たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

8月最後の31日・天神峠から谷川岳を見てきました

2017-09-02 16:33:30 | 国内旅行

31日、船橋駅発快速07:42→東京駅着08:08。
東京ライン・高崎アーバン08:26発、高崎10:12着。
水上駅行きJR上越線10:24、水上駅着11:28。
ロープウエイ駅行き11:35、土合口駅11:58.
谷川岳ロープウエイで天神平、峠リフトを乗り継ぎ、12:28分天神峠着。





なんと東京駅から4時間弱で1500メートルの天空の世界に到達。
天神峠の展望は青空が広がり視界良好です。





武尊山、皇海山、赤城、子持山。
尾瀬方面を見れば笠ヶ岳、朝日岳、至仏山、笠ヶ岳。
360度の大パノラマが展開されます。



20日過ぎから水上方面の天気予報には敏感になっていました。
曇りないし雨の予報が続いていました。
台風15号まで発生しています。



朝、家を出るとき傘をさして最寄りの駅まで行きました。
東京駅7番ホームでは雨が吹き込んでいました。
高崎、渋川、沼田駅を通過しました。
依然と雲が多く日は差していません。
水上駅に着いた頃には、なんと青空が見えてきました。



ロープウエィで空中遊覧になると、周囲の山がくっきりと広がっていました。
天神峠に立つと谷川岳の岩貌が眼前に迫ります。
天神尾根をしばらく辿りましたが、雨上がりの岩場がきつきなり、
今日の予定ではないので引き返しました。



このまま進めば避難小屋、天狗の岩、肩ノ小屋、トマノ耳、オキノ耳と、
谷川岳双耳峰です。往復5時間30分と記されています。
展望の良い岩場で同行者とビールで乾杯。
思わず二人とも「うめー」ビールの味が360度広がりました。



峠からの下山はリフトを使わず歩きで降りました。
すでに盛りは過ぎていましたが、周辺はお花畑でした。
ところどころ鮮やかな花が見られましたが、
下り勾配がかなりなもので、写真を撮っている余裕がありませんでした。





土合口に戻ったのは2時40分、55分の上毛高原駅行きのバスに間に合いました。
本日のお宿・松乃井に入ったのは3時20分。
翌朝10時の出発まで、温泉三昧の至福の時間を過ごしました。



那須温泉元湯「鹿の湯」に立ち寄り入浴しました

2017-06-29 13:24:35 | 国内旅行

半月も前のことになりますが、
那須の空気を吸ってきました。

小中が同学年で昭和29年に卒業し、関東に住んでいる5人組。
他にも大勢居ますが、なぜか声が掛かり易い男3人、女性2人。
6月14日、黒磯駅に2時集合ということで連絡が入りました。



宇都宮に住んでいる大学教授退官の彼の車に同乗して、
同行者の子息がオーナーのペンションに向かいました。
那珂川に架かる那須大橋を渡りサファリパークを通過。



全く静寂な森の中に佇む一軒家。
前庭に芝生が広がっていました。
森の向こうに空が空いています。



5人揃って早朝の散歩は至福の時間でした。
美味しい空気と朝食の後、最初のコースは、
那須開拓の先覚を為した旧青木家那須別邸。



那須高原には青木家別邸のほか、明治の元勲、財閥ら別邸があります。
山県有朋、乃木希典、大山巌、松方正義らの名が案内書に載っている。
青木別邸のある道の駅、明治の森・黒磯でひと時の休憩を取りました。



