たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

新宿から中央線で行く、国宝松本城に登りました

2020-02-18 11:08:49 | 国内旅行

たにしの爺、パソコン、スマホ学習のPC友が居まして、
知的(痴呆でない)好奇高齢者つながりでお付き合いさせてもらっています。

その彼と年に2回ほど温泉旅と街旅に出かけます。
今回は諏訪湖畔の宿に泊まって、
松本城と諏訪大社を拝見してきました。

前回は土産に買った諏訪の銘菓「新鶴の塩羊羹」で、
ぐちゃぐちゃ書き散らしました。
今回は2時間余りで回った松本城体感記です。



朝10時半、新宿駅9番ホームで彼と会い、
11時ちょうどの「あずさ11号」に乗りました。
「駅ネットキップ」で50%割引松本まで3300円です。
車内は空いていました。

大月、甲府、小淵沢までは何回か乗りましたが、
「あずさ」で松本までは久しぶりです。

この時期、中央線に乗る楽しみは冠雪の山脈です。
甲府を過ぎて韮崎辺りになると、
左側の車窓に南アルプスの山々がずーっと見えます。

手前に鳳凰山、甲斐駒ヶ岳の豪快な山容が、
雪を冠って白く光っています。
左奥には日本第2の高峰北岳や仙丈ケ岳など、
雪をいただく日本有数の高山の頂上が望めました。

幸い晴れていて、左側窓席だったので、
中央線車窓旅を楽しむことが出来ました。
進行右側には八ヶ岳連峰、蓼科山が見えているはずです。
隣り席の彼はスマホ操作に余念がないようです。

13時25分「あずさ11号」は松本駅に滑り込みました。
改札を出た前にある「観光案内所」に寄り、
市街マップとお城までの歩行ルート、
「3時までに戻れますか」聞きました。





15分ほどで行けるでしょうと言うことで、
駅前から直進、教えられた通り「深志2」で左折し、
本町通りをキョロキョロしないでお城まで一直線。





内濠の縁に立つと、インスタ映えのビューポイントです。
濠越しに黒っぽい六層の国宝城の威容が目に入ります。
入場料700円也を払って、黒門から前庭に入ります。





歴代城主の名入りの額が掛かっていました。
国宝松本城について、パンフからコア部分を引用します。





戦うための黒い堅固な天主と、
平和な時代になって造られた優雅な辰巳附櫓・月見櫓。
現存する日本最古の五重天主ふさわしい風格。
数々の優れた築城技術を今に伝えています。



松本城天主・渡櫓・乾小天守は、秀吉の家臣であった、
石川数正・康長親子により戦国時代末期1593~84にかけて、
築城されたと考えられている。
現存する五重六階の木造天守としては日本最古。



最上階の天主6階まで、高さ29.4m登りました。
各階の梯子は急こう配で狭く。途中からは交互通行です。



登る人降りる人の順番待ち、段の高さがばらばらで、
係員が付きっきりで注意を促しています。
手摺にしがみ付いて横這い状態で上り下りです。
係員が言うには「今日は参観者が少ない」けど、
多いときは長い列になるという。



欧米の観光人が日本人より目立ちますが、
皆さん静かに順番待ちしています。
お隣の国の甲高い喧騒会話が聞こえず良かったです。



昔の侍は偉かった。鎧を付けたり鉄砲を持って、
日常的に、あの階段を上り下りしていたのだから。



各階にはいろいろな展示物がありましたが、
火縄銃から始まって鉄砲類が多くありました。
鉄製の長い銃身や、ビー玉の大きさの鉄の玉。



発砲時の反動や重量を考えたら、武器として、
戦場でどれだけ殺傷力があったのか疑問です。



16日放送の「麒麟が来る」で言っていましたが、
戦国時代始まりの鉄砲は、弓矢や刀による戦より、
鉄砲を向けられた恐怖が先立ったのでしょう。



ところで現在国宝とされる城郭は5城です。
姫路城、彦根城、松本城、犬山城、松江城。
松本、犬山、松江の3城を体験しました。





急いで松本駅に戻り3時16分発上り上諏訪駅行きに乗り、
諏訪湖畔の宿に向かいました。



上諏訪駅のホームには「温泉足湯」があることは、
良く知られていますが、3人ほど入っていました。

下諏訪の新鶴本店の塩羊羹

2020-02-16 10:25:15 | 国内旅行

長らく更新が滞っていました。
早春の麦畑で農作業をして居ると音楽室から聞こえてくる、
春立つ気配を歌った「早春賦」の想いを綴ってから、
気が付けば10日以上経っていました。

国宝松本城と諏訪大社に行ってきました。
新鶴本店の「塩羊羹」を土産に買いました。

松本城は後にして始めに「塩羊羹」の話をします。
「諏訪大社の御柱」は超有名で知らない人は居ません。
たにしの爺的には、諏訪と言えば「塩羊羹」と「小口さん」です。



現役時代に勤めていた部に諏訪出身の女性が居ました。
彼女、帰省すると偶に箱入りの「塩羊羹」を土産にくれました。
同僚には内緒で、私にだけ手渡してくれました。

「美味しかった??」と聞かれますが、
当時は、それほど美味しいとも、感動もなく、
あまりいい返事をしていなかった記憶になっています。

普通に知っている甘いあんこ羊羹とは違っていて、
塩味の「芋羊羹」とも思っていました。
私の返事に、彼女は少し、不満そうな表情をしていました。

それというのも、箱の中に切れ目もなく詰まっていて、
付いている木のへらで切り取り、頂くのですが、
頂いているうちに甘さより、塩味が口に残るようになって、
そのことを話すと、一度に全部食べなくてもいいのだという。



