽を広める役割を果たした事だと言える。

 I.シュパンツィクを雇ったリヒノフスキー侯爵やラズモフスキー伯爵の趣味もあるだろうが、弦楽四重奏というジャンルへのI.シュパンツィクの功績(レパートリーの拡大・演奏法など)は大きい。

 さらにつづく・・・・・。
コメント
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