この後、那須ロープウェイに向かいました。
空は晴れ上がって、青空になってきました。
上がっていくうちに視界は真っ白になった。

ロープウェイ駅に着いて見ると、
ゴンドラが霧の中に消えて行き、
霧の中から現われて降りてくる。



那須岳の頂上を見ることなく下山開始。
途中にある観光名所・殺生石を散策して、
那須温泉元湯「鹿の湯」に立ち寄り入浴。




すばらしい源泉の立ち寄り湯でした。
41、42、43、44、46、48度の湯壷があり、
硫黄を豊富に含んだ強い酸性の泉質。

入浴の心得を守ってくださいと注意書き。
かぶり湯、半身浴、入浴時間は3分以内。
入ったり出たり、43℃まで挑戦しました。

上がって休んでいましたら「倒れた人がいます」との叫び声。
係りの人が飛んでいきました。同行の一人がまだ出てこない、
それっと、行ってみたら別人。彼は46℃のに片足入れていた。



このあと、レストハウスで昼食、
有名チーズケーキハウスで休憩、
黒磯駅に着いたのは3時30分。

宇都宮、大宮、武蔵野線で西船橋。
帰宅は7時30分、行きも帰りも、
普通列車4時間の那須紀行でした。

伊豆半島を回ってきました⑤――伊豆・海から石廊崎の絶景と堂ヶ島の荒飛沫

2017-06-22 12:18:22 | 国内旅行

伊豆旅行をしてきたことを記録しています。
今回は最終回として石廊崎と堂ヶ島の絶景です。



これまで石廊崎までは行ったことがなく、
一度は石廊崎の灯台を巡ってみたいと思っていました。



日本列島、太平洋に突き出た岬は絶景です。
これまで、室戸岬、足摺岬、潮岬、伊良子岬、
房総半島の野島崎、犬吠埼などには足跡があります。



伊豆半島の石廊崎は機会がありませんでしたが、
今回の旅では、海上から訪れることができました。



ところで、この文を綴っていて気が付いたことがあります。
――岬と――崎の違いは何だろうということです。
――埼と――崎の違いもあります。



北海道は宗谷岬、知床岬、納沙布岬、襟裳岬など。
九州、四国、紀伊半島、知多半島は――岬となって、
本州東日本は――崎と崎となっている。なぜ???



石廊崎遊覧船に乗りました。
かなりの大波が来ていました。
写真を撮るので、看板に立っていたのですが、
ジェットコースターに乗っている感じでした。



伊豆七島が数えられました。
揺れるのと、遠くの島影でしたので、
写真に収めることはできませんでした。



ちなみに伊豆七島とは、
大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島の島群です。
石廊崎灯台はくっきり海から見ることが出来ました。



この付近では過日、アメリカのイージス艦と
フィリピン船籍の貨物船が衝突するという悲惨事もありました。



伊豆半島を横断して堂ヶ島に回りました。
風が強く遊覧船は欠航していました。
絶景「天窓洞」には行くことができませんでした。



堂ヶ島公園の岩場に立って、
打ち寄せては、10メートルを超える波飛沫に、
しばし見とれていました。



いま日本近海には米艦船の航空母艦やイージス艦、
それに海上自衛隊の護衛艦が航行しています。
領土拡大をもくろむパワー大国に接している日本。
どのような海図を引けるのでしょうか。



これにて今回の旅シリーズは打ち止めにします。
来ていただいた、ブロガーの皆さんには、
浅薄な記事を綴って、お目を汚したことをお詫びします。



伊豆半島を回ってきました①――立ち寄り先の花です
伊豆半島を回ってきました②――弓ヶ浜の渚が目の前・休暇村「南伊豆」
伊豆半島を回ってきました③――城山公園・紫陽花の道から見た下田港
伊豆半島を回ってきました④――伊豆下田・歴史に街並みぺリーロード

伊豆半島を回ってきました④――伊豆下田・歴史の街並みぺリーロード

2017-06-21 09:54:42 | 国内旅行

伊豆旅行をしてきたことを、短く綴っています。
今回は下田港の歴史の町筋・ペリーロードを歩いたことです。
城山公園から降りて、向かい側の海辺には、
ペリー提督の上陸地点のモニュメントがありました。



