音楽大学時代のU.Koch先生によるヴィオラレッスンは大変厳しいものでした。
レッスン中の会話やレッスン外でのお人柄は大変尊敬できる~時におちゃめな一面もある先生でした。しかしレッスン中には人が変わります。後で聞いたところによると「ここだけの話、女子の生徒は駄目ならお嫁さんという手もあるけど、男子学生は楽器演奏でご飯を食べることが出来るように厳しくやる!」という事でした。
特に入間校舎時代(1・2年生)の時は厳しくて、練習不足や指摘された事をすぐ出来ないと殴られたり、譜面台を蹴られたり、投げつけられたりということは、日常茶飯事の事でした。
1時間のレッスン時間内では、出された課題を全てこなす事は不可能で他の女子生徒のレッスン時間を削ってまで長い時間見てもらった記憶があります。おかげでレッスンの次の授業である弦合奏の時間は2年間~半分以上出席することが出来なかったのです。
レッスンの前の日からのプレッシャーは相当なものでした。食事ものどを通らずに吐いてばかり・・・・。
長い時ですと午前中11時から夕方17時位までのレッスンで、他の生徒達のレッスンは休講扱いで、課題が出来るまで帰してもらえませんでした。
毎日の練習時間も最低10時間以上を課されていたので、毎日が本当に忙しかったです。
先生は日本語があまり話せず~「こんにちは」「さよなら」「そうです」くらい?~に他の生徒達とコミュニケーションが取れない事を悩んでいましたので、自分のレッスン外でも通訳代わりとして、他の生徒達のレッスンに付き合わされた事もありました。そんな私も完璧に先生とコミュニケーション出来たわけではありません。レッスン中の「出来ない言い訳」をドイツ語で話さなければならず・・・。最初に憶えたドイツ語は「頭が痛い」「風邪ひいたからあまり練習できなかった」「手が痛い」等の言い訳文章だったような・・・。
先生に卒業の時に「あなたのドイツ語は言い訳だけがやたら発音が良かった」と言われ大笑いしたのが良い思い出です。
どんな言い訳を言ったところで~例えば手が小さいから開かない等~世界的ヴィオリストが目の前で実際に易々と演奏して見せてくれるのですから、こっちも無理難題だと思っていたエチュード等でも弾けるようにしてこなければならなかったのです。
そのレッスンですが、以前クリアした~例えばエチュード・協奏曲・ソナタなど~を突然演奏してみろと言われて、演奏出来ないとまた怒られるので(しかも全て暗譜)、学生時代は努力しても足りない時間との格闘だったように記憶しています。
3年生になり、江古田校舎になる頃にはだいぶ私も慣れてきて、出された課題などにかける時間が少なくてすむようになっていましたので、先生が亡くなるそれからの4年間は大変仲良くさせてもらえました。
当時はとにかく大変だったという記憶しかないのですが、今の自分を思うと先生には感謝しかありません。事実私の前後の学生達はオーケストラに就職して食べている人が多いです。仙台フィル・山形響・読響・東響・東フィル・名古屋フィル・セントラル愛知・チェコのオケなどなど・・・。みんな活躍中です。
今日の記事はU.Koch先生の思いで話を書くつもりではありませんでした。
年末年始と昔学生時代に学んでいた(当然暗譜もしていた曲達)曲達をもう一度練習し直したのですが・・・・。
全然弾けません!
もう一度原点に戻らないと駄目みたいです。
今年は色々と頑張らないといけないみたいです。
以前演奏できていたものが、弾けないと
くやしぃ~!
です。
レッスン中の会話やレッスン外でのお人柄は大変尊敬できる~時におちゃめな一面もある先生でした。しかしレッスン中には人が変わります。後で聞いたところによると「ここだけの話、女子の生徒は駄目ならお嫁さんという手もあるけど、男子学生は楽器演奏でご飯を食べることが出来るように厳しくやる!」という事でした。
特に入間校舎時代(1・2年生)の時は厳しくて、練習不足や指摘された事をすぐ出来ないと殴られたり、譜面台を蹴られたり、投げつけられたりということは、日常茶飯事の事でした。
1時間のレッスン時間内では、出された課題を全てこなす事は不可能で他の女子生徒のレッスン時間を削ってまで長い時間見てもらった記憶があります。おかげでレッスンの次の授業である弦合奏の時間は2年間~半分以上出席することが出来なかったのです。
レッスンの前の日からのプレッシャーは相当なものでした。食事ものどを通らずに吐いてばかり・・・・。
長い時ですと午前中11時から夕方17時位までのレッスンで、他の生徒達のレッスンは休講扱いで、課題が出来るまで帰してもらえませんでした。
毎日の練習時間も最低10時間以上を課されていたので、毎日が本当に忙しかったです。
先生は日本語があまり話せず~「こんにちは」「さよなら」「そうです」くらい?~に他の生徒達とコミュニケーションが取れない事を悩んでいましたので、自分のレッスン外でも通訳代わりとして、他の生徒達のレッスンに付き合わされた事もありました。そんな私も完璧に先生とコミュニケーション出来たわけではありません。レッスン中の「出来ない言い訳」をドイツ語で話さなければならず・・・。最初に憶えたドイツ語は「頭が痛い」「風邪ひいたからあまり練習できなかった」「手が痛い」等の言い訳文章だったような・・・。
先生に卒業の時に「あなたのドイツ語は言い訳だけがやたら発音が良かった」と言われ大笑いしたのが良い思い出です。
どんな言い訳を言ったところで~例えば手が小さいから開かない等~世界的ヴィオリストが目の前で実際に易々と演奏して見せてくれるのですから、こっちも無理難題だと思っていたエチュード等でも弾けるようにしてこなければならなかったのです。
そのレッスンですが、以前クリアした~例えばエチュード・協奏曲・ソナタなど~を突然演奏してみろと言われて、演奏出来ないとまた怒られるので(しかも全て暗譜)、学生時代は努力しても足りない時間との格闘だったように記憶しています。
3年生になり、江古田校舎になる頃にはだいぶ私も慣れてきて、出された課題などにかける時間が少なくてすむようになっていましたので、先生が亡くなるそれからの4年間は大変仲良くさせてもらえました。
当時はとにかく大変だったという記憶しかないのですが、今の自分を思うと先生には感謝しかありません。事実私の前後の学生達はオーケストラに就職して食べている人が多いです。仙台フィル・山形響・読響・東響・東フィル・名古屋フィル・セントラル愛知・チェコのオケなどなど・・・。みんな活躍中です。
今日の記事はU.Koch先生の思いで話を書くつもりではありませんでした。
年末年始と昔学生時代に学んでいた(当然暗譜もしていた曲達)曲達をもう一度練習し直したのですが・・・・。
全然弾けません!
もう一度原点に戻らないと駄目みたいです。
今年は色々と頑張らないといけないみたいです。
以前演奏できていたものが、弾けないと
くやしぃ~!
です。