歩いてるとこんな石碑が出て来ました。 琉球政府による禁猟区を標す石柱です。 琉球政府というのは戦後1952年に成立し、本土復帰の1972年(昭和47年)まで続いた政府組織です。 石垣にも古い三角点などを見ると琉球政府と書いてあります。
この画像、「何だ?」と思うでしょ。 とりあえずケーブルみたいなのがあるのが分りますか? おそらくここを歩く人で気付く方は殆どいないと思います(地元ガイドも知らないんじゃないかな?)。 オイラ達もMさんに説明して貰わなければ気付きもしなかったと思います。 これは1953年、琉球政府が八重山開発株式会社(十条製紙系の会社。 十条製紙は旧王子製紙が分割した内の1社で現日本製紙)と部分林契約を結び、1961年から伐採開始。 日本自然保護協会の会報では1970年の時点で2300haが伐採され今なお続いている、と書いてありました。 何年まで続いて最終的にどれくらい伐採されたのかは分りませんが、1972年の沖縄変換後に自然保護を理由に色々な事業が中止になっていったようです。 西表島開発の一つには、なんと西表横断道路(車が通れる)まであったそうで、仲間川林道はその時のものだそうです。 中止になって良かった~! と言う事で、その頃に八重山開発(株)が伐採したパルプの原料である材木をスキー場のリフトのように吊って運んでいたケーブルがこのケーブルで、実際に写真も残っています。 見たい人は石垣市図書館の郷土コーナーに行って見て下さい。 もしかしたら資料があるかも知れませんよ。
西表島というのは殆どが砂岩と礫岩、あとは琉球石灰岩ぐらいで石炭が出たのも有名ですが、そんなだからこの横断道路も砂岩が向き出しで、画像のように水の流れでドンドン削れていきます。 物によっては小石を拾って手でギュッとやると、グシャッと崩れてしまうぐらい軟いのもあります。 ですから自然保護という観点では大勢の人がここを歩く事自体問題があり、団体さんなどをドンドン送り込むのはどうか?と言う議論がチョクチョクされています。
この辺りはまだまだ観光客が来る場所なので、こんな休憩場までありますよ。 オイラ達が行ったのは冬(沖縄では冬が山の季節)なので観光客もまだ少なかったんですが、これが今日の様なGW中やこれからのオンシーズン、どれくらいの人がやってくるんでしょう? そう考えたらこれだけの自然の中を一日で大型バス何台分も人が歩くなんて恐ろしいですね。 自分が実際に来て見て歩いて実感しました。
「お前もその自然を壊している一人じゃないか」、と言われたらその通りです。 だから偽善的な事は言いませんが、考えさせられますねぇ。
つづく