続き
無事下山し車に戻りお礼をと玄関のチャイムを鳴らしたがお留守の様
置き手紙をし一風変わった谷地区をぶらりと歩いてみた
ここは江戸時代、豪雨災害による大崩落に見舞われ
その時に二度と崩れぬよう積まれたのがこの石垣なのだとか
水仙が咲き菜が咲き山里は春真っ盛り
時間がゆっくり過ぎて行く場所
日本には未だまだそうした所が残されている事が嬉しい
国道へ出る前にもう一ヶ所、見逃せない風景に出合いカメラを向けた
もしかすると、此処が棚田百選に選ばれているの深野の棚田なのだろうか?
松坂市に着いて最初に目にしたのが「ひょうたん湯」と言う銭湯
自転車の数からして結構、盛況の様だ
少し前もご婦人が湯道具を抱えて入っていった
私達も山の帰りなので入って行きたいところだが・・・着替えの用意が・・・
道行く人に尋ねて最初に訪れた場所は三井家
そうだったんだ、ここが天下に名を轟かせた三井グループの発祥の地とは知らなかった~
因みに浮世絵に有る「越後屋」は後の「三越」で三越の名は初代の三井越後守高安から付けられたとの事
門は固く閉ざされ残念ながら一般公開はされていなかった
こちらは長谷川邸(丹波屋を屋号とする江戸時代の木綿問屋)
ここも内部見学は叶わず外観だけだったが、この塀の長さ、手入れの行き届いた庭木などから
松阪商人の隆盛ぶりが伺えた
長谷川邸に隣接して建つのはかなり老朽化が進んだ小泉見庵屋敷跡
小泉家は代々医者で有り見庵は後に登場する本居宣長の親友だったとか
駅から結構な距離を歩いて松坂城址へやってきた
1644年の台風で天守は倒壊し残るのは石垣のみだが見上げても見下ろしても圧倒される程、高い
試しに月見櫓台から覗いてみると思わず目眩を起こしそうだった
説明版によると、この城は
蒲生氏郷が天正十六年(1588)にこの四五百森に築城した平山城で
蒲生氏郷が現在の会津若松に移封後は藩主が入れ替わりながら明治になるまで
勢州領8万石を統轄する城代が置かれていたと言う
御城番屋敷へ向かう虎口[裏門)へ向かう途中、江戸時代の国学者本居宣長の屋敷が有った
(宣長は医者を開業する傍ら日本の古典を研究し「古事記伝」など多数著述した人物だ)
元々は親友で有る小泉見庵の向かいに有ったが此処に移築したのだそうだ
ここも門は閉じられていた
石畳を挟んで両側に美しい槇垣が連なる一角が御城番屋敷
ここは嘗て三の丸が置かれていた場所らしいが江戸の末期
20名の紀州藩が松坂城警護の為、家族と共に移り住んだ武家屋敷で現在も子孫が維持管理して暮らしている
家々の裏には小さな畑が作られこれも受け継がれた物かと思うとどこか微笑ましい
城周辺をぶらりとしていると何やら古めかしい校舎が目に留まり校内を図々しく見学させて頂いた
今の高専の先がけか応用化学科専校の5年制工業学校だと言う
弓道部の生徒らしき学生が部活を追え丁度、校舎から出てくるところだった
松阪と言えば松阪牛
しかし残念でした、今日は休業日です
近くに飛行場が有るのか夕焼けが独特だ
今日のお風呂、榊原温泉経営の「湯の庄」に着いた時は閉館ギリギリ
何とか汗が流せサッパリ、先ず先ずの一日を終えた
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