それ以来、諏訪の銘菓「塩羊羹」が記憶に残るようになりました。
その後、中央高速道利用のバスツアーで諏訪湖SAで休憩した際には、
「塩羊羹」を土産に買ったり、同行者らに講釈していました。

今回の旅で下諏訪駅の観光案内所の方から、
観光コースや見どころを親切に詳しく、
地図上に記や線を引いて説明してくれました。

現地案内所で生で聞く街角情報は、
ネットで見ている観光地図では分からない、
土地の街の空気が伝わる情報だと知りました。


案内所の係員から頂いた和田峠産の黒曜石の矢じり

土産に「塩羊羹」を買いたいと話したところ、
地図上に赤丸を付けて、ここがいいですと、
教えてくれた店が秋宮の近く「新鶴本店」でした。

諏訪大社下社秋宮の近くにありました。
レトロ感一杯、昭和初期の頃の2階建て木造店舗。
布製の日差しと暖簾が下がっていました。

店頭には和菓子も色々とありましたが、
試食用に小分けされた塩羊羹を味わっていると、
秋宮で法被を着てガイドをしていたおじさんが、
十数人の観光客を引き連れ、入ってきて、
「試食させてもらえる」と言うのでした。

お店の女性が「はい、どうぞと」試食品を追加しました。
観光客らが楊枝で突っつきます。
「しょっぱいや」と言う男の観光客に、
たにしの爺、知ったかぶりの蘊蓄を一くさり、
「知っている人は知っている、知らない人は知らない」
これぞ諏訪の銘菓で有名な「塩羊羹」だと教えました。

試食したご一行の中で2,3のご婦人が。
和菓子など買っているようでした。
爺も同行人ともにお土産に塩羊羹(小 950円)を購入しました。

駅の近くに戻ってきて、お土産屋さんに入りました。
いろいろなサイズや包装された「塩羊羹」が、
半値近くの値段で山積み並んでいました。
同行人曰く「何だ、ここで買えばよかった」と。

土産店の女性曰く「それとは違うんです」と、
新鶴のマークの入った袋を指差すのでした。
観光土産店や高速道路のSAで売られている、
「塩羊羹」は日持ちする「塩羊羹」なんです。

新鶴本店の「塩羊羹」は本店でしか買えない。
明治6年創業、羊羹に塩味を加えることを試み、
小豆、寒天、砂糖と塩のなじみ具合に工夫しながら、
手作り一筋に続いている「新鶴の塩羊羹」。



家に帰って、同居人にも供しました。
最初口に入れたときは塩味を感じますが、
徐々に塩味が甘味に変わり口中に広がります。
とても上品な味で、お茶を含むと一層美味しくなります。

普通のあんこの羊羹のように大きな切れ目でなく、
小片に分けて味わいながらいただくのがいいようです。
塩の風味が甘く口内に残って味わ深い羊羹ですね。

諏訪大社に行かれたら、ぜひ、
一本お買い求めることをお勧めします。
950円の小で十分です。
箱入りを買っても多分、食べ残すでしょう。



銘菓は少々頂くことで記憶が深まります。
欲しくなったら、もう一度、訪ねましょう。

ずいぶん「塩羊羹」談義が長くなってしまいました。
「小口さん」については、書く気力が無くなりました。
「星さん」と言えば「会津地方」に多い姓のように、
「小口さん」と言えば諏訪地方の出身者に多いということで、
定年後の職場にも「小口さん」がいて、
かつての職場にも諏訪出の人が居たということです。

松本、諏訪は新宿から中央線で行く。
上田、長野は上野から信越線で行く。

成田山新勝寺の表参道で出会ったネズミとネコ

2020-01-16 20:54:44 | 国内旅行

成田山新勝寺に詣でて「交通安全」のお守りを、
授かってきたことを前回に続いて書いています。
表玄関として荘厳な総欅造りの総門が見事です。



表参道の道端には「十二支」の石像が配置されています。
今年は「子年」ですね。
そこで一枚パチリと撮ってきました。



「ねずみ」が居れば、ネコですね。
「川豊」以上に人だかりがしている、
ウナギ屋さんの店頭がありました。



この人気は何だ、と分け入ってみると、
サングラスの白ネコちゃんが横になっている。
置物ではないです、動いています。



表参道の途中に「猿回し」の大道芸がありましたが、
完全に「グラサン猫」が人気を集めています。



「新勝寺の節分」は毎年、
大勢の人気者が年男で豆まきをするので話題になっています。
今年も大相撲から白鵬、遠藤、御嶽海の力士ら、
NHK大河から光秀役の長谷川博己さんら、
凄いメンバーが告示されています。



