石垣島にも戦跡と言われるものが沢山あり、海岸にも街中にも山中にも沢山あります。 地元の子供達は終戦記念日が近づくと学校単位で当時の事を忘れないようにそういう戦跡などを見学に行き、戦争体験者のおじぃ、おばぁから当時のお話を聴くのです。 オイラ達「石エコ会」などでも修旅で来る内地の学生さん達をガイドする時に戦跡を紹介する事があります。 さて、今までにもいくつか紹介したと思いますが今回はそのうちの一つで、山中にある「旅団戦闘司令部跡」を紹介します。 もともとは市街地にある農学校を司令部として使っていたそうですが、連合軍(主にアメリカ軍ですが、石垣島はイギリス軍が中心と言われます)による激しい攻撃を避けるために山中に移動したそうです。
どの壕がどういう使い方をされたかは分かりませんが、旅団長が使った司令壕や司令部壕、食料や弾薬を入れておいた壕など今の所3つ確認されてるそうですが、オイラは2つしか見つけられませんでした。 また今度時間があるときに確認しに行こうと思います。
右側にあるのが兵舎の石積みの跡と言われてますが分かりますか? さらにこの先にかつて道だった跡が続いています。
山の先輩・Hさんがまだまだ知られていない戦跡なども含め、独自に調べ発掘したりしていますが、この壕も近年雑草などに埋もれていた壕をキレイにしてくれていました。
辺りには瓦や飲み水用のビン、燃料用か薬品用?のビンなども散乱しています。 内地ではなかなか目にする事が無かった戦跡も石垣に住む様になってから身近に見る事が多く、歳のせいもあるかも知れませんが考えさせられる事が多いです。 こんど内地に帰った時は地元の戦跡などがあるかどうか探してみたいと思います。 自分が育った地域のそういうのも知っておかないとね。
今週は大阪から叔父夫婦が来たり、入れ替わりにこれまた大阪の友人夫婦が来たりで大忙し。 水曜日に更新出来なくてすみません。 ちなみに今日は一番の寒さで震えています。 これから石垣島に来る方、温かい格好も忘れずに!