たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

(20)フランス・スイス紀行(20日間) ランス

2011年01月25日 | 旅行
ノートルダム大聖堂までフランクに送って貰い再び二人旅が始まった。
5世紀末フランク王クローヴィスが洗礼を受けシャルル7世がジャンヌ・ダルクの言葉通り戴冠式を行ったのがこの教会だ。
ジャンヌは神のお告げ通りその戴冠式に参列した。
だが19歳で火刑に処されるその間シャルル7世は救出の努力を何一つしなかったという事である。



礼拝堂にシャガールがデザインした窓を見つけた。
この窓にはキリストの磔刑とイサクの生贄の図が描かれている。
シャガールらしい線の流れはきっと訪れた信者の心を穏やかに包んだ事だろう。
ステンドグラスを通して差し込む光が広い聖堂内に優しい光を投げかける素晴らしい作品だった。



ランスの街を歩いていると道路の真ん中に公衆トイレが有った。
お金を入れるとドアが開く。
しかし用を足した後、水を流す装置が無いので慌てる・・が心配はない。
ドアが閉まれば自然に水が流れる仕組みになっているのだ。
                          実は私はその慌て組だったのだが・・・



更に歩くとアウグストゥス帝時代の凱旋門ポルトマウスが有った。
こうして古きを大切に保存する西洋人の精神は世界を追い抜け追い越せの日本人には欠けた部分ではないだろうか。



この街には確か藤田嗣治の礼拝堂が有るはずと道を尋ね尋ね捜し歩くと広大な墓地の近くシャン・ド・マルス通りにそれを見つけた。
緑の芝の上にヒッソリと佇む小さな礼拝堂である。
この中には入る事は出来なかったが目を瞑ると日本画の技法を取り入れた嗣治独自の絵の数々が浮かんでくるのだった。



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予算に入れてなかった免責分を支払ったため財布の中は乏しく殆ど無銭旅行状態である。
主人が両替所を探してアチコチ回ってくれたが日曜日の為どこも開いていなかった。
駅に三人の日本女性が居たがやはり目を合わせない様にしているので、とてもとても両替をお願いする雰囲気では無い。
15時31分発の列車は19分遅れて15時50分ランスを離れた。
窓外はさすがシャンパーニュ地方、一面にブドウ畑が広がっている。
途中Apernayという駅で乗り換え16時52分発でパリへ。

フランスの駅構内にはどんな小さな駅でもシェパード犬を連れた警備員が巡回していて、ものものしい雰囲気だった。
日本にはない光景であり一種独特の空気が流れていて余り感じのいいものでは無いが
これもお国柄、仕方のない事なのだろう。

パリ東駅には18時に着いた。
何は置いても両替所を見つけないとオテルまで歩かなくてはならない。
幸運にも構内の一角に両替所を見つけた。
扱ってくれたのは東洋系の女性で差し出した日本紙幣を裏返したり透かしたり
そしてその様子をじっと見ていた私達の方にチラッと目を向けて「これも仕事なのよ」という様にニタッと笑った。
その所作が何とも愛らしいのだ。

東駅からはタクシーでオテルへ。
運転席脇のBoxに銀紙に包まれた丸い物が沢山あったので「これは何ですか?」と聞くと「ショコラ」と答えた。
体格の良い黒人とショコラ
そういえばオテルの朝食でショコラドリンクを飲んでいる男性を多く見かけたっけ。
どうやらフランスのムッシュは甘い物がお好きの様。
私はウエストポーチから飴とガムを出しショコラの上に乗せた。
黒人男性の黒い顔から白い歯がこぼれたのが印象的だった。

オテルに戻り預けてあったトランクを頂き部屋へ。
ヴェズレーでの盗難で「もしかして」と思って心配していたパスポートはオテルに預けてあって無事。
ところが飛行機の搭乗券がトランクを引っくり返して探しても見つからない。
必要の無いものは置いていったつもりだったのだがチャックの中まで確認していなかったのだ。
明日Mが山田さんに連絡をとってみると言ってくれたので一先ず夕食を食べにオテルを出た。
名前は忘れたが、そのレストランは、もてなしがさり気なく私達の意思も通じた事から主人も私もとても気に入り
紙にフランス語でお礼の言葉と絵を描き店を出た。
ちなみに此処のエスカルゴは逸品
明日もまた来よう。

コメント
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