参詣客でにぎわう成田山新勝寺・表参道から、
令和2年の境内周辺の光景写真を並べました。









交通安全祈願のお礼参りに、今年も成田山新勝寺を詣でました

2020-01-15 19:47:58 | 国内旅行

成田山新勝寺さんへの交通安全祈願詣では、
「たにしの爺」新年の恒例になっています。



15日の小正月前の14日に行って参ることが出来ました。
例年は7日までには行って来るのですが、令和2年は、
同居人の都合で14日になってしまいました。



464号線、いわゆる千葉北道路が成田山まで通じていたので、
快適に走って約1時間で新勝寺の取付け道路に入りました。



松の内も過ぎて14日にもなると、
境内は比較的空いていました。



1年間お世話になった「交通安全」のお守りを返納し、
新しいお守りと交換(購入2,000円)しました。

返納と言えば「高齢者の運転免許証」ですね。
「たにしの爺」4月には82歳になります。
まさに「免許証返納適齢期」ですよね。



表参道に出てきました。
成田山詣でと言えばウナギと川魚が有名です。
JR、京成の成田駅から800m続く表参道には、
沢山のお店が有ります。グルメ、漬物、甘味処。



お寺の周りには約60店のウナギの店があると言われます。
ひときわ賑わっているのが「川豊(かわとよ)本店」で、
店頭では、まな板の上でウナギを割く光景が見られます。



超人気で行列して整理券を発行をしています。
店内の奥までに順番待ちのお客さんでひしめいています。
宿場宿風の木造の建物は、どこか昔懐かしい雰囲気です。



隣にも、向かいにもウナギ屋さんがあるのです。
そちら様の方は待たなくてもウナギにありつけるのに、
値段もお得なようなのに、何故なんでしょうね。
成田山には「川豊」という「ウナギ神話」がある??。

たにしの爺もやはり、ご贔屓は「川豊」さんで、
成田山に行くと頂くのが恒例になっています。



爺がいつも行くのは「川豊西口店」の方です。
JR成田駅から徒歩10分弱で、本店ほど混んでいません。、
食事処もいろいろあって、ゆったり頂けます。



いつものように財布にやさしい「うな重」と、
今年は「鯉こく」をオーダーしました。
ウナギの身が少し薄くなったかなー、
なんて思いましたが、まあ、満足する美味しさでした。



ウナギ店のメニューをパチパチ撮ってきました。
正直言って「ウナギって、どうして高価」なんでしょうね。





表参道には川魚の店も多いです、
コイ、フナ、小魚など、印旛沼の魚なのかな??
養殖魚が多いと聞いています。



それと「羊羹」の老舗が競っていますね。
柳家本店、米分本店、なごみ米屋総本店



中高年は胡瓜の鉄砲漬けなど漬物屋さん。
お煎餅屋さんが若者には人気のようです。

<次回も成田詣での記事です>
「うなぎ」以上に人だかりしている店がありました。
次回にアップします。

秩父・三峯神社に行ってきました

2019-11-07 17:29:24 | 国内旅行

一度は詣でてみたいと念じていました。
埼玉県秩父市三峰にある三峯神社です。
年少時から記憶の奥にある神社でした。



信州の生家のお棚には毎歳末、三峯神社のお札が、
挙がっていた記憶があったような気をしています。



紅葉の名所としても知られていますね。
好天気が続きそうなので出かけました。



地図で見るとはるかに遠いです。
埼玉県の奥、甲斐に近いですね。
乗換案内で調べたら意外に近い。



池袋駅から西武特急で西武秩父駅まで80分。
駅前から急行バスに乗り換えて90分ですね。
秩父湖辺りからは紅葉が始まっていました。



駅にあった案内パンフレットによると、……
標高1,100mの神域、頬をつたう風の中に、
たちこめる霧の中に、新しい出会いがある…



三峯神社のお話として、
今から1900年ほど昔、日本武尊が国の平和をお祈りし、
国産みの神様をお祭りしたのが始まりです。
尊を導いた山犬(オオカミ)がお使いの神です。



境内にオオカミの像が多く見られました。
日本武尊の大きな銅像も立っていました。



修験道の道場として信仰が最も広まったのは鎌倉時代からで、
江戸時代になると隆盛を極め三峯講が全国に広がったという。



秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社で、
神域の入り口で三つ並んだ鳥居が出迎えてくれる。





隋神門からの参道には石灯籠が立ち並び、
青銅の鳥居があり、くぐって石段を上がる。





樹齢800年という杉の巨木がありました。
両手をあてがい、パワーを注入していただきました。



拝殿がありその奥に本殿が配されています。
両脇には祖霊社、社務所、斎館など配され、
厳粛な気配に満ちていました。





日本武尊の大きな銅像の前を通り遥拝殿に上がりました。
眼前が大きく開かれ下界が一望できました。
遠くに奥宮が見られるとありましたが、
よく分かりませんでした。





宏大な境内です奥宮まで行くには1時間30分かかるという。



いろいろな建物もありましたが急いでバス停に戻りました。



バスで到着したのが11時20分、境内を散策したのが約1時間。
バス停に戻ったのが12時40分、バスに乗ったのが13時30分。



来るときは、バスに途中駅の秩父鉄道の三峰口で乗ったので、
座れなくて、大きなカーブの連続で右左に身体ごと振られて、
必死につかまって、立ちっぱなしで70分余、死ぬ思いでした。



帰りは何が何でも座る覚悟で一番に並びました。
運転手さんの隣り席で、眼前に移り変わる、
秋の夕日に染まる紅葉風景を見ながら下山しました。



西武特急の最新車両に乗って池袋着16時44分。
はるかに遠いと思っていた三峰神社は、意外に近かったが、
バスの揺れには81歳の爺には、いささか堪えました。



三峯神社公式サイト



鎌倉・鶴岡八幡宮では「流鏑馬神事」が開催されていました

2019-10-12 14:07:52 | 国内旅行

鎌倉・高徳院で大仏様を拝して、
長谷寺ではお花に癒されたあと、
鎌倉駅に戻って若宮大路を通り、
鶴岡八幡宮への参道になります。





三の鳥居を過ぎ太鼓橋まで来ると、
本宮までの参道が遮断されています。





これから(1時)流鏑馬が行われるから、
本殿へ行かれる方は迂回いして下さいという。
見回すと参道の廻りは幾重もの人垣になっています。







迂回して本殿に向かうか、流鏑馬見学に立ち止まるか、
迷いましたが、生の流鏑馬が見られるならと、
人垣の中に入り込みました。



本殿、舞殿の方で神事を行っている様子です。
放送マイクを通して聞こえますが見えません。
カメラを高く掲げ背伸びしながら、パチパチしていました。



その内に馬場入りの騎乗武士が見えるようになりました。
流鏑馬で走る馬場が目に前を横切っていて、
行ったり来たりしています。



放送インフォメーションによると、
スタート地点を馬場元、ゴール地点を馬場末ということです。



馬場の長さは約255メートルだという。
その他、いろいろな説明が日本語と英語で30分以上続きました。



立っている場所から見える範囲は20メートルほどで、
3カ所あるという的は視界にありません。



50分ほど立ち続けて待ちました。
始まりました「一の的的中」「二の的的中」
声が響きますが見えません。





疾走する騎馬武者の姿が視界に入りました。
シャッターを押しました。
騎乗武者は写っていません。



3人の騎乗武者が走り抜けましたが、
カメラには写っていませんでした。
持参カメラのシャッター速度より、
流鏑馬の武者の方が早いということですね。



1時間近く辛抱して待ち続けましたが、
的を射るところも見ることが出来ませんでした。
偶然出会った鎌倉八幡宮の流鏑馬神事の生現場でした。



帰宅してからWEBで検索してみました。
この日(10月6日)に行われた流鏑馬は、
9月に行なわれた例大祭のあと開催する、
槐の会の「崇敬者大祭」でした。



「槐の会(えんじゅのかい)」は鶴岡八幡宮の外郭団体で、
八幡宮が継承してきた精神文化を象徴する「流鏑馬神事」を、
国際交流の一環として、在日大使館の関係者や子弟を招待、
騎乗武者、稚児さんなどになって執り行うものでした。
見物席も招待外国人で埋まっていました。





以下の一枚は鎌倉ガイドのページから拝借しました。
1時間も立ち尽くした「たにしの爺」81歳に免じて、
面倒なことは言わないでおきましょう。



太鼓橋から撮った「平家池」の蓮池です。



思いがけずに「鎌倉時代の騎馬武者絵巻」の、
片鱗を見物できた鎌倉の休日でした。

鎌倉高徳院・ススキ揺れて大仏様、花の長谷寺に吾亦紅

2019-10-11 11:37:08 | 国内旅行

令和元年10月神無月、秋天の一日、鎌倉に行きました。
鎌倉五山は紅葉には、まだ早すぎる季節です。
それでも秋の花草は、露座の大仏様を彩っていました。





高徳院に鎮座する国宝銅造阿弥陀如来坐像「大仏様」
秋空にすくっと座すお姿の、
気高くもあり、なんとお美しいこと。
秋草の「ススキ揺れ」仰ぎ見る御仏に合掌しました。



鎌倉や 御仏なれど釈迦牟尼は
美男におはす 夏木立かな(与謝野晶子)


与謝野晶子の歌碑

この後、長谷寺に回りました。





「紫陽花の長谷観音」で知られていますが、
四季を通して花木の彩り絶えない「花浄土」で、
境内の散策路(坂)は秋草で賑わっていました。



山門脇の拝観者の入場門からすぐ前の池。
隅に吾亦紅・ワレモコウが目に入りました。
長谷寺に来たら一番、見たかった花です。



道野辺の「たにしの爺」の徘徊路にも、
以前は見かけた花ですが、
近ごろは見られなくなっています。





観音堂までの参詣路を上がる両脇は花木の道でした。、





フジバカマ、萩、ミズヒキ、ムラサキシキブ
シュウカイドウ、シュウメイギ、スイフヨウ、
ホトトギスなど花を咲かせていました。





日曜日とあって、高徳院と長谷寺をつなぐ道は、
外国人も多く賑わっていました。

この後、鎌倉鶴岡八幡宮に回りました。
なんと「流鏑馬」の儀式が行われていました。
次回はその詳報をアップします。

徳島県鳴門市にある「大塚国際美術館」に行ってきました

2019-05-17 14:12:46 | 国内旅行

去年の大晦日、NHK紅白歌合戦で、
シンガーソングライター米津玄師の歌が中継された舞台、
徳島県鳴門市の淡路にある「大塚国際美術館」の目玉、
システィーナ礼拝堂天井画が完全再現された巨大ホールが、
正面玄関から長いエスカレーターを上り詰めた先にあった。





紅白のテレビで見た圧巻の巨大壁画
「システィーナ・ホール」が眼前に広がっていた。
上の階からもより近くに見ることが出来ました。





この美術館、山を切り拓いて正面玄関は地下3階に有る。
地上2階の構造建築を再び埋め直して山に戻したのだという。





世界の名画1000点余りの陶板名画が展示され、
「モナ・リザ」「最後の晩餐」「ゲルニカ」など、
世界の名画がオリジナル状態の姿で見ることができました。





大塚製薬グループが創業75周年事業として、
1998年(平成10年)に開館した美術館で、
西洋名画等をオリジナルと同じ大きさに複製し、
展示する陶板名画美術館である。



陶板名画とは、陶器の大きな板に原画に忠実な色彩、
大きさで作品を再現したもの。
製作工程を解説する展示室もありました。



鑑賞ルートすべてを回ると、
地下3Fから地上2Fまで約4kmになるという。
滞在時間4時間、来日した際、生で本物を見た作品を中心に、
勝手に動き回ったので疲れ果てました。
写真も撮り放題でした。
それにしても「ボンカレー」の大塚製薬グループは凄いことをやったもんだ。



平成最後の師走、富士山への道

2018-12-30 10:17:31 | 国内旅行

ブログ更新の締めは、
世界遺産・富士山への道にしました。
すっきりくっきり晴れ晴れと、
徘徊たにしの爺を迎えてくれました。





バスの最前席で見るお富士山は、
正面に来たり、左へ行ったり、右に来たり、
忙しくシャッターを押しましたが、
ちゃんと納まったのは数枚でした。





毎日このような、
富士山を仰ぎながら暮らす。
どのような気持ちなんでしょうか。





至近のホテルに到着しました。
その神々しさに圧倒され、
ただ仰ぎ見て崇敬の感懐に浸るのみでした。





この一年、たにしのブログをご贔屓下さった
雨曇子様、ニュータウンの佳人さま。
ありがとうございました。





また、キーワード検索で訪れた、
多くの来訪者には、
お読みいただきありがとうございました。



それでは、みな様、良いお年をお迎えください。

印旛龍伝説の頭・古刹「龍角寺」への道

2018-12-03 17:44:39 | 国内旅行

印旛郡栄町の古墳群が点在する「風土記の丘」
県立・体験博物館「房総のむら」があります。
時節ごとに訪れる「癒しの丘」でもあります。



少し離れたところに龍伝説の龍角寺があります。
資料館の脇から「白鳳の道」を通っていきます。



右側は松林などの樹木の林が広がります。
房総のむら復元竪穴住居などもあります。
左側の空間には古墳群が点在しています。



そのまま進むと石ころ砂利の曲がり坂道、
左右は葛が繁茂して山になっていました。
成田安食バイパス道路の下をくぐります。



伸び放題、倒れ放題の樹木で薄暗く、
ちょっと不気味な小径を辿ります。



右手には倒木の中に古池が見られます。
通る人も居なくて湿った寂しい道です。



左手は浅間山古墳の雑木林でうす暗く、
石段のある浅間神社や八坂神社もあり、
一軒農家があって畑に野菜もあります。



左側に数軒の農家集落があって、
大きく開けた十字路に出ました。
バス停などもあって広場でした。



そのまま道を進んで集落に入りました。
昼下がり、静かです。人は誰もいません。



植木や庭を拝見しながら歩くと、
突き当りに龍角寺がありました。



すごく古く、廃寺の如き佇まいです。
大きな銀杏の木が立っていました。



龍角寺の歴史は古く、千葉県屈指の古刹で、
伝説に満ちています。龍の頭の落ちた処に、
一夜のうちに出現されたとされています。



709年この地域が干ばつに見舞われたとき、
印旛沼の小龍が天に昇って雨を降らせた。
罰を受けた龍の体は3つに割けて地上に落ちてきた。

3つに分かれた龍の頭の部分をこの寺に祀り、
「龍角寺」と改称したという伝承が残っている。



史料によりますと、
龍角寺は、和銅2年(709年)に竜女化来し、
一夜のうちに諸堂(金堂、塔)を建立した、
と伝えられています。



関東地方でも最も古い寺院の一つだという。
本尊の薬師如来坐像は白鳳仏として貴重なもので、
国指定重要文化財に指定されているという。



境内には大小の礎石が残っているばかりで、
龍角寺の伽藍を忍ばせる史跡だと言えます。



三重塔の礎石は「不増・不滅の石」ともよばれ、
孔にたまった水は大雨でも日照りでも、
増減しないと言われている。



誰もいない古寺の庭には「ホトトギス」の、
花株が咲き乱れていました。



資料館では企画展「正月を迎える」が開催中でした。
千葉房総地方の「お正月」の注連飾りや食べ物、
年頭の行事・風景の模様など展示されていました。
三が日には、いろいろお正月行事が体験できるようです。





