石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

「OPECは何処へ向かう」(連載第3回)

2007-12-08 | OPECの動向

(注)HP「中東と石油」の「OPECの部」で全文をご覧いただけます。

その3.生産枠の変遷

 12月5日にUAEのアブ・ダビで行われた第146回OPEC臨時総会では、OPEC加盟10カ国(イラクを除く)の生産枠を2,725万B/Dに据え置くことが決定された。今年になってから石油の価格が急騰する中で、前回の9月総会では50万B/Dの増産が決定されたが、その後も価格の上昇に歯止めがかからず11月20日には遂に1バレル当たり100ドル目前の99.29ドルに達した。このため市場では今回の総会で増産を予測する関係者が少なくなかった。こうして総会直前の原油価格は90ドルを割るまでになったが、OPECの増産見送りにより価格は再び90ドルを超える水準となっている。

  OPECは生産枠を据え置いた理由として、原油は市場に十分出回っており価格高騰は需給のファンダメンタルを反映したものではなく、イランをめぐる地政学的要因或いは投機マネーによるものであると主張している。国際協調を重視するサウジアラビアは増産を主張したが、その他の加盟国が現状維持を主張したため、サウジアラビアのナイミ石油相も多数意見に同調したようである。会議では来年2月1日に臨時会合を、また通常総会を3月5日にウィーンで開催することが合意され、OPECは当面市場の推移を注視する姿勢である。なお今回の会合でエクアドルの再加盟が正式に承認され、また今年1月からメンバーとなったアンゴラとの2カ国の生産枠をそれぞれ52万B/D及び190万B/Dとすることも決定された。

  OPECが加盟国の原油生産量の総枠を定め、それを各国毎に割り当てるいわゆる「quota」制度を導入したのは1982年のことであった。それまでのOPECは石油収入を極大化するため各国が結束して行動することを第一義的な目的としていた。それは国際石油会社との交渉を通じて産油国の取り分を増やし、さらには石油産業の国有化、事業参加など資源保有国としての主権を確立することであった(前章参照)。同時期に世界経済の成長により石油への依存度が増大したこともあり世界の石油市場におけるOPECの地位は揺るぎないものとなった。そしてOPECの実力は第一次(1973年)及び第二次オイルショック(1979年)によって証明されたのである。

  しかしオイルショック前にわずか2ドル程度であった石油価格が第二次オイルショック直後の1980年に40ドルにまで上昇すると(第1章参照)、さすがに81年、82年にはその反動により原油需要が減退し価格は下落し始めた。これに危機感を抱いたOPECは1982年3月の臨時総会で生産上限を1,800万B/Dとし、当時の加盟12ヶ国に対して各国毎の生産枠を割り当てたのである。これがOPECが生産割当制度を導入した最初である。

  これ以後今日に至るまで25年にわたってOPECは生産枠方式を堅持し、OPECが「生産者カルテル」と呼ばれる状況を作り出している。OPECが生産者カルテルである以上、当然のことながらそれは利潤を確保するために価格の下落を防ぐことが第一義の目的である。しかし産油国が高価格のみを追求すれば石油の需要が減退し、また石油以外の代替エネルギーの開発を促すことになる。このためOPEC自身も需給が逼迫し価格が高騰したときは増産により世界経済の秩序を維持する役割を果たしてきたのである。それはOPEC穏健派のサウジアラビアが「石油を国際問題解決のための武器としては使用しない」と再三言明している姿勢に現れている。

  上図は1982年から今年11月までの25年間のOPEC生産枠の推移を示したものである。生産枠は1989年あるいは2004年のように同年中に数回にわたり増枠されたり、あるいは2003年のように年間3回減枠されるなど、激しく変動した時期もあるが、ここでは各年末の生産枠をプロットした。またイラクについては98年4月以降生産枠の対象外となっているため図表の生産枠はイラクを除く10カ国の合計値である。

  図を見て解るとおり全般的な傾向としてOPECの生産枠はほぼ一貫して増加しており、現在は過去最高の水準にあることがわかる。即ち1982年にOPEC10カ国合計1,595万B/D(イラク及びエクアドルを含めたOPEC全体では1,800万B/D-上述)としてスタートした生産枠は、80年代後半は1500万B/Dを下回る水準で維持されたが、80年末から90年代前半のわずか4年の間に900万B/D増加して2,400万B/Dとなり、98年までほぼ一定となっている。1998年から2002年までは原油価格が激しく上下変動したため、OPECも減産から増産、更に減産と不安定な動きを繰り返した。2002年から2005年までは原油価格が上昇したためOPECの生産枠も2,700万B/D台に上がっている。しかし2005年以後は価格がさらに急騰したにもかかわらずOPECは生産枠を増加させていない。この間、IEAをはじめ先進消費国はOPECに増産を求めているが、これに対してOPECは今回の総会で示したとおり現状維持の姿勢を変えていない。

  増産に踏み切らない理由としてOPECは、(1)市場に原油は十分供給されているにもかかわらず、(2)投機資金の流入によって価格が急騰していること、(3)イラン問題など産油国をめぐる地政学的リスクがあること、などの外部的要因を指摘しているが、OPEC内部の問題として(4)生産枠の増加が原油価格崩落の引き金になるのではないかという恐れ、及び(5)サウジアラビアを中心とする穏健派と石油を政治的な武器にしようとする強硬派のイラン、ベネズエラとの対立を指摘できよう。さらに(6)生産余力を持つ国がほぼサウジアラビアに限られ、むしろインドネシアのように石油生産が低下している国すらあるため、OPECとしては生産枠を増やすことが難しくなっている事情もあると考えられる。

 (第3回完)

 (これまでの内容)

その2.過去最多の13カ国になったOPEC加盟国数

その1.どこまで上がる原油価格

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