[6月10日09:00.天候:晴 長野県北部山間部の村郊外 マリアの屋敷]
稲生勇太とマリアンナ・ベルフェ・スカーレットは魔法で建てた洋館に住んでいる。
元々イリーナが魔法で建てたものだが、魔力を使い過ぎて、2人で住むには不釣合いなほどに広くて大きな屋敷となっている。
たまに師匠イリーナ・レヴィア・ブリジッドがやってきて、何日か滞在する程度だ。
そのイリーナもまたヨーロッパに向かっていて、今ここにはいない。
「あ、そうだ。ユウタは知ってる?」
屋敷内の大食堂で朝食後、マリアがユウタに声を掛けて来た。
「何ですか?」
「ジルコニア達の不祥事の反省で、大師匠様の下に監視役を置くことにしたんだって」
「そうなんですか」
「ミシェル・スローネフ師。他門だけど、逆にそこからでの起用でないと、監視にならないだろうってね」
「? どこかで聞いたことあるな……?」
「確か3ヶ月前、仙台に行った時、宿泊していたホテルにちょっと寄って来たあの人だよ」
「ああ!何か、大企業の女性重役って感じの!」
キツそうな性格に見えたが、逆に個性派だらけの魔道師の上に立つには、それくらいでないとダメなのだろう。
「この屋敷にも巡察に来るみたい」
「そうなんですか。何か、緊張するなぁ……」
「来るとしたら、師匠がいる時だろう。師匠が帰って来るのは来週だ。恐らく、その時だ」
「なるほど。どういう所を見られるのでしょうか?」
「まあ、ちゃんと真面目に修行しているかどうかじゃない?」
「そうですか」
「だって、特に見習のユウタの、他にどこを見るというのだ?」
「ま、そうですよね。すると、マスター(1人前)のマリアさんは、ちゃんと魔法が使えるかどうかですか?」
「……ちょっと、魔道書取って来る」
「あ、僕も行って来ます」
マリアは食堂の奥のドアへ向かい、稲生はエントランスホールへ出る方のドアへ向かった。
と、そこへ、玄関ドアのベルが鳴らされた。
どうやら、来客らしい。
「あー、ハイハイ」
稲生が食堂からエントランスホールに出ると、玄関ドアに向かった。
既にメイド人形のミカエラが玄関ドアを開けていて、そこから入ってきたのは……。
「やァ」
イリーナだった。
「イリーナ先生!?あ、あれ!?確か、お帰りは来週だったはずじゃ……?」
「いやあ、ある御方から急遽戻るように言われてねぇ……」
「ある御方?」
「もういらっしゃってるよ。どうぞ」
イリーナが半開きになっているドアを更に開けると、そこから入って来たのは……。
「! あ、あなたは……ッ!」
長身のイリーナと並ぶのは、グレー系のスーツの上から大魔道師のローブを羽織った女性。
長い黒髪をアップで束ねているのが特徴で、稲生を見据えるかのようにエメラルドグリーンの瞳を向けている。
「監視役のミシェル・スローネフ師よ。あなたは先生と呼んで差し上げて」
「は、はい!おはようございます!僕は……」
「イリーナ組2番弟子、稲生勇太君ね。仙台で1度だけ会ったわね」
「は、はい!」
「これからも、修行頑張りなさい」
「はい!」
見た目の年恰好はイリーナと大して変わらない。
その為、実年齢は分からなかった。
ただ、イリーナが目を細めている(気が落ち着いている)とはいえ、恐縮しているのが分かることから、イリーナよりも更にベテランの魔道師なのかもしれない。
そこへ、マリアが慌ててやってくる。
赤い縁の眼鏡を掛け、手には魔道書と魔道師の杖を持っている。
