たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

須賀敦子の著作に出会う「コルシア書店の仲間たち」<5>

2011-01-23 10:21:54 | 須賀敦子の著作

「コルシア書店の仲間たち」は、須賀敦子のイタリア暮らしのスタートであり、
拠点でもあったコルシア・デイ・セルヴィ書店で出会った人びとを、30年後に回想するエッセイでもある。

そういう意味ではノンフィクションである。しかし、
一行、一章、一冊がとてもノンフィクションとは思えないほどの、
物語性と記述の巧みさで、読む者を惹きつけずにはおかない。



「テレーサおばさま、そう彼女のことを、書店の人たちは、呼んでいた」
「入り口のそばの椅子」と題された第一章の書き出しである。

反体制・左派系の集まりであった「コルシア書店」だが、
パトロンらしき人がいて成り立っていた。
ツィア・テレーサ、ミラノの名家の出であり、世界的著名な大企業の株主でもある。
須賀敦子は彼女と知り合ったことで、
イタリアの上流階級、貴族社会を垣間見ることになる。

ダヴィデ・マリア・トゥロルド神父たち「カトリック左派」のめざす共同体に集まる人たち、
書店仲間はみな貧しい人たちだった。
須賀敦子は一方、ツィア・テレーサを通して、貴族社会への窓口を持つことによって、
戸惑いながらも、イタリア暮らしが厚みを持つことになる。
しかし須賀の目線はいつも書店で出会う人たちへの、
静かで優しい眼差しが全編にわたって注がれている。



本書の終章は「ダヴィデ――あとがきにかえて」となって、
実にダヴィデへの清冽な鎮魂の文が綴られる。
そしてまた、自分自身と仲間たちへの決別と鎮魂でもある。

「二月六日、木曜日にダヴィデが死んだ。……」
……
若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。」

著者の本を読んでいて、いつも思うことで、
須賀敦子は、最後の一章が最初にあって、
そこへの帰結を静謐で透明感に満ちた言葉を積み重ねる。

そこに展開される須賀ワールドに多くの読者が、惹きつけられるのだろうか。