幕末、アメリカから黒船が来航した歴史的地点ですね。
開国の歴史がここから始まった訳ですな。



この地点から始まるのが、ペリーロードと呼ばれる小径になります。
幕末、黒船に乗ってやってきたペリー提督が上陸して歩いた道だという。



アメリカの開国使節・ペリー提督が歩いたとされるペリーロードは、
平滑川沿いに柳並木と石畳の道で、レトロな街並みが連なっています。



川の石垣と黒地に白い碁盤目が斜めに交差した模様の「なまこ壁」の家並み。





突き当りが開国の舞台となったお寺の了仙寺。案内によると
「ペリー提督一行は了仙寺で日米和親条約付属下田条約を結ぶことになった」とあります。







了仙寺の門前、境内にはアメリカジャスミンの白と紫の花が咲き、
甘い香りを漂わせていました。



お吉が乗っていたとされる「おかご」が天井に吊るされ、
残されていました。



黒船開国博物館。
さまざまな開国の歴史的資料が展示されています。
次回は石廊崎、堂ヶ島の絶景を記します。

伊豆半島を回ってきました③――城山公園・紫陽花の道から見た下田港

2017-06-19 09:48:34 | 国内旅行

6月始めに旅して、立ち寄った観光地の点景を並べています。
下田については咲き始めた紫陽花とブーゲンビリアについて、
すでにアップしています。





今回は下田港を一望できる下田公園・紫陽花の道から見えた下田港です。
こんもり緑に覆われた小さな下田富士がかわいいですね。





城山公園や下田港の歴史については触れません。
ちらほら咲き始めた紫陽花の山道を登りながら、
眼前の下に開けて見えた風景を撮ったものを並べました。





下田の歴史をしのびながら初めての徘徊の道。
樹間から見下ろす港の景観は素晴らしいものでした。



山を下りて歴史の街並み・ペリーロードに向かいました。



次回にアップします。

伊豆半島を回ってきました②――弓ヶ浜の渚が目の前・休暇村「南伊豆」

2017-06-13 17:57:56 | 国内旅行

休暇村・南伊豆で潮騒の音を聞き、露天風呂につかりました。
目の前は白砂の広がるロングビーチに波が打ち寄せていました。
日本の渚・百選の弓ヶ浜の全景が目に入るオーシャンビューのホテル。



部屋からは渚まで1分。松の木越しに白波の浜がみえる。



朝は5時にひと風呂浴びて、6時から渚を一時間徘徊しました。
ほとんど独り占め状態です。チョウー、いい気分でした。





ホテルの道の向こうにある海鮮食堂、
青木さざえ店は下田に行ったらここでランチといわれている。
話題のお店だそうです。



今回はランチは堂ヶ島に予約していたので入りませんでした。
顔出しは、しない主義ですがアリバイ証明です。



♪明日はいらない、ああ伊豆の雨、とか♪♪伊豆の夜雨を 湯船で聞けば~
など演歌では、伊豆といえば雨が似合うようですが、
「訳なしのご仁」には、やはり晴天の方がいいようですな。

伊豆半島を回ってきました①――立ち寄り先の花です

2017-06-08 12:05:16 | 国内旅行

旅ルート、時系列には関係なく、「立ち撮り」スポットを並べました。



下田港を見下ろす「あじさい公園」に登りました。
あじさいは下田市の花に指定されています。



一日からあじさい祭が始まっていましたが、
少し開花最盛期には早かったようです。
ペリーロードの川べりにも咲いていました。



川べりの一軒のお店の壁にブーゲンビリアの木が育てられ、
真っ赤な見事なブーゲンビリアの花に彩られていました。



石廊崎へ向かう途中にアロエセンターがあって、
そこにもブーゲンビリアの花棚がありました。



了仙寺の境内には、アメリカジャスミンの香りに満ちていました。
満開時は5月半ばということで、花の色が変容していました。



しばらくブログ更新が滞っていました。
六本木と乃木坂に行った美術館の鑑賞記録の方が、
時系列的には先なのですが、
とりあえず伊豆の花で穴埋めしました。

奥飛騨の2月旅情④―ー雪の平湯街道からの雪山を仰いで

2017-03-15 19:42:55 | 国内旅行

白川郷など奥飛騨を回ってきた記録の続きです。
最終回は高山から平湯への雪山を仰ぐ道です。



たにしの爺には30年くらい前、中部本社勤務の4年間があります。
岐阜市までは行くこともありましたが、奥飛騨まで行ったのは、
新穂高から、西穂高独標まで家族で登ったくらいでした。





