えー、今さいたま市中央区は雨である。
予報では雨は夜更け過ぎに雪へと変わるらしいが、全くサイレン・ナイトでもなければホーリー・ナイトでもない。
私には「きっと来ない君」すらいないからだ。
まあ、それはそれとして、どうも御登山中……というか、そこから福運にケチが付いている。
あからさま過ぎて、分かりやす過ぎて笑っちゃうくらいだ。
帰りの埼京線電車内では降っていなかった雨が、駅に着いた途端、降り出しやがる始末である。
傘?無いから、濡れて帰ってきたよ。
登山中からして雨だったので、まず天候に関しての御加護から削られているようである。
明日、大雪降ったら申し訳無い。
私の罪障消滅というのは、本当に周囲を巻き込むらしい。
お詫びと抗議の意味で、4月まで末寺参詣並びに登山ストに入らせて頂く。
ただ、“となりの沖田くん”によれば、すぐに罰の現証が出る人、それが分かりやすい現証が出る人というのは、比較的罪障の軽い人なんだそうだ。
そこでは池田大作名誉会長が比較対象として挙げられているが、彼に顕罰が現れていないのは学会破折を重点的に置いている人なら誰でも知っていることだろう。
そこまで知っている人なら、どうして名誉会長に顕罰が出ていないのかの理由も分かっているはず。
先日の記事では京都の神社を例に挙げたが、本当に力のある本尊は、まずその信仰者に対して罰の現証を与える傾向があるらしい。
実はこれ、顕正会でも指導されたことがある。
確か私が顕正会に入り立ての頃だったから、もうかれこれ15年近くも前のことになる。
なのでもう記憶が曖昧になっているのだが、確か最初に世話になった支隊長(当時は支隊副長)が言っていた。
「御本尊様が、信仰者を試す」
と。
わざと罰に近い現証に与えて、そこでどういう反応をするのかを確かめるんだと言っていた。
入信したての頃、多感な20歳前後の頃だったから、何とか覚えている状態だ。
「そこで御本尊様を疑わず、乗り切った後に大きな功徳を頂けるんだ」
みたいなことを言われて、すっかり私は血脈の切れた東京会館の御本尊に、今から思っても恥ずかしいと思うくらい唱題してたっけな。
血脈切れというよりは、使用期限切れかもしれん、あれは。
基本的にどこの寺院でも、常住御本尊は木製だろう?
同じ功徳があるなら紙製の御本尊があっても良いだろうに、どうしてなのかを考えた時に、紙製はもしかしたら使用期限があるのかもしれないと思った。
信徒に下附される御本尊も紙製だが、同じ御本尊を一生お預かりすることはないと思う。
紙製だから色褪せたり、ローソクの煤などで汚れたりして、お寺に交換を申し出ることがあるだろう。
正に、その時が使用期限切れになった時なのかもしれない。
よくよく思い出してみれば、東京会館の御本尊はかなり色褪せてしまっている。
年季が入っていると言えば聞こえは良いが、そもそもが血脈が切れていることを抜きにしても、とっくに使用期限自体が切れていて功徳が無いのではないか。
4月には大石寺で御虫払大法会が行われ、それは多くの場合、平日に行われるということもあって、私も参加させて頂いたことがあった。
猊下が普段は山内でおしまいしている、大聖人など歴代御上人の御真筆御本尊を信徒達に公開してくださる。
確か、会場は客殿だったかと思う。
かなり年季が入っており、せっかく大聖人御真筆の御本尊もあるのだから、あれに個別に御題目を唱えることはできないのかと思ったが、もしかしたら使用期限の問題なのかもしれない。
歴史的な価値として本山にて厳重に保管しており、せっかくの遺産なのだから、たまには信徒にも公開しようという行事であることを考えると……。
あくまでも虫払いのついでに信徒に公開するものであって、拝んで功徳を積もうというものではないのかもしれない。
というわけで顕正会において、既に御本尊的には詰みの状態なわけである。
ま、とにかくだ。
一応は本山にて由緒ある御本尊に手を合わせた身。
分かりやすい現証が出ているので、確かに効果が表れている最中なのだと信じたい。
ただ、京都の神社に参拝した女性の話と比べると、私の罰の現証は次なる功徳ストーリーに繋がる気が全くしないのは何故だろう……?
