オイラは戦争遺跡を案内するだけでなく調査も行なっいてます。資料などでも調べますが一番大事にしている事は聞き込み調査です。そして記録には残っているけど現状はどうなんだろう?という場所を改めて探し出し、GPSでポイントを落としています。市の文化財課には何故か未だにGPSが無く、地図上のポイントは残されていますが座標での記録がありません。県の平和祈念館と一緒に行う時もありますが数年おきに人が変わってしますので、継続的な調査はやはり個人的に行う事が多いのです。
石垣島だと文化財課の「戦跡巡り」などで行くような場所は時々人の手が入るのでまだ大丈夫なんですが、山中などそうでない場所は、行く事も知ってる人も減りつつあります。戦争経験者がいずれいなくなってしまう事は生きている以上仕方のない事ですが、このままでは誰もその場所に行けなくなってしまう、大切な戦争の記憶がひっそりと無くなってしまう恐れがあります。そしていま、戦争経験者の言葉の次に本物の記憶・記録として重要視されているのが戦争遺跡です。これは沖縄県だけでなく日本でも世界でも、まだ残されている戦跡を後世に残そうと動き始めています。
(熱研の入り口。初めの頃はこの道が当時の滑走路跡なのかな?と思っていました)
今回のヘーギナー(海軍北)飛行場もその一つで、「八重山の戦争(1996)」の著者・大田静男さんにも「発刊後、行ったことありますか?」と聞いて見ましたが「当時、何度か行ったぐらいでその後は行ってないなぁ」との事でした。
飛行場自体は現在、「国際農林水産業研究センター 熱帯・島嶼研究拠点」、通称・熱研に変っていて現存しませんが、オイラが現状を調べたかったのは、その敷地内の地下に作られたと言われる「地下電波探知機壕(発電機壕)」です。聞き込み調査をしていると、「熱研を作る時に埋められてもう無い」と言う人が多かったんですが、聞き込みで気を付けないといけないのは、自分の思い込みや考えを見て来たかのように話す人がいると言う事です。だって大田さんが本を発刊した時点で既に熱研は出来ていたんだから、その当時の地下壕を写真付きで載せてる事からこの証言は辻褄が合いません。
(実際の滑走路の配置はこんな感じだったと言う記録と、もう少し右下の角に付くように東側にずれていたと言う記録があるが、当時の航空写真が見つかっていないので定かではない)
(瀬名波栄著 太平洋戦争記録 石垣島防衛戦史(1970) より抜粋加工)
そんなこんなで数年モヤモヤしていたある日、幾つかの戦跡が記された地図を見つける事が出来ました。その地図を良く見てみると、何とオイラが探していた地下壕の位置もプロットされているではありませんか!
この地図を頼りに熱研の所長さんに許可を頂き敷地内を探して見ると、
「あった~!」
見つけました。
この画像では分かり辛いですが、ボコンッと3~4mくらい陥没した穴の中に何か見えます。崩落に気を付けながら慎重に穴の底に降りて見ると、コンクリートで出来た構造物を見つけました。
入口?開口部を見るとかなり土砂で埋もれていて、このまま中に入るにはかなり危険な状態です。この時は場所だけ見つけるつもりだったので何も用意していなく、物凄い蚊に刺されながらカメラとライトだけを穴に突っ込んで撮影したのが次の画像です。
入口と言うよりは通路の途中、と言う感じで無理やり壊して(壊れて)口を開けたような感じです。画面左側は崩落していますが先があったようです。右側はレンガ張りの通路がしっかり確認できます。資料を良く読むと「元の出入口は埋没が著しく確認できず」と書いてあります。また「天井が落盤~」とも。2006年の資料で既にこう書いてあるのでそれから約17年。これ以上の調査は、キチンとした装備と安全を確保して行う事になりそうです。
取り合えず開口部からもう少し腕を突っ込んで、虫除け対策もして、広角レンズとストロボを付けてノーファインダーで撮影して来ようかな(笑)。
#リフトアップ石垣島エコツアー #戦争遺跡 #ヘーギナー #海軍北 #飛行場 #地下電波探知機壕