健康食品№1 「小田原名産 精選白梅干」

「医者を殺すにゃ刃物は要らぬ。一日一粒の梅干があればいい」との諺があります。梅干で健康を得たい方の為のページ。

Japan Seminar Congress 2018

2018-08-07 16:17:26 | Weblog

 8月4・5日に幕張メッセ(千葉県)で、スティーブ・ウォズニアック
(Apple創業者)、ランディー・ザッカ―バーグ(Facebook創業者)、
J・スキナー氏等の講演が聴けるセミナーを申し込んでいました。

 あいにく4日は体調を崩し出席出来ませんでしたが、5日は参加しま
した。スティーブ・ウォズニアック氏の登壇はこの日で、スティーブ
・ジョブズ氏との関係等アップル社創業当時の話を聴くことが出来ま
した。

 ウォズニアック氏はApple社の創業者の一人で、世界のパーソナルコ
ンピューター市場を作った人。以下、ウィキペディアからの引用を踏
まえて説明します。

・1971年ヒューレット・パッカードの夏季インターンシップで働いて
 いた時、スティーブ・ジョブズ氏と知り合う。容姿・性格も正反対
 であったが、すぐ意気投合する。

・1973年大学(カリフォルニア大バークレー校)を休学し、ヒューレ
 ット・パッカードに入社。電卓設計を担当する。

・ジョブズの依頼で、汎用ロジックICの数を半減させる。アタリ(ジ
 ョブズの就業先)の「ブレイクアウト」に必要だった。賞金700ドル
 を二分する。実際の賞金は5000ドルだった。350ドルでも、ICの数を
 半減できたことで、満足だった。

・1976年3月最初のプロト機(AppleⅠ)が完成
 ヒューレット・パッカードの上司に商品化を持ちかけるが断られる。
 アタリに商品化を持ちかけるが断られる。
 自分たちで売り出す決意をする。

・1976年11月マイク・マクラ―氏がアップルに加わり、10万ドル投資。
 バンク・オブ・アメリカから信用貸付を受ける。
 三人はアップルコンピューターを法人化した。

・アップルに注力する為にヒューレット・パッカードを退社。
 AppleⅠの再設計。AppleⅡの完成。爆発的に売れる。価格1298ドル。

・1980年IPO (株式公開)。
 自分の持ち株から社員に株を分配する。

・1985年2月アップルを退社。
 再び、カリフォルニア大バークレー校に入り、1985年6月電子工学の
 学位を取得。

 アップルを退社されたのは、組織が大きくなって自分の思い通りに行
かなくなったからなのでしょう。ジョブズはマーケッターだったと話さ
れた。社名アップルの由来は「親しみ易かったから。アップルパイも人
気食。」とのこと。技術者として本物と言う印象を強く受けた。
小田原梅干し
写真は会場の幕張メッセ国際展示場です。
コメント
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