2013.5.13
イスラム世界の日常生活(1980-84年)
1980年からの丸5年間をサウジアラビアで過ごした。サラフィー(ワッハーブ)主義を奉じるサウジアラビアはイスラムの中でも特に戒律が厳しい。1日5回のお祈りとラマダン月の断食などはいずれのイスラム国家にもある生活習慣だが、ここはさらに厳しい教えが課された世界である。女性は家族以外の者に素顔を見せてはならず、外出はままならず運転もできない。その他先進国では普通のことが全てダメ尽くしである。
幸か不幸か社宅は高い塀で外部と隔離された租界地であった。塀の中では女性達も自由に闊歩できる。しかし一歩塀の外に出る場合、女性は黒いスカーフと黒いベールで素肌と頭髪を隠し、夫の運転で出かけなければならない。「塀の中」が自由で「塀の外」が不自由と言う全く逆の世界なのである。社宅の中には売店が無く食料品や日用品の買い出しは週末の大事な仕事である。しかし街の商店の品揃えは貧弱なため月に一度はクウェイトまで一家で出かける。往路帰路の2回国境検問所を通過するので丸一日がかりである。それでもクウェイトには子供が喜ぶキティ・グッズの店があり、ホテルのレストランの中華料理に舌鼓を打つことがこの上ない気晴らしであった。
何もない僻地での楽しみと言えば食べることと飲むことであるが、イスラムでは豚肉と酒が禁止されている。イスラムに限らず多くの宗教では肉や酒或いはそのどちらかが禁止されていることが少なくないが、それは聖職者或いは信者自身に対するものである。ところがサウジアラビアでは異教徒の日本人や西欧人にも強要する。隣国のドバイやバーレーンではホテルで酒を飲むことができ、また筆者がその後赴任した東南アジアのイスラム国家マレーシアでも豚肉やアルコールは自由であった。しかしサウジアラビアは外国人に対しても厳しい戒律を課したのである。
やむを得ず牛肉や鶏肉を豚肉の替わりとしたがアルコールは替わるものが無い。これには殆どの日本人が弱り果てた。しかし「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)」である。イラクから砂漠の国境を突破し(長い国境線にはフェンスなどなかった)、或いはペルシャ湾のダウ船でどこからともなく箱詰めのスコッチウィスキーが深夜ひそかに運び込まれる。但し密輸のリスクがあるためバカ高い。空港の免税店ならせいぜい2千円止まりのジョニ赤が1本1万円以上である。しかもいつ入荷するかはそれこそ「インシャッラー(アラーのみ知り給う)」であった。
そこで先人が考えたのはアルコールの密造である。方法はいたって簡単。20リットルのポリタンクを砂糖水で満たし、そこに製パン用の粉末イースト菌を入れる。20日ほどで発酵しアルコール液となる。但し匂いが強く、また有毒のメチルアルコールも混在しているためそのままでは飲めず、圧力釜で蒸留しなければならない。何度か繰り返し蒸留して最後に100%のエチルアルコールを抽出する。これが現地で「カフジ正宗」と称していた密造酒である。この無味無臭の酒を水や氷で適度に薄めて飲むのである。
世界の酒が好きな時に好きなだけ飲める日本からみれば何ともいじらしい努力ではあるが、日本人のコミュニケーションには酒が欠かせない。想像を絶する過酷な自然の中、アラブ人を相手に日中砂を噛むような仕事に明け暮れていると、夜は仲間を囲んでアルコールで憂さ晴らしをしなければ、明日への意欲が沸かないのである。
日本を出る時、赴任期間は単身3年、家族帯同5年と聞かされ覚悟はしてきたものの、やはりその月日の永さは身にこたえる。殆どの社員は残り1年を切ると帰国の日を指折り数えるようになるのであった。
(続く)
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp