石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

(連載)「挽歌・アラビア石油:ある中東・石油人の随想録」(3)

2013-04-07 | その他

 2013.4.7

日本一の高収益会社

 1970年代半ばのアラビア石油は日本一の高収益会社であった。日本経済新聞発表「昭和50年度日経100社ランキング」で同社は売上高43位、経常利益1位にランクされた。1973(昭和48年)の第4次中東戦争でそれまで2ドル程度だった原油価格が10ドルへと5倍近く値上がりしていた(第一次オイルショック)。その一方、原油は地下の油田の圧力で自墳しており生産原価はオイルショック前後で殆ど変っていないのだからコストは低いままである。従って原油価格が上がれば経常利益も膨らむという寸法である。

 因みに石油精製販売業日本一の日本石油の場合は売上こそ4位であったが、経常利益104位とアラビア石油の後塵を拝している。つまり石油産業では原油生産こそ利益の源泉であり、精製販売業は利幅が薄い。前者は「川上部門」、後者は「川下部門」と呼ばれており、収益面では「川上」が「川下」を圧倒している。これは当時も今も変わりはなく、アラビア石油は日本石油よりも高収益会社だったのである。

 しかし経常利益が日本一だからと言って税引き利益も日本一といううまい話にはならない。その年の同社の税引き利益の順位は105位であった。超過利潤をサウジアラビア政府に召し上げられるからである。1960年にOPEC(石油輸出国機構)が結成されて以降それまで世界の石油業界を牛耳っていた「セブン・シスターズ」或いは「メジャーズ」と呼ばれる国際石油会社と産油国の力関係が大きく変わった。それは1973年の第4次中東戦争でアラブ産油国が石油を武器として発動、米欧日の先進国に揺さぶりをかける「オイルショック(第一次)」を引き起こしたことでピークに達した。この時あわてふためいた日本政府は三木副総理(当時)を政府特使として中東8カ国に派遣、日本がイスラエルに加担することはなくアラブの盟友であると申し開きを行い石油の対日禁輸を漸く解除してもらった。知られざるエピソードではあるが、この時アラビア石油は三木特使とサウジアラビア政府首脳との会談の橋渡しを行ったのである。1959(昭和34)年に操業を開始して以来十数年にわたり築き上げてきたサウジアラビア政府との信頼関係があったればこそであろう。

 オイルショックは日本全体として見れば大きなマイナスであったが、民間石油企業であるアラビア石油にとってプラスであったことは間違いない。それまで殆ど知られていなかったアラビア石油の名前が「日本一の高収益会社」として世間に認知されたこともその一つである。なおこの年の売上高No.1は新日本製鉄であり税引き利益日本一はトヨタ自動車であった。特にトヨタは売上高、経常利益もそれぞれ3位、2位という超優良企業だった。同社はその後現在まで40年近くの間、売上、利益のトップ企業であり続けている。それに比べほんの一時期とはいえトップ企業ともてはやされたアラビア石油は40年後に消えていこうとしている。盛者必衰の理ではないが、運命の儚さを見るのはアラビア石油で働いた筆者としては何とも切ない気持になる。

(続く)

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