前日泊った宿は、ペンション「美瑠」だったが、ホテル並みの客室とファミレス「Joyfull」が併設されていて、ゆったり休むことができた。
この日は一日観光の予定だ。まず最初に立ち寄ったのは、残波岬である。沖縄本島最西端の残波岬は、東シナ海に面した岬で、晴れた日には慶良間諸島まで眺望できる絶景の観光地である。公園内に入ってまず目についたのが、大きな石像だ。
この石像は、1373年琉球王朝時代に察度王(さっとおう)の御名代として、中国への初の進貢使となった読谷村出身の泰期(たいき)という人物である。読谷村の豪族だった泰期は、中国の文物を琉球に正式ルートで導入した先駆者で中国への渡航はなんと5回。船に乗ることは命がけだった時代の話だから、泰期の勇気や使命感は並大抵のものではない。そのビジネス能力とグローバルな感覚を讃え「商売の神様」として、故郷の地にこのモニュメントが建てられという事だ。
これは1990年に沖縄本島を襲った台風21号の暴風によって動かされてしまった岩だ。岩の重さは、なんと50~94トンだという。恐るべし台風の力である。
残波岬灯台は沖縄で一番高い灯台で、その高さは約31メートルある。以前は、中に入って上まで登ることができたそうだが、現在は立ち入り禁止となっていて入ることができない。
残波岬の周囲は自然のままの海岸線で、高さ約30メートルの断崖が約2キロも続いている。また、この地は昭和20年4月1日、米軍はこの岬を目印に激しい砲撃を加え上陸を開始、あの悲惨な沖縄戦が始まった地でもある。
「残波岬いこいの広場」の中で、ひときわ目を引くのがこの巨大シーサー。高さ8.75メートル、長さ7.8メートルもある日本一の特大獅子です。遠くを見据える大獅子との記念撮影が残波岬観光の定番になっているそうだ。
残波岬から次に向かったのは座喜味城跡だ。ここも「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されている。
座喜味城の築城は15世紀前半で、座喜味の北東4kmに位置する山田城の城主・護佐丸(ごさまる)が北山監守の時、山田城を取り壊してその石材を運ばせてつくらせたと伝えられている。城は主郭と二の郭からなり、外周365m、総面積7,385㎡で、沖縄の城としては中規模のものだ。
座喜味城の城門に向かう。近くに植わっているのは琉球松だ。
沖縄最古といわれるアーチ型の石造門と美しく堅牢な切石積みの城壁。
城壁の一番高いところに登ると、360度読谷村のほぼ全域を眺めることができる。
次に向かったのは、道の駅「かでな」。嘉手納空軍基地と隣り合わせにある道の駅「かでなで」の最上階に登ると、基地と共にある沖縄の日常を垣間見ることができる。嘉手納空軍基地の総面積は嘉手納町の82%を占め、3,700mの滑走路2本を有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。滑走路においては成田国際空港や関西国際空港と遜色なく、日本最大級の飛行場の一つということだ。
カメラをズームしてみると、巨大な軍用機が何機も駐機しているのが見える。
展望台に来た時には、戦闘機の離陸はなかったが、しばらくすると一気に何機も離陸が始まった。ものすごい轟音が響く。
屋上展望場から下の3階に下りると、学習展示室があり、基地と共に歩む嘉手納町の歴史や日常風景を改めて感じ入った。
北谷町(ちゃたんちょう)に入ると、アラハビーチに立ち寄る。
北谷町といえば、外国人居住者が多く、まるで海外リゾートのような雰囲気のおしゃれな街だ。アラハビーチは、全長約600mの白い砂浜が続く人口のビーチである。
白い砂浜とエメラルドグリーンの海は、まさにザ・沖縄をイメージさせる。白い砂浜に絵を描いている子供も絵になるなあ。
「2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:6日目観光後半」に続く。
この日は一日観光の予定だ。まず最初に立ち寄ったのは、残波岬である。沖縄本島最西端の残波岬は、東シナ海に面した岬で、晴れた日には慶良間諸島まで眺望できる絶景の観光地である。公園内に入ってまず目についたのが、大きな石像だ。
この石像は、1373年琉球王朝時代に察度王(さっとおう)の御名代として、中国への初の進貢使となった読谷村出身の泰期(たいき)という人物である。読谷村の豪族だった泰期は、中国の文物を琉球に正式ルートで導入した先駆者で中国への渡航はなんと5回。船に乗ることは命がけだった時代の話だから、泰期の勇気や使命感は並大抵のものではない。そのビジネス能力とグローバルな感覚を讃え「商売の神様」として、故郷の地にこのモニュメントが建てられという事だ。
これは1990年に沖縄本島を襲った台風21号の暴風によって動かされてしまった岩だ。岩の重さは、なんと50~94トンだという。恐るべし台風の力である。
残波岬灯台は沖縄で一番高い灯台で、その高さは約31メートルある。以前は、中に入って上まで登ることができたそうだが、現在は立ち入り禁止となっていて入ることができない。
残波岬の周囲は自然のままの海岸線で、高さ約30メートルの断崖が約2キロも続いている。また、この地は昭和20年4月1日、米軍はこの岬を目印に激しい砲撃を加え上陸を開始、あの悲惨な沖縄戦が始まった地でもある。
「残波岬いこいの広場」の中で、ひときわ目を引くのがこの巨大シーサー。高さ8.75メートル、長さ7.8メートルもある日本一の特大獅子です。遠くを見据える大獅子との記念撮影が残波岬観光の定番になっているそうだ。
残波岬から次に向かったのは座喜味城跡だ。ここも「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されている。
座喜味城の築城は15世紀前半で、座喜味の北東4kmに位置する山田城の城主・護佐丸(ごさまる)が北山監守の時、山田城を取り壊してその石材を運ばせてつくらせたと伝えられている。城は主郭と二の郭からなり、外周365m、総面積7,385㎡で、沖縄の城としては中規模のものだ。
座喜味城の城門に向かう。近くに植わっているのは琉球松だ。
沖縄最古といわれるアーチ型の石造門と美しく堅牢な切石積みの城壁。
城壁の一番高いところに登ると、360度読谷村のほぼ全域を眺めることができる。
次に向かったのは、道の駅「かでな」。嘉手納空軍基地と隣り合わせにある道の駅「かでなで」の最上階に登ると、基地と共にある沖縄の日常を垣間見ることができる。嘉手納空軍基地の総面積は嘉手納町の82%を占め、3,700mの滑走路2本を有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。滑走路においては成田国際空港や関西国際空港と遜色なく、日本最大級の飛行場の一つということだ。
カメラをズームしてみると、巨大な軍用機が何機も駐機しているのが見える。
展望台に来た時には、戦闘機の離陸はなかったが、しばらくすると一気に何機も離陸が始まった。ものすごい轟音が響く。
屋上展望場から下の3階に下りると、学習展示室があり、基地と共に歩む嘉手納町の歴史や日常風景を改めて感じ入った。
北谷町(ちゃたんちょう)に入ると、アラハビーチに立ち寄る。
北谷町といえば、外国人居住者が多く、まるで海外リゾートのような雰囲気のおしゃれな街だ。アラハビーチは、全長約600mの白い砂浜が続く人口のビーチである。
白い砂浜とエメラルドグリーンの海は、まさにザ・沖縄をイメージさせる。白い砂浜に絵を描いている子供も絵になるなあ。
「2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:6日目観光後半」に続く。