廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

バド・パウエルの肖像

2020年05月20日 | Jazz LP (Columbia)

Bud Powell / A Portrait Of Thelonious  ( 米 Columbia CL 2092 )


1961年12月、渡仏したキャノンボール・アダレイはプロデューサーとして、パリのシャルロット・スタジオで2つのセッションを録音した。
1つは15日にバド・パウエル、ピエール・ミシュロ、ケニー・クラークの "The Three Bosses" にドン・バイアスとアイドリース・スリーマンを加えたもの、
もう1つは2日後の17日に管楽器を外したパウエルらのピアノ・トリオによる演奏。但しこの2つのセッションは一旦お蔵入りとなり、前者は1979年、
後者は1965年になってようやく発売された。後者はアルバムとして発売される際にスタジオ演奏の上に観客の拍手をオーヴァー・ダビングしている。
どうしてこういう経緯を経たのかはよくわからない。

アルバム・タイトルも不思議で、確かにモンクの曲が半分を占めているとは言え、この構成から「セロニアスの肖像」とするにはいささか無理がある
ような気がする。メンバーたちはそういうつもりでレコーディングをしたとは思えず、このアルバムには制作上の不可解な混乱の跡が残っている。
もしかしたら、録音時点では発売先は決まっておらず、後にコロンビアがキャノンボールから版権を買い取ったのかもしれない。そのため、制作の
意図と発売の形式が噛み合っていない結果となってしまったのかもしれない。

そういうわからないことだらけのアルバムではあるけれど、幸いなことに、ここで聴ける演奏は圧倒的に素晴らしい。私自身は欧州移住時に録音
されたパウエルのアルバムの中では、これが一番好きだ。

パウエルは運指が滑らかでフレーズもイマジネイティヴだが、ここでの演奏にはそういうことにプラスして深いタメが効いている感じがある。
だから演奏全体に哀しみのようなものが漂っていて、それが切ない。ヴァーヴ盤で聴けるような朽ち果てていこうとする際の哀感ではなく、
音楽家として成熟を極めた感性から放たれる深い芳香のようなものだ。この演奏に枯れている様子は見られず、逆にみずみずしいくらいだ。
選曲も良く、アール・ボステックの "No Name Blues" なんてイカした曲も入っている。

そういうことを感じることができるのは、録音が良いおかげかもしれない。ステレオ盤は聴いたことがないのでよくわからないが、手持ちの
モノラル盤は音が深く澄んでいて、適度な残響と拡がりのある空間が感じられるとてもいい音だ。楽器の音もクリアで演奏の微細なニュアンスも
手に取るようによくわかる。そのおかげで、演奏の良さがより際立っているのかもしれない。

パウエルのピアノ・トリオにはただのピアノ・トリオだけには終わらないものがたくさん含まれているので、やはり管楽器のバックではなく、
トリオなり、ソロで聴きたい。そういうピアニストは、エヴァンスなどを含めてごく一握りしかいない。このアルバムは「セロニアスの肖像」
ではなく、「バド・パウエルの肖像」なのだ。


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