らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

上杉神社 Vol.3

2017年05月06日 23時59分59秒 | 歴史探訪(山形県内)
過去記事
上杉神社 Vol.1
上杉神社 Vol.2

 この記事は、早く更新しないと桜の季節が終わってしまうというのに・・・既に終わっていますね。

 前回の続き。

 この日は、桜の見頃ということもあって、家族連れや恋人同士のような人達で賑わっていました。屋台も多くて、思わず綿菓子を買ってしまいそうになりました。

   

 近くの案内板にはこうあります。
「上杉鷹山公 (上杉家十代)窮乏の淵にあった米沢藩を、卓抜な発想と大胆な政策によって再建した江戸時代随一の名君として知られる。宝暦元年(1751)7月二十日高鍋藩主秋月種美(三万石)の二男として誕生。幼名松三郎または直松。母は秋月藩黒田長貞の娘春姫。 春姫の母は(上杉家五代)上杉綱憲の娘である。宝暦十年、上杉重定(上杉家九代)の養子に迎えられ、明和三年治憲と改名。翌四年十七歳で米沢十五万石の藩主となる。幼少から折中派の儒者細井平洲に師事し、実学一致の経世論を身につけた。藩主となるや大倹令・産業開発・藩校興譲館の創立・政務の革新等を断行し、隠居後も政務に参与して再建に務めた。米沢織・米沢鯉・深山和紙など鷹山の興した産業は現在に伝承されている。天明五年(1785)養子治広に家督を譲って隠居し、鷹山と号した。民主政治の原点を示した「伝国の辞」は、このとき新藩主治広に与えたものである。文政五年(1822)三月十二日没。春秋七二。上杉家廟所に眠る。

 追文
アメリカ合衆国第35代大統領J.F.ケネディが、日本人記者の質問に「日本の政治家で最も尊敬しているのは上杉鷹山である」と答えたとは夙に有名である。さらに最近では、わが国の行政改革の先駆者としての公の名は高まるばかりである。わが郷土米沢が世界に誇る偉人をさらに永く、広く世人に知らしめるため、ここに「上杉鷹山公像」を建立したものである。平成四年五月 米沢中央ライオンズクラブ 姉妹クラブ 上越中央ライオンズクラブ」

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヴィオラ Vol.48 | トップ | Routinearbeit »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史探訪(山形県内)」カテゴリの最新記事