北海道の札幌に行くと、碁盤の目のような整然とした街路、取り分け「大通公園」の規模に圧倒されるのではなかろうか?
これは明治初期の市街図によれば東西に延びた「火防線」であり、それと垂直に南北に堀(大友堀・現在の創成川)が掘削されている。現在の市街区は、これに基づいて東西南北が定められているのが解る。
大友亀太郎(おおどもかめたろう、1834年 - 1897年)は、その基礎を作った人物と言える。Wikipedia より引用しますと、大友亀太郎は、江戸時代末期から明治時代初期にかけ、北海道の開拓に貢献した相模国(現在の神奈川県)出身の幕臣。二宮尊徳の門下生の一人としても知られ、札幌市の中心部に現在の創成川のもととなる、「大友堀」を掘るなど、用水路や橋梁をはじめとする土地の開発に尽力した。札幌村の土台を作り上げたその業績から、「開拓の祖」と称されることがある。⇒札幌村郷土記念館
私は大友宅の近くで育ち、当時使用された測量器具を見た事があります。現代からすると非常にチャチで、良くやれたものだと感心した事を覚えています。写真は大友亀太郎の墓です。
これは明治初期の市街図によれば東西に延びた「火防線」であり、それと垂直に南北に堀(大友堀・現在の創成川)が掘削されている。現在の市街区は、これに基づいて東西南北が定められているのが解る。
大友亀太郎(おおどもかめたろう、1834年 - 1897年)は、その基礎を作った人物と言える。Wikipedia より引用しますと、大友亀太郎は、江戸時代末期から明治時代初期にかけ、北海道の開拓に貢献した相模国(現在の神奈川県)出身の幕臣。二宮尊徳の門下生の一人としても知られ、札幌市の中心部に現在の創成川のもととなる、「大友堀」を掘るなど、用水路や橋梁をはじめとする土地の開発に尽力した。札幌村の土台を作り上げたその業績から、「開拓の祖」と称されることがある。⇒札幌村郷土記念館
私は大友宅の近くで育ち、当時使用された測量器具を見た事があります。現代からすると非常にチャチで、良くやれたものだと感心した事を覚えています。写真は大友亀太郎の墓です。