そのころまだ小学生だった子どもが、企業は違っても、
親子二代で中部圏勤務を経験する。
そこへ親が遊びに行くのも何かの因縁ですかね。



2月の下旬でしたが、雪に埋もれた山間地の集落には、
人の気配が感じられませんでした。



奥飛騨の2月旅情③―ー雪の奥飛騨・高山の街並みを歩く

2017-03-13 15:36:38 | 国内旅行

白川郷など奥飛騨を回ってきた記録の続きです。
高山市内も短い時間でしたが見て回りました。
「小京都」と言われる趣のある街並みが人気です。





宮川にかかる赤い欄干の「中橋」からスタートしました・
上三之町・上二之町・上一之町の筋を「さんまち通り」と呼ばれ、
観光の定番スポットで知られている辺りを徘徊しました。





出格子の連なる軒下にはさまざまな特産品が並び、
造り酒屋には杉の葉を玉が下がり、
大戸や老舗の暖簾が軒をつらねています。





たにしの爺、一番目についたのは作り酒の店舗でした。
入ってみて、いろいろな銘酒を見てきました。
自分へのお土産には「飛騨高山」の銘酒を一本買ってきました。

 



駄菓子屋や伝統工芸のお店が並び、
名物の「みたらしだんご」の屋台が出ていました。









宮川の朝市にも行ってみました。
飛騨の郷土の守り玩具「さるぼぼ」手作りのおばあさんから、
お土産に2,3点買い求めてきました。



4月14日、15日には赤い「中橋」に絢爛なる「祭屋台」が集まり、
「春の高山祭」が華やかに開かれることでしょう。
その頃になると、里の雪は消えているのでしょう。

奥飛騨の2月旅情②―ー雪の白川郷・国指定重要文化財の和田家

2017-03-12 10:59:13 | 国内旅行

白川郷など奥飛騨を回ってきた記録の続きです。
ユネスコ世界遺産の白川郷は雪の中にありました。



屋内に入り、内部を見学できる屋敷が何軒かあります。
白川村に残された合掌造りの家屋としては最も規模が大きく、
築後約300年が経過した今も生活が営まれ続けている、
国指定重要文化財の和田家に入ってみました。





主屋は3階の大形合掌造りで、1階と2階が公開されています。
入ると目の前が居間になっていて、囲炉裏が切ってあります。
奥には仏間や客間が続いています。





2階に上がってみました。
急な木梯子を上ると、広い空間が飛び込んできます。
当家が営んでいた養蚕の道具なども置いてありました。



この広い空間いっぱいに、蚕棚が幾重にも広がり、
養蚕が営まれていた光景が目に浮かびます。
急な梯子から餌になる桑枝を上げたのも大変だったでしょう。


たにしの爺 信州・出自の実家でも、
糸へん景気のころ養蚕をやっていました。大変懐かしく、
繭づくりの道具などを60年ぶりに目にしました。
蚕室や居間にまで蚕棚ができて四六時中、
蚕さんが桑を食む「さくさく」の音がよみがえりました。



3階部分の屋根裏がのぞけます。(トップの写真)
釘を使わない縄と黒光りする木組みの大きな空間になっています。
300年近い歳月と暮らしの重みが封じ込まれたように迫ります。