晩秋の裏磐梯 桧原湖畔と五色沼自然探勝路を歩く<下>

2018-11-19 12:06:06 | 国内旅行

晩秋の裏磐梯に行ったことについて最終回は、
落ち紅葉に彩られた桧原湖畔探勝路に続いて、
五色沼自然探勝路を歩いたこと書いてみます。

●五色沼を巡る自然探勝路を行く

桧原湖畔探勝路の終わりに近づき、
広い国道に出ました。右手に船着き場がありました。



国道は車の往来も結構激しく、探勝路の出口としては味気ないです。
歩けども歩けども何もない。この道を往くしかないはずですが、
不安になり、戻ってみたり、大きなカーブを右往左往して、
ようやく五色沼入り口の裏磐梯物産館に着きました。



いろいろ見たり、買ったり、食べたかったが、
そんなことより、とにかく休みたかった。
時計は12時15分、拾ってくれるバスの時間は1時50分。
残り1時間30分ほどだ。





途中の休憩やカメラタイムは省略しようということで、
10分休んで、五色沼最初の「柳沼」の前に出ました。





続いて13分ほどで「青沼」です。
すぐに「るり沼」が出現しました。



さらに数分ほどで「弁天沼」でした。
薄曇りで水面のきらめきはなくとも、きれいな湖面でした。







路は幾分下り気味ですが、岩がごつごつ露出していて、
歩きにくいです。それに疲れた足には下りは、
登よりつらいです。膝が笑うってやつですな。



さらに歩くこと20分ほどで「深泥沼」「赤沼」を経て、
五色沼最大の「毘沙門沼」の展望できる高台に出ました。



「毘沙門沼」は5沼の中で唯一ボートもあるようでした。
バスの時間まであと30分、どうやら間に合いそうです。
歩行を弛めて「ビジターセンター」を目指しました。



ガイドマップの注釈によりますと「五色沼」は、
3・6キロ、徒歩約1時間とあります。
水面が色映りする秘密は、
湧出する鉱泉の浮遊物質と太陽光線の関係で、
湖によって色合いが異なるのだとあります。



今回私たちは湖面の色合いを十分眺めたりする余裕もなく、
急ぎ通り抜けたという感じでした。
写真もあまり撮れなくて、お日様もなく残念でした。



磐梯山の姿もすっきり見ることが出来ませんでした。
「もう一度来いよ」という、
裏磐梯のささやきを聞きながら1時30分、
ビジターセンターに到着でした。



休暇村を出たのが9時30分、4時間歩き続けました。
「ビジターセンター」脇から迎いのバスに乗り、
「猪苗代」の駅に向かいました。
長々と、お疲れさんでした。



晩秋の裏磐梯 桧原湖畔と五色沼自然探勝路を歩く<中>

2018-11-16 13:10:50 | 国内旅行

裏磐梯に行ったことを書いています。
2回目は、休暇村裏磐梯に泊った朝のことから始めます。
まず5時半、朝風呂に浸かりました。足先から頭の先まで洗い流して、
「こがねの湯」でゆったり、朝から、ほっこり。

●スタッフと朝の散歩会に参加しました

7時にロビーに集合。参加者は9人ほどでした。
ガイドスタッフが付けている「クマ除けの鈴」が、
カラコロと高原の朝の空気に響きます。



休暇村の近くにも出没するそうです。広い敷地を歩きながら、
地形の解説や磐梯山の噴火による裏磐梯の成り立ちなど、
聞きながら曽原湖岸まで往復しました。



参加しないで寝ていたら聞くことのできなかった、
貴重な裏磐梯の知識でした。
もし、休暇村に泊まることがあったら参加をお勧めします。



散歩会の後はそのまま朝食会場へ。
美味しいモーニングディナーになりました。
この後、最後の入浴タイム。都合4回浸かりました。

●桧原湖畔の東側を巡る探勝路を行く

9時30分、サイトステーション前のから、
桧原湖畔探勝湖3・4キロの歩きに出発しました。





入り組んだ桧原湖の岸に沿った起伏に富んだ径。
最初の入り口付近は車も通る砂利道でしたが、
コースのほとんどは簡易舗装されていて歩きやすい。





足元は散り紅葉に彩られ、重なる葉の弾力もあり、
鮮やかなジュータンの上を踏んでいるようなところもありました。





目線を上げれば枝先に残っている紅葉や赤い実。
葉が落ちて視界が開けた先に檜原湖の水面が輝いています。
吊り橋まで来ました。





この付近は特に檜原湖の岸が複雑に入り込んで、
きれいな景観で記憶に残る探勝ステージでした。
吊り橋は11月20日から閉鎖され通り抜けできなくなります。





探勝路全体についていえば、高低はあまりなく歩きやすく、
小雨でしたが濡れるほどではなく、樹々の間に陽が差しました。





落ち葉がが敷き詰められて踏みしめる音や風の音など、
この時期ならではのいい時間を楽しみました。





ただ、途中にはワカサギ釣りの営業所やキャンプ場。
使われなくなったバンガローが放置されていて、
リゾート開発の残骸がかなり目につきました。
折角の景観が汚され、残念なことです。


<未完>

晩秋の裏磐梯 桧原湖畔と五色沼自然探勝路を歩く<上>

2018-11-14 09:47:45 | 国内旅行

2018年11月8、9日にPC友と2人、裏磐梯の晩秋の道を歩いてきました。
天気予報では曇と雨のはずでしたが、二人とも「晴れ男」のパワーを発揮して、
幸いにも晴れ間の多い2日間でした。
往路は交通費を節約して、5回乗り換え4時間55分のお楽しみでした。

