らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

Aleksandr Konstantinovich Glazunov(1865~1936)Vol.2

2011年03月19日 23時59分16秒 | クァルテット
 山形県に東側の他県から避難してくる人がたくさんいるそうです。我が町~大江町でも中央公民館に避難している方々がいると聞きました。同じ東北人ですから、とりあえず無事だった山形県人も出来る限りの力になってあげたいです。積雪量が51cmになりました。しかし、まだまだ氷点下の日もありますし、精神的にも体も疲労困憊でしょうが、風邪などひかれないように願っています。

 と避難されている方々への思いは別として、久しぶりに中央公民館裏のウーピーさんへお食事に行ってきました。地震の時は鶴岡市民文化会館で定期演奏会のゲネプロ中だったので、大江町がどれだけ揺れたか分かりませんが、その時の大江町の状況などをウーピーのお母さんから聞きました。地震の影響からか看板犬ウーピーの息子~ウォーレンが体調を崩したとのこと・・・・。今は静かに室内で療養中だそうです。

 久しぶりの外食は、なんだか心が少し軽くなってゆくようで、「我慢!我慢!」も大切だと思いますが、よく行くお店にはみなさんお顔出しましたか?行って笑顔で話すだけでも心が軽くなりますよっと。

 ついつい前置きの方が長くなります。

 A.K.グラズノフの話でした。

 A.K.グラズノフは、書籍出版業者の父とピアニストの母の間に生まれました。素晴らしい聴覚と暗譜の才能に恵まれた彼は、9才でピアノ・11才で作曲を始めたそうです。最初の教師はN.エレンコーフスキーでしたが、1879年14才の時にバラキレフと出会って、作曲の個人教師としてリムスキーコルサコフに推薦を受けたそうです。それから約2年の間、リムスキーコルサコフに師事しました。リムスキーコルサコフはグラズノフ少年の日進月歩~彼の言葉を借りれば時間ごとのすさまじい進歩に驚いたそうです。

 年の差こそあれ、二人の間は師弟というより友情が芽生えたそうな・・・。

 そして、神童と云われたグラズノフは16才の時、早くも交響曲第1番 ホ長調「スラブ風」Op.5を完成して、1882年3月にバラキレフの指揮で初演成功し、同年11月には弦楽四重奏曲第1番 ニ長調 Op.1を完成・初演させたそうです。

 交響曲第1番 ホ長調「スラブ風」Op.5は、その後、F.リストにも注目されて、1884年にヴァイマルでも演奏されました。1885年と1929年に改訂されました。デビューの交響曲にホ長調という調性を選択したことや、当時の有名な先輩達に注目されるほどの作品を書ける能力が10代の半ばには備わっていたのにも驚かされます。A.K.グラズノフは、初期の作品から作風が確立しつつあったのです。

 Vol.3に続く・・・。

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2 コメント

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おしゃべりって大切 (ウーピー)
2011-03-24 16:25:28
ウォーレン5日間の点滴のおかげで、今は元気にワンワンと吠えて、食欲も出てきました。
ビワの葉温圧もしていますよ。
今回の3.11震災でいろんな苦難を経験された方たちとおしゃべりをしています。話し合う事で、先が見えることもありますね。
AKグラズノフなんて、初めて聞きました。
こんな、クラシックファンもどうぞお見捨てなく。
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>ウーピーさん (らびお)
2011-03-24 16:33:31
こんにちは。
今日、「もきち大江町をゆく」のブログにウーピーとウォーレンが初登場しました。左側のブックマークにリンクはってあります。

笑顔で元気~??と言える毎日が、どんなに幸せなことか!

負けないで、元気にやってゆきましょう!
返信する

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