たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

紀伊半島の旅(20) 関宿

2016年05月12日 | 
続き


参勤交代図




関宿は東海道五十三次の47番目の宿場町で今もなお当時の町並みが1・8キロに渡り現存しています

歩いていて気が付けば道路は土をイメージした茶色のアスファルト

地上の電柱や電線も地下に埋設させ景観を高めておりました

   

左は国重文の地蔵菩薩院

右は伊藤本陣跡で大名や御公家様などが利用した格式の高い宿泊施設です




江戸の良き時代を偲びながら歩を進めれば

当時の宿場の賑わいが聴こえて来そうな雰囲気がいたるところに漂って気分は何時しかタイムスリップ


オイシソウ!関の名物「志ら玉」ですって

さっそく2ヶ購入

勿論、美味しかったです ♪




江戸末期には芸妓さんの置屋として栄えたとも有りますから

三味の音や端唄、小唄が通りに響いていたのでしょうね








先に進みますと織田家に纏わる寺を見つけました

秀吉との争いの中で自刃させられた悲劇の人物「信孝公」の墓は山門を潜って直ぐ右に有りましたが

妙に新しいのが気になります




ご苦労様で~す

維持していく為には私達がゴールデンウイーク中にした様な塗装や補修も欠かせないのでしょう

  






町並みの中ほどで山石やさんと言う食堂を見つけ少し早目ですが夕食を済ませる事にしました

注文したのはわらじかつ丼

このお品の名前も名前ならば社長の背中も、これまた滑稽

奥様!大変ですね(フフ)


こちらは屋号関の戸と言うお菓子問屋です

うだつが上がり漆喰壁に虫籠窓をしつらえた格式の高さが伺える建物でした


ちょっとハイカラなこんなお家も


懐かしいですねェ、過去には事件も有った森永ドライミルクとその右は温泉の素だそうです

この絵の頃は知りませんが母乳が足りない時に私が使ったのは赤ちゃんの絵(写真)だった気がします




歩いている内に大分 外れまで来てしまいました

日本にもこんな素晴らしい文化財が残されていた事を今まで知りませんでしたが

東海道で唯一残された貴重な宿場町「関宿」

今後も保存に力を注いで戴きたいものですね

  



此処は四日市

過去に公害問題で汚点を残した街ですが

今でも至る所に煙突が林立し白い煙をモクモクと吐き出しています

現在は地球環境基本条例が制定され環境への負荷の少ない街づくりが進められているとか

国の発展も大事ですが人間の命はもっと大事なんですよね


同じく四日市の交差点で信号待ちしている時に歩道橋に掲げられていたイラスト

これは一体、何を意味しているのでしょうか

  

本日利用した道の駅は「立田ふれあいの里」

夕方から降り始めた雨は止む気配も見せず激しく窓を叩いていました


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