郷の脇には庄川が流れていて、いくつかの橋が架かっています。
土産屋の主人が言っているように、
白川郷には、四季ごとに訪ねる美しさがありそうですね。



白川郷の風景には、永遠の未来があるのでしょう。

奥飛騨の2月旅情①―ー雪の白川郷・ライトアップ飛騨の里

2017-03-10 18:44:11 | 国内旅行

久しぶりに旅ものの記事になりました。
岐阜に赴任している三男夫婦が4月の異動で、
横浜に戻ってくるというので、彼らの居る間にと思い2月の末に、
平湯、白川郷、高山市、下呂温泉など奥飛騨を回ってきました。
とりあえず旅のメインになった白川郷のスケッチをアップします。





ユネスコ世界遺産の白川郷は、まだ雪の中にありました。
邨中のメイン道路の雪はかたづけられていましたが、
合掌造りの茅葺の屋根には斑に雪が積もっていました。



土産物のご主人曰く、
「田植えの終わった6月こそが白川郷が美しい季節だよ。」
「その頃、もう一度来なさいよ」と。



冬の雪景色の白川郷がテレビで何度も見せられましたが、
田植えシーズンが白川郷の「一番美しい季節」だと知りました。
皆さん、どうぞ行ってみてください。





ライトアップされた飛騨の里にも回りました。
雪化粧した合掌集落が幻想的に照らし出されます。





この季節だけの飛騨の里をご覧ください。

家内安全・交通安全を願って成田山新勝寺詣で

2017-01-07 10:27:19 | 国内旅行

たにしの爺、新年恒例の成田山詣でに行ってきました。
三が日の大混雑を避けて7日に行くのが例年でしたが、
今年は7日から連休になるので、6日にしました。



参道直近の駐車場にもすんなりは入れました。
境内の善男善女もほどほどでした。
昨年は2回も入院することになりましたが、
大事に至らず済んだ事を報告して、今年の息災を祈願しました。
例年通りの「交通安全」のお札をいただきました。



参道に戻って、これもまた例年通り、JR成田駅を抜けて、
うなぎの川豊西口店で一休みしました。
再び成田駅を通り抜けて参道に戻りました。



これもまた、例年通りに参道の蔵元「長命泉」の甘酒を立ち飲みしながら、
ぶらぶら両側のお店を覗いて歩きます。
千葉名産のピーナツ、漬物・鉄砲漬け、ヨウカン、川魚、
そしてうなぎの食事どころが多いです。



今年もまた無事、成田山詣でを済ませることができました。
家内安全・無病息災が叶いますよう。

ヨコスカに行った。海軍カレーを食した

2016-12-14 19:52:58 | 国内旅行

奇跡的に風もなく、晴れ上がった12月8日(例の日ですね)、
公民館サークルの企画で「横須賀軍港めぐり」に行ってきました。
日米海上軍事戦略の主要基地である「ヨコスカ」に、
たにしの爺、上陸したのは初めてです。



ランチは定番の「海軍カレー」で決まりですね。
乗船桟橋の脇に「海軍カレー」の幟が出ていた、
「シャトレーゼ ショッパーズプラザ横須賀」の2階に上がりました。

オーダーすると「ハイ、1,200円です」
「まあ、ヨコスカご当地の銘柄」だからと納得して、
「コーヒー付くの」と問うと、
「海軍カレー」には牛乳が付き物ですという。



席に付くと、軍港の豆知識や俯瞰図のイラスト入りの、
紙製のランチョンマットを持ってきて、
お持ちくださっていいですという。
牛乳とサラダの前菜で出てきました。



しばらくして四角い皿にカレーの中央にご飯が乗った、
「海軍カレー」が運ばれてきました。
「えっ、チョッと少なめじゃない」これで、
乗艦水兵さんたちのお腹を満たせるのかなー、
なんて言いながら頂きはじめました。





「食レポ」になる決め手はありませんが、
辛くもなく甘くもなく、マイルドでした。
美味しくいただきました。



1階にはケーキ、お菓子、海上自衛隊にちなむ、
ミニチュアグッズやカレーパックがお土産として並んでいます。
窓の向こうは「軍港めぐり」の乗船桟橋です。



ランチョンマットの案内によると、
大日本帝国海軍に由来を持つ「海軍カレー」には、
必ず使用する材料や副食にはサラダと牛乳を付けるルールがあって、
賞品審査会による認定を受けた店舗だけが提供できると記されています。

