23日から米軍と自衛隊の日米統合演習「キーン・ソード25」の一環で八重山でも訓練が行われ、与那国島やここ石垣島の新石垣空港でも、自衛隊のV22オスプレイや、米軍の特殊作戦機MC-130が飛来しました。なかでも米海兵隊の高機動ロケット砲システム兵器「ハイマース」が石垣駐屯地で展開されたのは今回初めてです。訓練は台風により(31日は空港閉鎖)早目に引き上げるようですが、民間空港の使用、与那国駐屯地でのオスプレイの事故など、多くの問題を残したままです。
ここ数年の日米のこのような動きや他国の戦争を危惧してか、沖縄本島だけでなく石垣島へも平和学習や自衛隊基地視察、戦跡巡り等で、ずいぶん訪れる方(案内)が増えました。今まで戦争関係で石垣島まで来る人は、取材や元々興味があるような方達だけで、普通の観光客は「石垣島は戦争無かったんでしょ?」と言う人もいるくらいです。ところが最近はその観光ルートの中に「平和祈念館」に行く、という方も増えているんです。海外から「平和ボケした日本人」なんて言われる事もありますが、皆さん(日本人)の関心がそれだけ戦争を身近(危機)に感じるようになって来たのかも知れません。
20数年前、石垣島(沖縄)に移住してから戦争を身近に感じるようになったオイラは、特に「石垣島の戦争」を勉強しながらライフワーク見たいになってしまったのが、言い方があってるかは分かりませんが「メジャーな戦跡」以外を探す事です。これはもう忘れ去られ、藪に埋もれ分からなくなってしまうような心配はまずない、場所がハッキリしてて何なら案内板まで設置されているような戦跡ではなく、その真逆の戦跡を探してGPSで地図に落とし込む、と言う作業です。
当然探すには資料だけでなく、戦争体験者や付近の人への聞き込み調査も必要になって来るので、その時の会話も貴重な資料になります。お年寄りと話すのは戦争の事だけでなく島の色々な話も聞けて、オイラにとっては「凄く面白い!」です。仕事がら話すの全然苦じゃないオイラと、大抵お話し好きのお年寄りの方々、超長話になる事も多々あります(笑)。
前置きが長くなりましたが、今回はバンナ岳(大川山)です。当時バンナ山中にも数多くの壕など軍の施設が築かれました。あの横浜軍事法廷、三大事件の一つとなった「石垣島事件」の現場も、バンナ岳の麓です。
すぐ西隣にある前勢岳にも小島隊高射砲など軍の施設はありましたが、バンナ岳と違い前勢岳は山の反対側などは新川・大川住民がの避難した、民間人が利用した場所でもあります。なので前勢岳の山中や森林公園になっている場所を散策すると、当時の食器や井戸のような跡、薬莢が見つかる事もあります。
戦争遺跡を探す場合、軍の施設はいくつかの資料を見るとある程度の場所は分かるんですが、今回は街から近いと言っても山中なので、民家も畑もなく聞き込みはまず期待出来ません。報告書や本を出したSさんやMさんに聞く事もありますが、山中など調査当時から何十年も訪ねていない場所は記憶が薄れてしまって難しくなります。基本は、長靴履いて鎌持って、あとは現場に行って探すしかない。ある程度目星を付けた場所から進入です!
簡単に書くと、スマホの山地図アプリで地形図を見ながら急斜面を下りて、沢を渡って、斜面に向かって歩いて、斜面に沿ってウロウロしていると、見つけました! 今回は1時間くらいで見つける事が出来ました。いつもこうだと楽なんですが。
森の中に人工物が突如現れると、違和感からなのか少し怖くなります。この時もそうでした。一人で行く事が多いので尚更です。実際にはクロツグの葉などでもっと覆われていたんです。
こちらが全景です。コンクリート製で俯瞰で見ると、/‾‾\ こんな形です。文字化けしないで見れてるかな?
開口部は正面と右側の2ヶ所ですが、左側はイヌビワの根があって分かりません。画像の通り中は全て埋もれていて、余りにもキレイに埋もれているので戦後に埋めたのかも知れません。
向かって右側は石を積んで石垣があったようです。バンナ岳なので地質はフサキ層の粘板岩か千枚岩だと思いますが、いずれにしても脆いので、一人で来ている事もあって無理に土砂を掻き出して中を確認するのは危険だと判断しました。現状維持、いじらないのは保護の基本です。今のところ古い資料にも中の図面は一切出て来ないので残念ながら分からず終いです。
軍の資料は敗戦後に敵国に情報が漏れないよう、焼却処分してしまった物が多く、民間人どころか兵隊さんが日記を書く事も本当は軍の機密情報漏洩になるので禁止です。実際には多くの人が書き残していますが、それは「今日死ぬかもしれない、生きて戻れないかもしれない、戦争の様を残さなければいけない」と言う気持ちが書かずにはいられなかったんだと思います。以前読んだ手記には、「兵舎が空襲にあい爆弾が落ちてくる中、日記だけはと燃え盛る中に飛び込み持ち出した」と書いてありました。それくらい自分が生きた証みたいなもの残したかったのかも知れません。
GPSで落とし込み、撮影も終え、これで完遂。帰ろうかと思ったら、壕の脇から上に向かって何だか人が歩いていたような跡が。画像はありませんが、近くにもう一つ壕がある事は資料を見た時に書いてあったので、もしかしたらそこに繋がるのかな?、と思い斜面を登ろうとしたら崩れて登れません。仕方ないので沢沿いの斜面にそって回り込んで行くと、出ました!
別の戦跡ではなく、コンクリ壕の裏側でした。貫通していたんですね。反対側にも構造物があるとは認識していなかったのでビックリです。画像右側が裏の出入り口だと思いますが、こちらも既に埋もれています。あとから見つけた資料によると、左のは石灰岩とコンクリートで組んだ「爆風除け」と言う事です。軍の壕の前には結構設置されます。右のは山中にあった岩を積んだだけのような感じでした。
見ての通り画像の真ん中に道が見えます。少し歩いて見ると山中に続いているようなので、他の壕との連絡路かも知れません。次の機会に辿って見るつもりです。表側よりも沢の水量も多く、水には困らなかった事でしょう。ですが、バンナ岳にもマラリアを媒介するハマダラカは当然いたと思うので、そちらの心配の方が大です。オイラもアチコチ刺されながらの撮影でした。
これで現場での作業は多分終わりです。あとは誰が作ったか?、内部構造は? オイラが分かっているだけでバンナ岳には、陸軍特設第4警戒隊、独立歩兵第271大隊、石垣島海軍警備隊が利用していました。しかし今回のコンクリ壕を誰が構築したのかは分からず、これからです。
最後の画像、コンクリ壕のすぐそばで撮影したものです。
「自然豊かな亜熱帯の美しい森」
「鬱蒼としたマラリア地獄のジャングル」
どんな気持ちで見たいですか?
オイラはずっと「平和ボケした日本人」で良いです。
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