「お、お待たせしました!マリアンナです!」
「マリアンナ・ベルフェ・スカーレット。先般の“魔の者”との戦いの功績が認められ、総師範ダンテ・アリギエーリ師より、正式な登用が認められた(1人前のマスターに認定された)。……そうだったわね?」
「は、はい。そうです」
「契約悪魔は“七つの大罪の悪魔”の一柱、怠惰の悪魔ベルフェゴール。契約悪魔が契約悪魔なだけに、普段からの修行の態度については、ある程度の寛容が必要であるが……」
ミシェルはつかつかとマリアの前に近づく。
それに気圧されたマリアは一歩下がったが、ミシェルはマリアが着けている赤いリボンタイをキュッと締め直してやった。
緩んで、首からぶら下がっている状態だったからだ。
「マスターになったということは、クライアントから依頼を受ける権利が与えられたということだ。クライアントは魔道師の魔法力よりも、クライアント本人の姿を見て決める。身だしなみには気を使うように」
「は……はい……」
「屋敷の奥も見ておきたいんだが?」
ミシェルはイリーナに言った。
「はい。すぐご案内します。……あなた達はお茶の準備をしておいて。特に稲生君」
「わ、分かりました!」
ミシェルは30分掛けて、マリアの屋敷内を巡察した。
大食堂の上座で稲生達が用意したお茶をもらいながら、ミシェルが言った。
「師範代とマスターの住居だ。それが大きな屋敷である必要性は、ある程度認めよう。だが、無駄な設備も多い。それについて後ほど改善勧告を行うので、よく精査して従うように」
「はい」
と、イリーナは小さく頷いた。
「それと……稲生勇太君」
「は、はい!」
「ちょっとこっちへ」
ミシェルは稲生を手招きした。
「緊張する必要は無い。もうちょっとこっちへ来なさい」
「な、何でしょうか?」
稲生はミシェルに近づいた。
「ちょっと失礼する」
ミシェルは稲生の前髪をかき分けて、稲生の額を見た。
「……!」
稲生は何だか、自分の脳の中を見られているような気がした。
「ダンテ師が、キミがかの南光坊天海僧侶の転生だという見方をしていたが、その可能性は高いようだ」
「そうなんですか!?」
「あいにくと、私の能力でもってしても、100%の確証は持てない。100%言えることで言うとするならば、確かにキミは高僧とされる者の転生であるということだ」
「そうでしたか!」
「キミが法華経と関わったのも、無理からぬことだろう。法華経を魔法の依り代として使用する手は、十分に実用的であると言える。今の修行法を続けて行くと良いだろう。……効率はあまり良くないがな」
「は、はい。頑張ります」
「マリアンナ・ベルフェ・スカーレットさん」
「はい」
「壮絶な人間時代の過去だったわね。そして、あなたのようなコはこの門内に沢山いる。甘えは許されない。だけど、あなたが今のトラウマに向き合う姿は評価できる。このトラウマを乗り越えたら、次は過去に向き合うこと。それが“魔の者”撃退の大きなカギとなるだろう」
「ど、どういうことですか!?」
「今回のイリーナ組の巡察は、これにて終了とする」
「ありがとうございました」
「ミシェル先生は“魔の者”の正体を御存知なんですか!?」
「私もかつて戦った。あなたも、いずれ正体に気づく時が来るだろう。その為のヒントは、今言った通りだ」
(過去に向き合う。マリアさんが、人間だった頃ということか?)