また、長く航海している隊員が曜日感覚を忘れないように、
毎週の金曜日の昼食はカレーに決まっているのだという。



海上自衛隊で食されているカレーは、
各艦艇・部署ごとに先任者から秘伝レシピが伝えられていて、
作られるカレーは艦艇・部署ごとに異なっているという。
潜水艦のカレーが一番、美味しいと、ガイドさんの説明でした。
お土産どころには艦名別に缶入りカレーが売られていました。



寄港していた空母「ロナルド・レーガン」などみて、
約50分の軍港めぐりのあと、
日露戦争、連合艦隊の旗艦「三笠」記念艦に回って、
日本海大海戦の戦歴や記念品を見て来ました。
詳細は後日、フォトチャンネルでアップする予定です。

山陰の旅―最終回は出雲大社で締めましょう

2016-07-25 18:20:09 | 国内旅行

6月に実施しました「山陰の旅」視察記録のアップ。
島根県の上がりは出雲大社の参拝とします。
出雲大社は縁結びの神様でもあり、
日本有数のパワースポットとされています。





ところで、最新のニュースとしては、
このパワースポットには「ポケモン」の侵入は許可されません。
「ポケモンGO」の境内での使用は禁止となりました。
出雲大社は、厳粛な雰囲気に影響が出るのを避けたいとしています。
「ポケモン」を追って、スマホを見ながらゾンビみたいに「ふらフラ」と、
出雲大社に限らず何処にでも、侵入していいはずがありません。





出雲大社参拝は今回で2回目になります(20年くらい前のことです)。
出雲大社の御祭神は大国主大神です。
その昔、大国主大神が天照大神に国を譲り、
その時に造営されたのが出雲大社と言われています
日本最古の歴史書「古事記」にも記されています。





平成25年10月に「平成の大遷宮」本殿遷座祭が行われて、
御祭神の大国主大神が修造された本殿に戻ってきました。
出雲大社のシンボルは神楽殿にかけられている大注連縄です。
旅番組のテレビでもよく映ることがありますね。
長さは約13m、重さはなんと4.5トンもありと説明されました。





神楽殿で昇殿祈祷を受け、お神酒をいただきました。
そのあと、拝殿にて二礼四拍手一礼のお参りをして、
全体像がよく見えないように出来ている本殿を拝み、
瑞垣を左回りしながら、本殿の裏に回って、
十九社や素鵞社の社殿を拝しました。





中でも真裏にある素鵞社が最大のパワースポットだと言うことでした。
国主大神の親神で、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトが祀られているからです。





それから、御本殿西側から再度お参りすることだと教えていただきました。
と言うのは、本殿は南向きですが、
神様は西向きに鎮座されているので神様の正面、
西側からのお参りをして下さいということでした。





高円宮家の典子さまが嫁がれた出雲大社権宮司・千家国麿さん、
広壮なお屋敷が境内から駐車場に戻る道筋にありました。



今回、山陰を視察した目的の一番は廣島によることでした。
アメリカの現職大統領であるオバマ大統領が被爆地・ヒロシマを訪れ、
慰霊碑に花を手向け、瞑目の時間とともに、
感懐のメッセージを世界に発信し、持参したオリズルを残していきました。
そのオリズルをこの目で見たいと思ったわけです。
その意味については個人的な感懐になりますので記しません。

広島での記録は、既にアップしてあります。

この視察旅行を通じて思ったことは、
京都から山口までの山陰本線の全線を各駅停車で乗り継ぎたい。
しまなみ海道をチャリで渡ることが出来ることを知りました。
多分、実現はしないでしょう。