●在来線を乗り継いで猪苗代駅まで4時間55分

松戸駅を7時24分の快速、久しぶりの朝の常磐線。
通勤時間帯と重なって超満員。上野駅着7時44分。

上野駅発7時57分の宇都宮行き快速ラビット6番線。
1時間30分乗車し宇都宮駅7番ホームに9時27分着。
8番ホームから9時31分発の黒磯行きに乗り換え。





乗車50分、黒磯駅10時21分着、車内は空いている。
黒磯駅10時26分発東北本線新白河行きに乗り換え。



乗車24分、晴れ、新白河駅10時50分着。
新白河駅10:53発、郡山行きに乗り換え。



乗車39分、11時32分に郡山駅に到着です。通過したことはありますが下車は初めて。
駅前通りをぶらぶらウォッチングをして、親子丼とうどん「増量」セットのランチ。
どちらも味もよく美味しくて満足でした。





磐越西線・郡山駅発13時48分、会津若松行き快速に乗車。
盛りを過ぎたとはいえ紅葉シーズン、車内は満席状態で、
なんとか2人分の席を確保することが出来ました。ホッ?



猪苗代駅着14時23分。初めて降りた野口英世生誕の地です。
改札脇にモニュメントの写真撮影スポットが出来ています。



今宵の宿とした休暇村裏磐梯お迎えのバスが待っていました。
雨はなく、周囲の山々の紅葉が午後の夕日に染まって美しい。
走ること30分。標高が上がるにつれ紅葉が茶色になり始めた。

●静寂な空間に「休暇村裏磐梯」は建っていた



「休暇村裏磐梯」は磐梯朝日国立公園内にあって、
廻りには何もない高原の中に位置していました。
11月末には雪が降る冬を迎える気配が感じます。



早速、荷物を部屋に放り込んで散策に出かけました。
周囲に裏磐梯湖沼群の池がいくつも点在しています。







レンゲ沼、中瀬沼、乙女沼の探勝路を歩き、山影も濃く陽が落ち始めた残照の中を行く、
整備された木道には落ち葉が敷き詰められ、少し残っている紅葉と湖沼の照りが魅せる。







夕食は会津の地酒付き裏磐梯四季のバイキング。
選べる地酒は「写楽」と「ゆり」を選択しました。
会津漆器の片口器で注ぎ飲み比べて酔い心地良し。
会津の郷土料理や美味しい小料理を楽しみました。



鉄分を含む茶色の自家源泉露天「こがねの湯」は、
程よい温度で、ホカホカと、長湯になってしまう。
しとしと雨に濡れる晩秋の裏磐梯の初日でした。
<未完>

御宿駅の次は鵜原駅で降りて絶壁の海を見ました

2017-09-17 14:55:41 | 国内旅行

青春18きっぷの残り一日分を消化するために、
外房を回ってきたことを記録しています。
前回は御宿海岸で初めて見聞した「ライフセービング」について、
実際のレスキューを想定した技術を競うスポーツとして、
大学のライフセーバー選手権大会が開かれていることを知りました。



御宿駅から、外房観光の有名地の勝浦をスルーして下車したのは「鵜原駅」
ホームに降りたのは若い男性二人連れと私だけでした。
無人駅でトイレも閉鎖しています。
私が行ってみたかったのは「鵜原理想郷」というところです。



観光案内図で確認して歩きだしました。二人連れも後を歩いてきます。
トンネルを出た後、標識に沿って右折しましたが、
(帰ってから調べてみたら、ここで曲がったのが遠回りの道だったようです)
彼ら二人は直進して「勝浦海中公園」の標識方向に行った。
「理想郷」への上がり口が分からず鵜原漁港まで行ったしまった。



事務所に行って案内図をコピーしてもらい、
少し戻って旅館の脇を上がると、いきなり小さな暗いトンネル。
足元を注意しながらトンネルを出ると、
旅館の裏庭みたいところに出ました。
道はそこしかないので、見通しのない細道を上がっていきました。
分かりにくい案内標識に従い歩くと突然、視界が開けました。



手弱女平(たおやめだいら)という標識のある突き出た岩平にでました。
浸食されて絶壁が海から突き上がっています。
すぐ前には「ひとつやま」と言われる切立った岩島。
眼前に大海原が広がり勝浦海中公園の「海中展望塔」が見えます。
「鐘付き」モニュメントがありましたので、
一人でチンチンと鳴らしました。
乾いた音は風に乗って海原に消えていきました。



地形は野球のグローブの指先のようになっていて指先が崖の岬で、
出たり引っ込んだりしながら、毛戸岬(けどみさき)、白鳳岬(はくほうみさき)、
黄昏の丘(たそがれのおか)に立って鵜原湾見ていると、
海の向こうのビルの間を外房線の電車が走っていくのが見えました。



黄昏の丘から階段と坂道を下り、トンネルを抜けると「鵜原海岸」に出ました。
ここから駅に戻る道が分からない。12時過ぎているお腹が空いてきた。
やむなく海岸に沿って歩き出しました。
10分ほど歩き釣りをしている人に聞きました。
ほとんど人を見かけない住宅地を歩いていくと、
「勝浦海中公園」への標識に出会いました。



