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Aleksandr Konstantinovich Glazunov(1865~1936)Vol.1
Aleksandr Konstantinovich Glazunov(1865~1936)Vol.2
Aleksandr Konstantinovich Glazunov(1865~1936)Vol.3
続き・・・・。
その後のA.K.グラズノフは神童として、F.リストや何と言っても自身アマチュア奏者(Vn・Va・Pfなどを演奏したらしい)の豪商~ベリャーエフの庇護の元、その才能を更に開花させて、管弦楽曲:悲歌『英雄の思い出に』 Op.8、性格的組曲 Op.9、交響詩『ステンカ・ラージン』 Op.13(唯一の交響詩)、弦楽四重奏曲 第2番 ヘ長調 Op.10などを次々と作曲しました。
才能ある若者が、世界的に権威ある先輩から認められて、音楽家への理解ある豪商をスポンサーにつけて、意気揚々と怖い物知らずの時期に作曲されたのが、山形Qの第39回定期演奏会で演奏します「弦楽四重奏のための5つのノヴェレッテ Op.15」でございます。1886年の事でした。
その後のA.K.グラズノフの人生を少しだけ書いてしまうと、作曲の壁にぶち当たったり、世間から古くさい作曲家だと評価されたり、亡命して寂しい人生を送ったりと、大変な苦難が待ち構えています。もちろん悪いことだけではなくて、良いことも待っていますが。
まだ純粋に、自分の若き才能に疑いを持たずに作曲した「弦楽四重奏のための5つのノヴェレッテ Op.15」の作品については、また次の機会に。
Vol.5に続く・・・。
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才能ある若者が、世界的に権威ある先輩から認められて、音楽家への理解ある豪商をスポンサーにつけて、意気揚々と怖い物知らずの時期に作曲されたのが、山形Qの第39回定期演奏会で演奏します「弦楽四重奏のための5つのノヴェレッテ Op.15」でございます。1886年の事でした。
その後のA.K.グラズノフの人生を少しだけ書いてしまうと、作曲の壁にぶち当たったり、世間から古くさい作曲家だと評価されたり、亡命して寂しい人生を送ったりと、大変な苦難が待ち構えています。もちろん悪いことだけではなくて、良いことも待っていますが。
まだ純粋に、自分の若き才能に疑いを持たずに作曲した「弦楽四重奏のための5つのノヴェレッテ Op.15」の作品については、また次の機会に。
Vol.5に続く・・・。