皆さん、お元気でしょうか? オイラは元気です。 生きてます。
今回の惨劇は非常にこたえました。 石垣島に住む方は毎年のように台風と戦ってますが、オイラはそんな時の自分より辛かったような気がします。
茨城、北海道、東京、千葉、新潟、青森、長野、そして福島も含め家族や友達・知人がいて、当日はなかなか電話が繋がらずに、ようやく夕方ぐらいから時々繋がりだし取り合えず全員無事を確認した時は気が抜けました。 テレビで流れている東北の海沿いに比べれば全然大した事は無いかもしれないけど、茨城で一人で暮らす母(幼少期、南海地震で非難した山の上から、自分の家が津波にのまれるのを見ている)の事が特に心配で、茨城県でも最大震度6と言う時があり、連絡が取れるまで何度かけ直したか分りません。 しかもやっと繋がった電話の最中も絶えず余震で揺れている、と言う状態での会話です。
話しを聞いて見ると家の中はメチャクチャ! 食器はみんな割れて、テレビは台から転げ落ち、タンスは倒れ、玄関が開かない、開けたら今度は閉じない、停電、みんな多かれ少なかれ被害にあってます。 幕張メッセに取材でいた弟が言うには埋立地はみんな液状化で、全部泥水に浸かっていた湾岸道路を撮影用の借物のトラ(バイク)でこけない様に必死で走った(こけてるライダーが沢山いた)と言ってたし、江東区で働いていた友達もやはり会社の周りが液状化だったと言ってました。 交通マヒで身動きとれず会社に泊まったとか、何時間も歩いて帰った友達は、渋滞の車道の横、歩道いっぱいに我が家に向かってズラズラと歩いている人、人、人、だと言ってました。
翌日は石垣島エコツーリズム協会(石エコ会)の観察会の手伝いがあったのですが、「何時またどうなるか分らないので明日は家で待機してます」と言って休ませて貰いました。 実際会長も、「やってる場合では無い」、と判断し、観察会は延期になりました。 そう言うと石垣にも津波注意報が出ていて、用事でバンナ岳の側を通った時に何時も以上に非難している方々が沢山いました。津波見学に行く者が多かった時と比べたら素晴らしいですね。 見てると殆んどが親子連れです。 自分達大人は良くてもやはり子供の事を考えると念の為に、と言う事なんでしょう。親の愛です。素晴らしい! オイラも結局朝までテレビにかじり付き、大きな余震がある度にハラハラしてました。 朝方いよいよ寝るかと言う時になって長野・新潟で最大震度6強! 急いで親戚や知人の細かい地域の情報を探ると、とりあえず大丈夫だと分り、これまた何とかホッとしました。
そのうち福島原発が放射能漏れと言う事でさらに心配の種が増え、仕事以外はずっとテレビやラジオに釘付け。 計画停電も4月まで続くと言うし、震度6クラスの余震もまだ続くと言うし、これを書いてる今もテレビは聞いてます。
今回思ったのは(まだ終わって無いが)、本当ならオイラも石垣に来なければ関東で暮らしていただろうに、と言う複雑な気持ちと、オイラの親兄弟・友人の心配をして、「お前の母ちゃんとか大丈夫か?」と電話してくれた友人達には本当に嬉しく感謝しています。 何時間もかけて家までの道のりを歩いていた友人も、「息子達と連絡が取れない」、と心配してた時に、「アンタの三男はウチにいるから大丈夫よ」、とか、「大丈夫?迎えに行こうか?」、と連絡くれる方もいたそうで、「こう言う時に人の本質が分るよね」、なんて話をして、本当に感謝していると言ってました。 ビックリしたのが以前の(ピ~!)からも連絡があり、当時オイラの事をあんなに冷たく(新しい彼氏出来たから、じゃねっ!)フッておいて、心配の連絡くれるなんて・・・。 驚きと感謝です(笑)。 あっでも、オイラの心配じゃなくてオイラの親や友達の心配か?!(^_^;)
オイラの家族や友人は日本中にいて、関西には祖母や友人も沢山います。 阪神淡路の時は何かしたいと思ってたんですが、結局「どうやって行くんだ?!」とか考えているうちに行かず終い。 後からバイク仲間がオフロードバイクで行って手伝って来た!と聞いて、自分に落胆しました。とにかく行くべきだった、と・・・。 今回は今の所、連絡が取れない(こっちからは通じるのに内地同士では通じなかったり)相手にオイラを通じて連絡してあげたり、励ましたり心配するくらいしか出来てませんが、今後何をしてあげられるかを考えています。 TVを見ていると涙がボロボロ出て来るのですが、泣いている場合ではありません!
当地の皆さん、当地に家族や友人がいる方、気を強く持って頑張って行きましょう!
地震の当日、北海道の友人のお父さんが亡くなりました。 友人は「多分、地震のせいでは無いと思うけど・・・」、と言ってましたが、ご冥福をお祈りします、合唱。