単に信心が足りないだけか?
予報では雨は夜更け過ぎに雪へと変わるらしいが、全くサイレン・ナイトでもなければホーリー・ナイトでもない。
私には「きっと来ない君」すらいないからだ。
まあ、それはそれとして、どうも御登山中……というか、そこから福運にケチが付いている。
あからさま過ぎて、分かりやす過ぎて笑っちゃうくらいだ。
帰りの埼京線電車内では降っていなかった雨が、駅に着いた途端、降り出しやがる始末である。
傘?無いから、濡れて帰ってきたよ。
登山中からして雨だったので、まず天候に関しての御加護から削られているようである。
明日、大雪降ったら申し訳無い。
私の罪障消滅というのは、本当に周囲を巻き込むらしい。
お詫びと抗議の意味で、4月まで末寺参詣並びに登山ストに入らせて頂く。
ただ、“となりの沖田くん”によれば、すぐに罰の現証が出る人、それが分かりやすい現証が出る人というのは、比較的罪障の軽い人なんだそうだ。
そこでは池田大作名誉会長が比較対象として挙げられているが、彼に顕罰が現れていないのは学会破折を重点的に置いている人なら誰でも知っていることだろう。
そこまで知っている人なら、どうして名誉会長に顕罰が出ていないのかの理由も分かっているはず。
先日の記事では京都の神社を例に挙げたが、本当に力のある本尊は、まずその信仰者に対して罰の現証を与える傾向があるらしい。
実はこれ、顕正会でも指導されたことがある。
確か私が顕正会に入り立ての頃だったから、もうかれこれ15年近くも前のことになる。
なのでもう記憶が曖昧になっているのだが、確か最初に世話になった支隊長(当時は支隊副長)が言っていた。
「御本尊様が、信仰者を試す」
と。
わざと罰に近い現証に与えて、そこでどういう反応をするのかを確かめるんだと言っていた。
入信したての頃、多感な20歳前後の頃だったから、何とか覚えている状態だ。
「そこで御本尊様を疑わず、乗り切った後に大きな功徳を頂けるんだ」
みたいなことを言われて、すっかり私は血脈の切れた東京会館の御本尊に、今から思っても恥ずかしいと思うくらい唱題してたっけな。
血脈切れというよりは、使用期限切れかもしれん、あれは。
基本的にどこの寺院でも、常住御本尊は木製だろう?
同じ功徳があるなら紙製の御本尊があっても良いだろうに、どうしてなのかを考えた時に、紙製はもしかしたら使用期限があるのかもしれないと思った。
信徒に下附される御本尊も紙製だが、同じ御本尊を一生お預かりすることはないと思う。
紙製だから色褪せたり、ローソクの煤などで汚れたりして、お寺に交換を申し出ることがあるだろう。
正に、その時が使用期限切れになった時なのかもしれない。
よくよく思い出してみれば、東京会館の御本尊はかなり色褪せてしまっている。
年季が入っていると言えば聞こえは良いが、そもそもが血脈が切れていることを抜きにしても、とっくに使用期限自体が切れていて功徳が無いのではないか。
4月には大石寺で御虫払大法会が行われ、それは多くの場合、平日に行われるということもあって、私も参加させて頂いたことがあった。
猊下が普段は山内でおしまいしている、大聖人など歴代御上人の御真筆御本尊を信徒達に公開してくださる。
確か、会場は客殿だったかと思う。
かなり年季が入っており、せっかく大聖人御真筆の御本尊もあるのだから、あれに個別に御題目を唱えることはできないのかと思ったが、もしかしたら使用期限の問題なのかもしれない。
歴史的な価値として本山にて厳重に保管しており、せっかくの遺産なのだから、たまには信徒にも公開しようという行事であることを考えると……。
あくまでも虫払いのついでに信徒に公開するものであって、拝んで功徳を積もうというものではないのかもしれない。
というわけで顕正会において、既に御本尊的には詰みの状態なわけである。
ま、とにかくだ。
一応は本山にて由緒ある御本尊に手を合わせた身。
分かりやすい現証が出ているので、確かに効果が表れている最中なのだと信じたい。
ただ、京都の神社に参拝した女性の話と比べると、私の罰の現証は次なる功徳ストーリーに繋がる気が全くしないのは何故だろう……?
単に信心が足りないだけか?