と、稲生は思った。
玄関まで見送る3人。
「次はアナスタシア組ですかね?」
と、イリーナ。
「アナスタシア組は最後でいいだろう。何しろ弟子の数が多い。全員を見る為に集合させるまで時間が掛かるだろう。次は、ポーリン組だな」
そう言ってミシェルは玄関の外に出ると、瞬間移動の魔法を唱えて消えた。
「もう大丈夫だよ。ご苦労さんだったね」
「いえ……。でも、緊張しました」
「…………」
「厳しい御方だけど、話せば分かる人だから。アタシもせっかく戻ったことだし、お茶にでもしようかねぇ……」
「そうですね。マリアさん、どうしました?」
「あ、いや、別に……」
マリアは1番最後に、大食堂に戻った。
(魔道師になった時点で、過去の事とは決別したはずだ。それをもう1度向き合えとは……)
「マリア、色々考えることもあるだろうけど、まずはお茶にして落ち着きましょう」
イリーナは目を細めたまま、先ほどミシェルが座っていた上座席とは隣の横向き席に座った。
このように、イリーナは実質的な屋敷のオーナーであるが、けして上座には座らない。
上座には、自分より立場の上の者が座るべきと考えているからだ。
その1人が、先ほどのミシェルというわけだ。
稲生勇太とマリアンナ・ベルフェ・スカーレットは魔法で建てた洋館に住んでいる。
元々イリーナが魔法で建てたものだが、魔力を使い過ぎて、2人で住むには不釣合いなほどに広くて大きな屋敷となっている。
たまに師匠イリーナ・レヴィア・ブリジッドがやってきて、何日か滞在する程度だ。
そのイリーナもまたヨーロッパに向かっていて、今ここにはいない。
「あ、そうだ。ユウタは知ってる?」
屋敷内の大食堂で朝食後、マリアがユウタに声を掛けて来た。
「何ですか?」
「ジルコニア達の不祥事の反省で、大師匠様の下に監視役を置くことにしたんだって」
「そうなんですか」
「ミシェル・スローネフ師。他門だけど、逆にそこからでの起用でないと、監視にならないだろうってね」
「? どこかで聞いたことあるな……?」
「確か3ヶ月前、仙台に行った時、宿泊していたホテルにちょっと寄って来たあの人だよ」
「ああ!何か、大企業の女性重役って感じの!」
キツそうな性格に見えたが、逆に個性派だらけの魔道師の上に立つには、それくらいでないとダメなのだろう。
「この屋敷にも巡察に来るみたい」
「そうなんですか。何か、緊張するなぁ……」
「来るとしたら、師匠がいる時だろう。師匠が帰って来るのは来週だ。恐らく、その時だ」
「なるほど。どういう所を見られるのでしょうか?」
「まあ、ちゃんと真面目に修行しているかどうかじゃない?」
「そうですか」
「だって、特に見習のユウタの、他にどこを見るというのだ?」
「ま、そうですよね。すると、マスター(1人前)のマリアさんは、ちゃんと魔法が使えるかどうかですか?」
「……ちょっと、魔道書取って来る」
「あ、僕も行って来ます」
マリアは食堂の奥のドアへ向かい、稲生はエントランスホールへ出る方のドアへ向かった。
と、そこへ、玄関ドアのベルが鳴らされた。
どうやら、来客らしい。
「あー、ハイハイ」
稲生が食堂からエントランスホールに出ると、玄関ドアに向かった。
既にメイド人形のミカエラが玄関ドアを開けていて、そこから入ってきたのは……。
「やァ」
イリーナだった。
「イリーナ先生!?あ、あれ!?確か、お帰りは来週だったはずじゃ……?」
「いやあ、ある御方から急遽戻るように言われてねぇ……」
「ある御方?」
「もういらっしゃってるよ。どうぞ」
イリーナが半開きになっているドアを更に開けると、そこから入って来たのは……。
「! あ、あなたは……ッ!」
長身のイリーナと並ぶのは、グレー系のスーツの上から大魔道師のローブを羽織った女性。
長い黒髪をアップで束ねているのが特徴で、稲生を見据えるかのようにエメラルドグリーンの瞳を向けている。
「監視役のミシェル・スローネフ師よ。あなたは先生と呼んで差し上げて」
「は、はい!おはようございます!僕は……」
「イリーナ組2番弟子、稲生勇太君ね。仙台で1度だけ会ったわね」
「は、はい!」
「これからも、修行頑張りなさい」
「はい!」
見た目の年恰好はイリーナと大して変わらない。
その為、実年齢は分からなかった。
ただ、イリーナが目を細めている(気が落ち着いている)とはいえ、恐縮しているのが分かることから、イリーナよりも更にベテランの魔道師なのかもしれない。
そこへ、マリアが慌ててやってくる。
赤い縁の眼鏡を掛け、手には魔道書と魔道師の杖を持っている。
