Chet Baker / Quartet ( 仏Barclay 84017 )
ウェストコースト・ジャズが嫌い、と言いながらもどういう訳か嫌いなままじゃいけない気がして、どうしてだろうと考えてみたり、どこがダメなのかを
探るために何度も聴きかえしてみたりします。 別にそんなことする必要はないとは思うんですが、まあ、ヒマだからなのかもしれません。
ただ、どんなにパシフィック・ジャズのレコードを聴きかえしてみてもよくわからないので、そういう時は目線を変えてみようということになります。
そうすると、例えば昨日のマルコ・ギドロッティのCDを聴くと、マリガンたちのやった曲はバップとしても演奏できるのに、彼らは意図的にそうは
しなかったんだな、ということがわかります。
マリガンがチェットとコンボを組んでいたのは1952年から53年にかけてのたった1年間だけだったにも関わらず、その音楽がその後の西海岸のジャズの
方向付けを決めてしまったというのは驚異的なことです。 52年の時点でピアノレスにしたことは先見性の高い画期的なことでしたが、そこでできる
サウンドの空白をトランペットが大きな音で埋めようとはしなかったことがこのバンドの卓越したところだったと思います。
それを担ったのが、チェット・ベイカーだったわけです。
53年にマリガンが麻薬の不法所持で投獄されたのでバンドは解散、チェットはソロ活動を開始します。 そして、55~56年に欧州へ渡って、フランスの
バークレー社にまとまった数の録音をします。 ここで聴かれる音楽はパシフィック・ジャズのレコードの延長線上にあるもので、音楽監督がいない分、
型にはめられることのない自由さはありますが、それでもやはり観葉植物のような印象です。 変なアレンジがされていないので鼻につくことは
なくなりましたが、退屈です。 フランスのリズムセクションはあくまでもチェットがそれまでやってきた音楽に合わせようとしたため、新しい音楽が
生まれることはなく、それまでの相似形で終わってしまっています。 チェット・ベイカーという名前のおかげで許されているようなところがあります。
Chet Baker & Paul Bley / Diane ( SteepleChase SCS 1207 )
それから大きく時間を経て、チェットは変わります。 トランペットや歌の様子はあまり変わりませんが、彼が作る音楽が変わるのです。
かつての飛び出ることを恐れてわざと平均点を狙っていたような様子はどこにも見られず、この人にしかできない独特の音楽をやるようになりました。
ライヴ録音は体力の衰えが痛々しく聴いていて辛くなるものもありますが、スタジオ録音には良い内容のものが結構あります。
その中でも、このポール・ブレイとのデュオ作品は素晴らしい傑作です。 スティープルチェイスの音盤はデッドな録音が多くて興をそがれることが
多いのですが、この盤は豊かな残響感としっとりと濡れたような楽器の音が素晴らしいし、ポールの音数を極力抑えたプレイとチェットの
いつになくイマジネイティヴなフレーズの共存がとにかく素晴らしく、静かな音楽にも拘らず聴く者を圧倒します。
やはり、ウェストコースト・ジャズは東海岸へのアンチテーゼとしては強力に作用したけれど、それにこだわり過ぎて何か肝心なものを置き去りに
してしまったんだろうな、と思うのです。