石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

(連載)「挽歌・アラビア石油:ある中東・石油人の随想録」(12)

2013-05-16 | その他

2013.5.16

休暇と家族旅行(1980-84年)
 初めての海外赴任であり、しかもアラビア石油の社員しかいないカフジでは他社駐在員と比較のしようが無いが、酷暑の砂漠での仕事と日常生活が苛酷であったことだけは間違いない。商社のように世界各地に事務所を持つ企業では、それぞれの任地の生活条件の厳しさに応じて「ハードシップ手当」と呼ぶ特別手当を支給しているが、サウジアラビアでの駐在は最高レベル(即ち生活環境としては最低)と評価されていた。

 そのような中で唯一の楽しみと言えるのが年一回与えられる休暇であった。休暇の条件は彼の地の石油開発の先達であるアラムコ(現サウジアラムコ)社に合わせたものであり、期間は45日、家族全員の日本までのエコノミー運賃が支給された。この点は一般の日本企業に比べかなり好条件であった。社員は一年のうちの10ヵ月半は仕事に専念し、残る1ヶ月半の休暇を満喫するのである。目的地は本人と家族で自由に決めることができた。

 最初の年の休暇はイタリア、パリ、スペインであった。クウェイトからローマまでの飛行時間は5時間程度であり家族連れで行くには手ごろな距離である。旅程は自分たちで決めて旅行代理店で切符を手配、ホテルは行く先々の空港の案内所で予約し、レンタカーを借りて観光地を巡った。この初めてのヨーロッパ家族旅行は今でも訪れた土地の隅々を鮮明に思い出せるほど印象深いものであった。余り英語が通じないヨーロッパ(こちらの英語の問いかけに解らぬふりをするほどの英語嫌いのフランス人も少なくなかった)で、道標を頼りにレンタカーを運転するなど今にして思えばかなり無謀なことであったが、30代半ばの若さが怖いもの知らずの蛮勇を奮わせたのであった。

 翌年の休暇は義母とロンドンで落ち合い、三世代5人でロンドン、パリ、ローマに遊んだ。義母からは年に何度となく娘たちに日本の玩具、菓子、子供雑誌を送ってもらっており、そのお礼の意味もこめて足腰の元気なうちにとヨーロッパ旅行に誘ったのである。三年目の長期休暇は当時日本人社員の間で人気のあった世界一周ルートを利用した。KLMオランダ航空とシンガポール航空の提携便を利用しての世界一周であった。まずヨーロッパに立ち寄り、その後ニューヨーク、ロスアンゼルスを経由して日本に一時帰国した。日本では二年ぶりに親戚への挨拶回りをし、また育ち盛りの子供たちのための洋服や靴などを大量に買い付けた。色柄、サイズ、仕上がりなど現地の製品は身に合わないからである。その後、東南アジアで休暇の最後を楽しんだ末に1ヶ月半の休暇を終えてカフジに戻った。

 本社帰任が決まった1984年末には最後の旅行としてシンガポールで大晦日を迎え、夏のオーストラリアでコアラとカンガルーに戯れ、ニュージーランド経由1985年1月早々成田に降り立った。外気は寒かったが長い赴任生活を終えてホッとした気分であった。

 この年日本では東北新幹線が盛岡まで開通、上越新幹線も全線が開通した。

(続く)

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