「お、お待たせしました!マリアンナです!」
「マリアンナ・ベルフェ・スカーレット。先般の“魔の者”との戦いの功績が認められ、総師範ダンテ・アリギエーリ師より、正式な登用が認められた(1人前のマスターに認定された)。……そうだったわね?」
「は、はい。そうです」
「契約悪魔は“七つの大罪の悪魔”の一柱、怠惰の悪魔ベルフェゴール。契約悪魔が契約悪魔なだけに、普段からの修行の態度については、ある程度の寛容が必要であるが……」
ミシェルはつかつかとマリアの前に近づく。
それに気圧されたマリアは一歩下がったが、ミシェルはマリアが着けている赤いリボンタイをキュッと締め直してやった。
緩んで、首からぶら下がっている状態だったからだ。
「マスターになったということは、クライアントから依頼を受ける権利が与えられたということだ。クライアントは魔道師の魔法力よりも、クライアント本人の姿を見て決める。身だしなみには気を使うように」
「は……はい……」
「屋敷の奥も見ておきたいんだが?」
ミシェルはイリーナに言った。
「はい。すぐご案内します。……あなた達はお茶の準備をしておいて。特に稲生君」
「わ、分かりました!」
ミシェルは30分掛けて、マリアの屋敷内を巡察した。
大食堂の上座で稲生達が用意したお茶をもらいながら、ミシェルが言った。
「師範代とマスターの住居だ。それが大きな屋敷である必要性は、ある程度認めよう。だが、無駄な設備も多い。それについて後ほど改善勧告を行うので、よく精査して従うように」
「はい」
と、イリーナは小さく頷いた。
「それと……稲生勇太君」
「は、はい!」
「ちょっとこっちへ」
ミシェルは稲生を手招きした。
「緊張する必要は無い。もうちょっとこっちへ来なさい」
「な、何でしょうか?」
稲生はミシェルに近づいた。
「ちょっと失礼する」
ミシェルは稲生の前髪をかき分けて、稲生の額を見た。
「……!」
稲生は何だか、自分の脳の中を見られているような気がした。
「ダンテ師が、キミがかの南光坊天海僧侶の転生だという見方をしていたが、その可能性は高いようだ」
「そうなんですか!?」
「あいにくと、私の能力でもってしても、100%の確証は持てない。100%言えることで言うとするならば、確かにキミは高僧とされる者の転生であるということだ」
「そうでしたか!」
「キミが法華経と関わったのも、無理からぬことだろう。法華経を魔法の依り代として使用する手は、十分に実用的であると言える。今の修行法を続けて行くと良いだろう。……効率はあまり良くないがな」
「は、はい。頑張ります」
「マリアンナ・ベルフェ・スカーレットさん」
「はい」
「壮絶な人間時代の過去だったわね。そして、あなたのようなコはこの門内に沢山いる。甘えは許されない。だけど、あなたが今のトラウマに向き合う姿は評価できる。このトラウマを乗り越えたら、次は過去に向き合うこと。それが“魔の者”撃退の大きなカギとなるだろう」
「ど、どういうことですか!?」
「今回のイリーナ組の巡察は、これにて終了とする」
「ありがとうございました」
「ミシェル先生は“魔の者”の正体を御存知なんですか!?」
「私もかつて戦った。あなたも、いずれ正体に気づく時が来るだろう。その為のヒントは、今言った通りだ」
(過去に向き合う。マリアさんが、人間だった頃ということか?)
と、稲生は思った。
玄関まで見送る3人。
「次はアナスタシア組ですかね?」
と、イリーナ。
「アナスタシア組は最後でいいだろう。何しろ弟子の数が多い。全員を見る為に集合させるまで時間が掛かるだろう。次は、ポーリン組だな」
そう言ってミシェルは玄関の外に出ると、瞬間移動の魔法を唱えて消えた。
「もう大丈夫だよ。ご苦労さんだったね」
「いえ……。でも、緊張しました」
「…………」
「厳しい御方だけど、話せば分かる人だから。アタシもせっかく戻ったことだし、お茶にでもしようかねぇ……」
「そうですね。マリアさん、どうしました?」
「あ、いや、別に……」
マリアは1番最後に、大食堂に戻った。
(魔道師になった時点で、過去の事とは決別したはずだ。それをもう1度向き合えとは……)
「マリア、色々考えることもあるだろうけど、まずはお茶にして落ち着きましょう」
イリーナは目を細めたまま、先ほどミシェルが座っていた上座席とは隣の横向き席に座った。
このように、イリーナは実質的な屋敷のオーナーであるが、けして上座には座らない。
上座には、自分より立場の上の者が座るべきと考えているからだ。
その1人が、先ほどのミシェルというわけだ。