廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

最近の猟盤事情

2015年10月31日 | Jazz雑記
今は1年で一番気候のいい日々で猟盤歩きをしていても気持ちのいいものですが、狩場であるDUには肝心の獲物が見当たりません。 この時期、彼らは
年末セールが来るまで冬眠、いや秋眠していて、巣穴からは出て来ない。 店頭にあるブツは夏場に華々しくデビューを飾ったものの見染められることなく
売れ残った大量の在庫の山で、名前を変えて週末セールのブログに再掲載される順番が来るのをおとなしく待っているその姿には涙を誘うものがあります。

そんな訳で、私が家に連れて帰るのはジャズとは関係のない音盤ばかり。 





ジャズのレコードで買えているのは唯一ECMだけで、こちらのほうはこの2カ月くらいで20枚近くまで膨れ上がってしまいました。 なにせ安いので、
自然と枚数が増えていく。 内容も私には新鮮なものが多いので、他のものにはまったく関心が向きません。 ただ、店頭に行けば必ず何かしら
在庫が転がっているECMにも、買い進めていくうちにいろいろと課題があることがわかってきます。

まず、ECMのジャケットには日焼けしたものがとても多い、ということ。 ひんやりと冷たい北欧の音楽が詰まったレコードにも関わらず、君たちは
南国からやってきたのですか? と尋ねたくなるものばかりです。 他のレーベルに比べてもその日焼け度合いは圧倒的に高く、うっすらと小麦色に
焼けた健康的なボディーのものから、渋谷の日焼けサロンにでも通ってるの? と言いたくなるような強者までいます。 元々丁寧にラミネートで
コーティング加工されている箱入り娘のはずだったのに、いつの間にか悪い遊びを覚えてコーティングが浮いたり剥がれたり、と見るからにやつれて、
「私、遊んでますけど、なにか?」という開き直ったものもある。 少しくらいのやんちゃなら別にいいのですが、これは連れて帰ると何をされるか
わからんぞ、と二の足を踏んでしまうものが多くて、おかげでタウナー&アバクロの "Sargasso Sea" などは3枚見送って未だに買えません。

過去の所有者の保管状況の悪さに加えて、どうも元々ジャケットの材質が日焼けに弱いものが使われているような感じがします。 白が基調のデザインが
多いのでそういう印象が残りやすいこともあると思いますが、白に限らず日焼けはしているので、やはり素材に問題があったんだろうと思います。

それとは逆に、盤質はほとんどのものがきれいで、盤質が悪いという理由で見送ることは基本的にありません。 50~60年代のレコードに傷盤が多いのは
当時の人たちが乱暴に扱ったからではなく、その頃のプレーヤーがカートリッジを手動で動かして針を手で直接盤に載せるタイプが多かったからです。
だから改良を望む声が多くあがって、その後のプレーヤーは自動で針を落とすようになったので、ECMの盤面はきれいなのです。

あと、プレス枚数は少なくはなかったはずなのに、結構後期プレスの盤もあるということ。 これにはちょっと気を使います。 
まあ、そこにマニアックな愉しさもあるので、これは別に悪いことではありません。 楽しんで検盤すればよろしい。

そんな訳で、店頭で手にする枚数はかなり多いけれど実際に買えるものは少ないし、欲しいと思うアーティスト自体がまだ限られているので、
嗜好の幅はまだまだ狭いですが、今のところはこれが一番の楽しみになっています。 当分、ブログのネタにも困らないでしょう。


それに引き換え、CDの猟盤に成果がありません。 いろいろと物色はするものの、どうもこれはというものにぶつかりません。 DU店員殿や他ブログ様の
お勧めの新作も試聴してみるもなかなか自分にはうまくフィットしない中、唯一とてもよかったのが今更ですがこれでした。



Kamasi Washington / The Epic  ( Brainfeeder BFCD050 )

最初に店頭で試聴した時は久々にぶっ飛びました。 こりゃあ現代版 "至上の愛" じゃんか。 いや、"ビッチェズ・ブリュー" か。 女性コーラスが
いきなり妖しい感じだぞ。 おいおい、3枚組だってよ、マジかよ。 それに、このジャケットに漂う懐かしい感じ、なんかちょっと、ヤバくない?
そういう感じです。

3枚組にも関わらず、何の苦もなく最後まで聴き通せます。 やってることは恐ろしいくらいに前時代的なのに、その質感は非常に上質でスムーズで
わかりやすく聴きやすい。 若い彼の眼には、こういうのは極めて新鮮で斬新に映ったんだろうなあ、と思います。 あっけらかんとこういうのを
やってしまっていることに、逆に衝撃を覚えました。

まあ、かつての天才たちが見せた「初めて聴く異形さ」や「理解不能な衝撃」はまだ見られず、どちらかと言えば枠内に賢くコントロールされて
納まっているのですが、ここには溢れ出てどうしようもなく止められない「過剰なもの」があります。 これが貴重で、何よりも尊いのです。
現代の芸術が失ってしまって久しいこの宝物をみんなで大事にしなければいけません。

彼は、新しい時代のマイルスになってくれるでしょうか?


コメント
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