山形弦楽四重奏団を結成したときに最初に思った事は、憧れていた作品をただ演奏したいという気持ちでした。有名になりたいとか、お金が欲しいとか(これはこのジャンルの定め貧乏暮らしです)、そういう事ではなかったのです。だから最初の頃は、1回の演奏会に対して15~20日位あ~でもない!こ~でもない!と喧嘩しながら自分のこだわりのごり押しをお互いにやっているような感じでした(その頃は今より山形響もだいぶ時間的な余裕がありました)。簡単に言うと演奏集団ではなくて、研究集団のような感じでしょうか?
なので、お客様が集まろうが集まらなくても演奏会という一つの区切りをもうけて、次の作品を演奏するのが楽しみだったわけです。
結成10年を迎えて、ふと過去の活動を振り向いてみると演奏する事以外に大きな副産物が2つあることに気づきました。
一つ目は、人前で話す度胸がついたこと。
~施設などへの慰問演奏や子供達の前で演奏の合間に話す事が、必要になったのです。数年前までは話し始めてから緊張して自分でも何を話しているのか?どんどん分からなくなってしまいつじつまの合わない妙な結論で話が終始していました。それが、(もちろん緊張もしますし、苦手意識はあります)最近は、講演を頼まれたり、司会をしたりする機会がどんどん増えていてだいぶ最初に思った通りの結論に自分の話が行くようになりました。話が上手いと思った事はありませんが、ただだいぶ進歩したと思っています。~
二つ目は、文章をだらだら書けるようになったこと。
~高校時代に数学の成績だけはダントツで良くて、国語の成績がもの凄く悪かった私は、理数系に進学を先生からもすすめられていました。偏差値でいうと常時40位の差があった記憶があります。理科・科学に興味が無かったので無理矢理文系に進んだのですが、とにかく国語の苦手意識は大きかったのです。だから人前に自分の文章をさらすことなど考えていませんでした。それが、ひょんな事からブログを書く事を迫られて、「らびおがゆく」からVol.2~Vol.3とだらだら何年もブログを続けてきました。おかげで文章を書くのに抵抗があまりなくなりました(しつこいようですけど苦手意識はあります。誤字脱字大量に出現させてますから・・・)。
と、2つの副産物を得て、今まで逃げてきたことに立ち向かう事が出来るようになりました。これ以上はなかなか進歩は望む事が出来ないかも知れませんが、活動を大きく拡げられたのは良かったと思っています。
なので、お客様が集まろうが集まらなくても演奏会という一つの区切りをもうけて、次の作品を演奏するのが楽しみだったわけです。
結成10年を迎えて、ふと過去の活動を振り向いてみると演奏する事以外に大きな副産物が2つあることに気づきました。
一つ目は、人前で話す度胸がついたこと。
~施設などへの慰問演奏や子供達の前で演奏の合間に話す事が、必要になったのです。数年前までは話し始めてから緊張して自分でも何を話しているのか?どんどん分からなくなってしまいつじつまの合わない妙な結論で話が終始していました。それが、(もちろん緊張もしますし、苦手意識はあります)最近は、講演を頼まれたり、司会をしたりする機会がどんどん増えていてだいぶ最初に思った通りの結論に自分の話が行くようになりました。話が上手いと思った事はありませんが、ただだいぶ進歩したと思っています。~
二つ目は、文章をだらだら書けるようになったこと。
~高校時代に数学の成績だけはダントツで良くて、国語の成績がもの凄く悪かった私は、理数系に進学を先生からもすすめられていました。偏差値でいうと常時40位の差があった記憶があります。理科・科学に興味が無かったので無理矢理文系に進んだのですが、とにかく国語の苦手意識は大きかったのです。だから人前に自分の文章をさらすことなど考えていませんでした。それが、ひょんな事からブログを書く事を迫られて、「らびおがゆく」からVol.2~Vol.3とだらだら何年もブログを続けてきました。おかげで文章を書くのに抵抗があまりなくなりました(しつこいようですけど苦手意識はあります。誤字脱字大量に出現させてますから・・・)。
と、2つの副産物を得て、今まで逃げてきたことに立ち向かう事が出来るようになりました。これ以上はなかなか進歩は望む事が出来ないかも知れませんが、活動を大きく拡げられたのは良かったと思っています。