山陰の旅・まとめて山口県―萩城下町、松蔭神社、津和野の街歩き

2016-07-21 14:17:04 | 国内旅行

ブログ・アップをサボっていますが、
山陰の旅について記録しています。
島根寄りの山口県側の観光地を視察しました。
日本列島の西の端にあって、たにしの爺にとっては、山口はあまり縁のない県でした。
これまで上空を飛んだり、新幹線で通過したことはありますが、歩いたの初めてです。



長州・山口県は近代日本の礎になった明治維新胎動の地であり、
日本の国づくりに活躍された偉人・元勲の生誕地でもあり、
戦後歴代総理大臣を一番多く輩出した郷土ですね。



敬意を表してまず「萩城下町」に第一歩を下ろしました。
木戸孝允旧宅、高杉晋作の誕生地などが並ぶ一角。



江戸屋横丁、伊勢屋横丁、菊屋横丁、呉服町すじを巡り、
重文の菊屋家住宅を見回りました。



当時の萩の通商・商いを一手に取り仕切った豪商の、
繁盛振りを今に残る佇まいに「ホー、ッツ」と言うばかりでした。

次に萩焼の工房にも立ち寄りました。
高価な芸術品からお土産品の湯飲みまで作品を鑑賞して、





記念に湯飲みを一点買いました。
次は長州・萩の極め「松蔭神社」です。



昭和43年(1968)明治維新100年を記念して建立され石碑、
「明治維新胎動之地」と記されています。



「親思ふこころにまさる親ごごろけふの音づれ何ときくらん」、
松陰が家族に宛てた遺書の中で詠われた、
有名な和歌が彫られています。



明治23年(1890)に吉田松陰を祀って、
私祠として建てられた神社です。
その後、何回かの改修、増築などあって、
現在の社殿は昭和30年(1955)に完成したものだという。

松陰神社の境内では、松下村塾が当時のままの姿で見られました。
近代日本の原動力となった数多くの逸材を輩出した松下村塾と、
隣接して吉田松陰幽囚ノ旧宅があります。





これらはともに「明治日本の産業革命遺産」として、
平成27年7月に世界文化遺産に登録されています。



この辺は「夏みかん」の名産地ということで、
大きな夏みかんが籠に入って売られていましたが、
生絞りの生ジュースを立ち飲みしました。
乾いた喉と食道に染み渡る爽やかさは格別でした。





同行者が傘のおみくじを引きました。快晴・大吉と出ました。
近代日本の夜明けを切り拓いた人々に敬意を表して、
大鳥居の下で一礼を捧げました。

このあと、津和野に向かいました。



SLの走るJR山口線の通る「津和野」は、
山陰の「小京都」と呼ばれる歴史の城下町として知られています。
これまで何度もテレビの旅番組や旅行雑誌やガイド本で、
津和野についてはイメージが出来上がっています。



白い土塀と掘割りを流れる清水には色とりどりの鯉が泳ぎ、
石畳の通りを若い女性グループがそぞろ歩きする光景。
明るい日差しと若い女性のお洒落れな旅装が似合う街。



そんなイメージもって、
「沙羅の木」という食事処の脇から始まる掘割りを見ました。
清流が流れていません。濁り水です。
色とりどりの鯉も何匹か泳いでいます。
かなり横幅の広がった大きな鯉です。
泳ぐというより浮かんでは沈んでいく「メタボ鯉」です。

ガイドさんいわく「雨上がりのせいもあるが」、
何年か前の台風で津和野川が溢れ、
街に洪水が流れ込んでから清流が戻っていないという。



メーンの通りになる「殿町通り」の両脇には、
教会や藩校跡、家老だった家並みが続いています。
短い時間でしたが好い街並み歩きでした。
津和野駅からは10分ちょっとの距離でした。
津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能神事の鷺舞の像はです。



駅で街のマップを見れば、行けなかったところばかり目に入りました。
このほか山口県では「瑠璃光寺」に行ったことは既に書きました。
山口市香山町にある国宝 瑠璃光寺五重塔
 最後まで、退屈なお付き合い感謝します。