「はて、この標識に記憶があるぞ」そうだ、午前、
電車を降りた「若者の二人」行った方向だ。
昼飯にありつけるには「勝浦海中公園」に行くしかない、
「早く休みたかった」が近くには何もない。
トンネルなど15分ほど歩いて着きました。



博物館は休館。誰もいない。
「海中展望台」の前のレストランに入る、
入れ違いに一組の客が出ていった。
客は私一人。ビールと刺身御膳を注文しました。
まずビールで一人乾杯「疲れたー、ビールが美味い」



駅に戻って13時40分の電車に乗る。ホームに居たのは私だけ。
上総興津、行川アイランド、安房小湊、安房天津、安房鴨川。
鴨川では街歩きをしようと思ったが、館山行きがすぐに出るので、
駅からは出ないでビールと焼イカを買って、進行方向左側の席につく。
太海、江見、和田浦、南三原、千歳、千倉、九重と、
岩や岩山の続く海岸を見ながら館山駅につきました。



次の千葉行きは16時17分。待ち時間が80分ほどありましたす。
歩いて15分ほどの「海の駅」に行きましたが、
疲れが増えただけでした。歩数計は2万歩を超えています。
こんなところで行き倒れになったら「どうするの」なんて、
考えながら館山駅に戻りつきました。



電車は君津、木更津あたりを過ぎてくると通勤客が増え始め、
千葉駅では通勤ラッシュの最中でした。
ホームの反対に着いた「君津行き」は満員状態です。
働く皆さん、本当にお疲れさんです。
最近、たにしの爺の心境は、働いて所得税が徴収され、その上、
年金保険を負担してくださるサラリーマンに感謝しています。



所得税と厚生年金の財源は働く皆さんの給与です。
そのおかげで、爺のような年金生活者が生きて行けます。
将来にわたって現行の年金制度が維持されるためには、
所得税と社会保険料を負担できる働き手が増えることです。

どこかで日帰り温泉でも楽しんでこようと思い出かけた、
房総半島一回りでしたが、乗り疲れたというのが実感です。



★鵜原理想郷(勝浦市観光協会)鵜原駅から徒歩約7分。
リアス式海岸が続く明神岬一帯。大正初期にここを別荘地とする計画があり、
「理想郷」と呼ばれるようになった。
静かな入り江の彼方に青い海が広がり、散策するには格好の景勝地です。

童謡の「月の砂漠」の御宿海岸に行ってきました

2017-09-11 14:46:20 | 国内旅行

外房の御宿町は同じ千葉に住んでいる爺の居住地から、
対角線で結んでも一番遠いところ。
わざわざ行く用事は、これまで全くない。

♪♪月の砂漠を はるばると
♪♪旅のらくだが 行きました
……………………………♪♪

この童謡を知らない人はいないでしょう。
哀調と寂寥を感じさせるメロディーは、
日本人に愛されています。
たにしの爺の心風景にも共鳴します。



これまで行く気にならなかったのは不思議です。
今回、青春18きっぷ一日分の使い残りを活用。
房総半島を一回りしました。
朝7時30分に家を出て、帰宅は夜7時30分。
正直言って、とにかく乗り疲れしました。



最初の下車駅は外房線・御宿駅着9時29分。
学生らしき男女の集団が大勢降りました。
ホームの跨線橋から「中央国際高等学校」の看板も見えたので、
アジアからの留学生かなと思っていました。



観光案内所から広場に戻ってみると、
学生らの姿は居なくなっていました。
駅前通りを地図を見ながら歩くこと十数分。



通りには「伊勢えび祭り」の幟が立ち並んでいます。
お寿司屋さんや割烹店が何軒か目に入ります。
朝の10時前とあって、どこも店は閉まっています。
地元の人らしき人も見かけません。



教えられた「大野荘」の四つ角を右に回ると、
目の前に広い砂浜の海岸が目に入りました。
そして、ありました二人の像が。
♪♪先のくらには 王子さま
♪♪あとのくらには お姫さま



ラクダの脇には水着姿の男女が集まっていました。
ズボンを下ろしながら水着を付けている女性もいます。
像を撮るのにカメラを向けるには躊躇してしまいます。
ブログに張った写真は露出度の少ないものです。



海岸に目を向けるとサーフボードと、
素晴らしい体形の男女のグループが固まっています。
聞いてみました。

インカレに向けた大学サーフライフセービングクラブの強化合宿だという。
今日は二つの大学が集まっているという。
高波が押し寄せる海に向かって泳ぎ出すグループ。
サーフボードを抱えて波にすくわれる。



カメラを抱えて砂浜を歩くと、感触心地よく、
自分の足あとがくっきりと残って、
サラサラと寄ってくるさざ波が消していく。
若者たちの歓声が波の音に交じる。

初めての御宿の浜は大きな波と、
砕けたさざ波がサラサラと足元に伸びてくる。
白い砂浜とカラフルな若者たちの景勝地でした。



食べそこなった伊勢エビを食べにいつか再訪してみたい。
それにしても伊勢エビを食べるには覚悟がいるようです。
観光案内所でもらったお店の案内によれば、
3,600円から5,000円のメニューばかりだった。

御宿の後、勝浦を通過して鵜原駅で降りました。