報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
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コメンターの皆様へ

2017-11-07 23:45:57 | 日記
 私の先鋭化した思考に際し、混乱を招いたようで恐れ入ります。

 元々は顕正会や法華講に限らず、盲信武闘派の非常識な布教活動やテロ組織化した宗教団体をテロを起こす前に法律で規制できないものかという考えから起きた話でした。
 しかしその法律を立てるには、どうしても憲法20条が足枷になるでしょうから、そこを改憲しなくてはならないだろうと思って出した意見です。

 宗教問題はまるで腫れ物に触るかのようにデリケート扱いされ、結局対応が後手後手になってしまって、彼らの暴走を食い止められずに被害が出る。
 そこがおかしいという問題提起でした。

 私も自分が生きている間に広宣流布が来るとは思っていません。
 しかし、賽の河原地獄のような石積み布教をしているようでは架け橋になるとも思っていません。
 賽の河原でせっかく積んだ石を崩しにやってくる鬼とは、“ユタと愉快な仲間たち”シリーズのゲストキャラ、蓬莱山鬼之助でもなければ、積んだ本人でもない。
 周りで同じく石積みをしている罪人に他ならないからなのです。
 しかし、誰もその罪人を罰しようとしない。

 この事実に気がつかない限り、広宣流布は絶対に来ない。
 気づいても、その賽の河原自体をどうにかしないとやっぱり来ない。
 私はその無限ループからの脱出を選択しました。

 現在、“大魔道師の弟子”は主人公達が大石寺に向かっている最中です。
 特に大石寺を貶めたりすることなく、純粋に登山の楽しさを表現したいと思っているだけです。

 でも人によっては、それすらNGなんですよね。
 困ったものです。
 「法に依って、人に依らざれ」とは言いますが、どんな紹介者と出会い、どんな支部に所属し、どんな地区や班に配属されるかでほぼその人の信仰は決定してしまう。
 それが現実です。
 私の場合は2度もその環境に恵まれることはなかった。

 正証寺みたいな所に所属したかった、という愚痴ですね。
 自分が紹介者だったら、取りあえず、事あるごとに飲みに誘うかな。
 別に、酒を酌み交わしながら信心の話をしちゃいけないってこともないだろう。
 でも、やっぱり法華講組織によってはそれもダメって所があるみたいだね。
 そんな窮屈な信仰、どこが楽しいのやら……。
コメント
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