須賀敦子の著作を昨秋から読んでいます。
「ヴェネツィアの宿」1993年に刊行された著者3冊目64歳のときの作品です。
「コルシア書店の仲間たち」「ミラノ 霧の風景」の2冊は、
おもにイタリア在住時代の記憶を辿ったものでした。
この「ヴェネツィアの宿」は著者の幼少時代から、留学生活のいろいろ。
両親、家族にまつわる著者自身の周辺が語られています。
須賀敦子は1929年に阪神の夙川で生を受けました。
父は戦前のヨーロッパをはじめ世界を豪華客船、
オリエント急行の旅をするような、裕福な家庭に育ちます。
ミッション系の学校に通い、やがて洗礼を受ける道を歩みます。
父からヨーロッパの都市の話、港のこと、
オリエント・エクスプレスの旅のことを聞きながら成長します。
そんな父をやがて許せなくなる。
もうひとつの家庭を持つようになり母の元には帰ってこない。
須賀敦子は2回ヨーロッパ留学しました。
最初は24歳の1953年から2年間はフランスでした。
神戸港から40日の船旅でイタリアのジェノバに上陸します。
出迎えたのは須賀の将来に重要な役割を果たすことになる女性でした。
2年間のフランス留学は須賀にとって、
心穏やかなものではなかったようです。
「フランスは私に冷たかった」意味の表現が、いくつかの著書の中に登場します。
1953年のヨーロッパはまた、記録的な寒波に見舞われた年でもあったようです。
「ヴェネツィアの宿」はシンポジュウムで訪れた夜、フェニーチェ劇場近くのホテルに泊まり、
亡き父が豪華な世界旅行をした頃の家族をを思い出し、別の家族を持ち、
帰らなくなった父を許せなくなっていく自分と母の思いに浸る。
しかしそんな父は、著者にはヨーロッパの先験者でした。
本書の劇的な最終章「オリエント・エクスプレス」はじんと泣けてきます。
(この講未完)