Keith Jarrett / My Song ( 独 ECM 1115 )
このアルバムをオスロのスタジオで録音した頃は、並行して "Byablue" や "Bop-Be" をニューヨークで録音していて、叙情派の側面が作品に色濃く
出始めた時期だった。特に、ECMの方はガルバレクという傑出したサックス奏者のおかげで、そういう要素が前面に表出して、1つの完成形に至っている。
キースのソロ演奏、特に観客を前にしたソロ・コンサートを聴いていると、フレーズの随所に美メロの断片が出てきて、あれがストック・フレーズなのか、
それともその場で天から降って来たメロディーだったのかはよくわからないにせよ、これだけメロディーに溢れた音楽をやる人なら、このアルバムのような
作品が生まれてくるのは当然だろうと思う。1つの断片、例えばここでは表題曲のメロディー、を核にそれを増幅して1枚のアルバムにしたような印象がある。
ここまで可憐なメロディーをいい歳した大人が真面目にやるなんて、と気恥しい気分を覚えながらも、頭の中でリフレインするんだからこればかりは仕方ない。
2006年に出したカーネギー・ホールでのコンサートでアンコールにこの曲をやった際の観客の反応でもわかるように、結局、みんなから愛されているのだ。
これはそういうアルバムだ。
如何にも北欧を想わせる冷たく澄みきった空気感という印象でコーティングされているけれど、ECMは基本的には難解な部類のジャズをやっている
レーベルで、本来ならごく限られた人だけが聴くような作品群だったはずだけど、このアルバムに代表される真逆の音楽がヒットすることで幅広く
支持されるようになったのはこのレーベルにとっても、ジャズ界にとっても幸運だったわけで、それはひとえにキース・ジャレットのおかげだろう。
この人がいなければ、ジャズという音楽はマーケット的にはもう少しニッチな音楽になっていたかもしれない。
このメンバーでの1枚目と2枚目の本作の違いはまさに、ここで書かれていることですね。1枚目はガルバレイクのアルバムだと思うのですが、キースのバンドに衣替え。ピーコックのアルバムがスタンダーズになったのと同じ構図ですね。
才能がそうさせたのか、ワレがオレが、の性格がそうさせたのか・・・
何をやっても自分色に染めていく人なんですよね。