たにしの爺、ブログ更新が一カ月も空いてしまいました。
確かに、関わっているボランティア団体の行事もありましたが、
晩秋から初冬への、季節の速さに置いていかれていました。
それというのも、
前回(11月23日更新)書きました「須賀敦子の著作に出会」ったことにより、
いくつかの作品を読み返していたこともあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/17/2f5f38ad23c2524db18cd5697232e5b1.jpg)
作品の一編が、一ページが、ゆき過ぎる季節の中で、
金色に輝いているイチョウに出会っているような時間に満ちていました。
須賀敦子のデビュー作は61歳の1990年「ミラノ 霧の風景」でした。
その後、63歳に「コルシア書店の仲間たち」、
そして64歳で「ヴェネツィアの宿」と続きます。
たにしの爺が最初に手にした著作は「コルシア書店の仲間たち」でした。
須賀敦子がイタリアで過ごした生活拠点であった、
コルシア・デイ・セルヴィ書店での6年余、
出会いと別れを中心に、自分と人と街を見つめて、
ご自身の精神文化の形成過程が、
静謐な文章で綴られた12編から成っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/0f/35048e06b8e938a301ea7d5b074dd3d6.jpg)
題名になっている「コルシア書店」とはどんな書店であったのか。
「街」と題された章の冒頭に綴られています。
<コルシア・デイ・セルヴィ書店。イタリア人にとってさえ、ひどく長ったらしいこの名は、じつをいうと、店のあった通りの古い名称である。「セルヴィ修道院まえの大通り」というほどの意味で、十九世紀の文豪、アレッサンドロ・マンゾ-ニの歴史小説「いいなづけ」にも出ている。そのことに気付いた仲間の知恵者、たぶんカミッロあるいはガッティが、これをそっくりもらって書店の名にしたのだった。…中略…
この通りは、ミラノの都心ではもっとも繁華な道筋のひとつで、大聖堂の後陣にあたる部分から、少し曲がって東北に伸びている。十九世紀後半に達成されたイタリア統一を記念して、「いいなづけ」に出てきたコルシア・デイ・セルヴィという街路名は棄てられ、当時の国王だったヴィットリオ・エマヌエーレ二世の名で呼ばれることになって以来、現在に至るまでその名で親しまれている。私たちの書店は、その通りのなかほどにある、セルヴィ修道院、いまのサン・カルロ教会の、いわば軒をかりたかたちで、ひっそりと店をかまえていた>
これはあくまでも書店の地図的な位置であって、
この書店が、「カトリック左派」の中心拠点として、
どのような人たちによって運営され支えられていて、
著者はどのように関わったのか……
(この項未完)